2018年度 宮城資料 ネット・ニュース    HOMEへ   
 311号 310号 309号 308号  307号 305号 304号  2017年度ニュースへ
ニュース311号(2018年6月18日)

大阪府北部を震源とする地震について


このたびの大阪府北部での地震で被災された方にお見舞い申し上げます。

史料関係につきましては、遠方から可能な支援を検討中です。情報ございましたらお寄せいただければ幸いです。

(事務局・佐藤記)

ニュース310号(2018年6月14日)

宮城資料ネットの15年を振り返って-理事長退任のご挨拶


                     平 川 新
 
 私こと、本日(2018年6月3日)をもって、NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(略称:宮城資料ネット)の理事長を退任いたしました。宮城資料ネットが発足してから15年。長いあいだ、多くの皆さまにご支援とご協力をいただいてきましたことに、心より御礼を申し上げます。
 これを機に、宮城資料ネットのこれまでの活動と、それに関連する出来事を振り返り、私なりの総括にしておきたいと思います。

*PDF版
https://drive.google.com/file/d/1fmkzuu6sLJ2LQ4PJgwM7xQTIJO_Y13jY/view?usp=sharing


■宮城資料ネットの発足−2003年
 NPO法人の前身である宮城歴史資料保全ネットワーク(略称:宮城資料ネット)が発足したのは、2003年7月26日の宮城県北部地震のあとのことでした。宮城県内外の多くの方々のご参加をいただいて、被災状況調査や史料レスキューに取り組んだことが始まりでした。このときには3ヶ月の間に、手分けして192軒の旧家を訪問し、10万点を越える史料を発見しました。一方で訪問が遅れて、すでに処分したというお宅が数軒ありました。そんなに大事なものなら、なぜもっと早く来なかったのか、と残念がる所蔵者の声が胸に応えました。

■災害「後」から災害「前」の活動へ−2004年
 このときの活動が一段落したころ、地震学者がしきりに、近い将来、宮城県沖地震が発生する!、と警告するようになりました。地震が起きてから活動を始めたのでは、また手遅れになってしまうという危機感から、災害が発生する前に史料の所在調査を実施し、デジタル写真によるデータベース化をしようということになりました。こうして、災害「後」の活動から、災害「前」の活動へと展開していくことになったのです。

■膨大な史料群の存在
 以来15年。こんなにも史料があるのか、と思うほど、たくさんの史料を発見しました。列島全域でみると、まだ数億点の史料が未発見・未整理のまま眠っているのではないかと言われています。それらは災害や家の改築や代替わりなどで、徐々に消滅したり散逸しています。
 歴史研究は、現在私たちが所在を把握している史料にもとづいておこなわれています。しかし、まだまだ膨大な史料群がこの列島上に未確認のまま残されているのだとしますと、限られた史料をもとに立論されてきた歴史解釈や歴史認識に確信がもてないということになりかねません。歴史像を豊かにするということがよくいわれますが、そのためにはできるだけ多くの歴史資料の所在を調査し、それを社会に共有のものとしていくことが必要だと思われます。

■NPO法人として再出発−2006年
 宮城資料ネットの活動は、こうした理念のもとのおこなわれてきました。しかし、単なる任意団体ではなく組織としての永続性と透明性を高めるために、2006年9月、宮城資料ネットをNPO法人として再構築しました。翌年2月に宮城県からNPO法人として認証され、宮城資料ネットは公的存在となりました。

■東北大学防災科学研究拠点の結成−2007年
 とはいえ、歴史資料や文化財分野だけの活動では防災や減災の活動としては限界があります。そこで東北大学の防災・災害研究に取り組んでおられる研究者に広く声をかけて、2007年3月に東北大学防災科学研究拠点を立ち上げました。文系・理系から20分野の教授が参加してくださり、総長裁量経費の助成を受けて、共同研究や研究成果の社会発信を進める体制をつくりました。歴史学や史料保全がどうやって理系との共同研究を可能にできるか、ということも模索し始めたのでした。

■岩手・宮城内陸地震の発生−2008年
 徐々にその活動を進めているなかで、2008年6月14日に岩手宮城内陸地震が発生しました。研究拠点のメンバーは一斉に被災地に入り、それぞれの分野で可能な限りの救援・調査活動を展開しました。宮城資料ネットも同拠点と連携して、栗原市・大崎市で約50件の訪問調査を実施しています。この地震では山間部の各所で土石流が発生しましたが、私の二人の知人もその土石流にのまれて命を失いました。
 廃線となる「くりはら田園鉄道」の遺産を残すために、栗原市が設けた委員会でご一緒していましたが、東京からおいでになっておられましたので、委員会を終えて栗駒山中の温泉に向かいました。ぼくも行きたいなあ、今度ね、といって別れたのでした。翌朝、その温泉旅館で犠牲になられたのです。お二人があの旅館のなかにいたという連絡を市役所から受けたときには、膝がガクガクと震えたほどの衝撃でした。

■文科省特別教育研究経費の採択−2010年
 東北大学防災科学研究拠点から文科省の特別教育研究経費(研究推進)を申請するために、同省を訪れたのは2008年5月のことでした。なぜ東北大学にそれが必要なのか、と担当者からは難色を示されましたが、近い将来確実に襲来する大地震に備えるためだと強調しました。岩手・宮城内陸地震が発生したのは、その翌月のことでした。予測が的中したこともあって、9月には文科省の予算原案に盛り込まれて財務省に送られましたが、同月に思わぬ事態に見舞われました。世界的金融危機リーマンショックへの緊急経済対策のために政府予算が大きく見直され、年末の政府予算案からは削られてしまったのです。こちらのショックも大きなものでした。
 
捲土重来を期して大学本部と共に翌2009年も文科省に要望し、同様に文科省原案に盛り込まれました。しかしまた9月に、肝を冷やすようなことが起きました。政権交代による事業仕分けです。大幅に減額はされましたが、幸いなことに採択されて2010年度からの実施が可能になりました。

■東日本大震災の発生ー2011年
 そして2011年3月11日の東日本大震災。地震が引き起こした大津波は二万人近くの命を奪い、膨大な家屋と財産を押し流してしまいました。私の研究室があった研究棟も大きく損壊し、使用不能となったために、大学に要請して代替室を確保し、大震災対応の活動を開始しました。震災直後からの事務局の動きや被災地でのレスキュー活動などについては「宮城資料ネットニュース」で頻繁に情報を発信しましたので、本ネットのホームページで、その記録をご確認いただければと思います。
 震災前に史料調査に訪れていた旧家が何軒も津波に流されたり、浸水を受けました。内陸でも地震で大きく損壊して解体を余儀なくされた歴史的建築物が少なくありませんでした。
 震災のあった2011年の史料レスキューは40軒・69回、2012年度は23軒・30回でした。呼びかけてに応えて、多くの仙台市民と宮城県民、全国の方々がボランティアとして駆け付けてくださいました。大変心強いことでした。この場をおかりして、改めて御礼を申し上げたいと思います。

■災害科学国際研究所の開設−2012年 
 一方、東北大学では総長からの要請により、先の防災科学研究拠点を基盤に、附置研究所として災害関連の研究所開設をめざす取り組みを開始しました。研究所の設立構想、文科省との交渉、学内各部局からの研究者の異動要請など、通常であれば数年かかる案件でしたが、幸いにして1年後の2012年4月に災害科学国際研究所の開設にこぎつけることができました。文系と理系、そして震災アーカイブズや社会連携のためのリエゾン機能をも加えた6部門36分野の研究所となりました。未曾有の大災害を経験した非常時であればこそ、全学としての取り組みが可能になったのだと思います。
 歴史関係では、歴史資料保存研究分野(教授1,准教授1,助教2)と災害文化研究分野(教授1)を設置しました。

■上廣歴史資料学研究部門の開設−2012年
 2011年10月に、岡山県津山市にある津山洋学資料館に講演に行きました。震災前に洋学史研究者の岩下哲典さんから、大黒屋光太夫や石巻若宮丸漂流民が持ち帰った外国情報について講演するよう依頼を受けていたからです。その講演会のスポンサーが上廣倫理財団でした。東京大学や京都大学、イギリスのオックスフォード大学などに寄付講座を設置し、哲学・倫理に関する教育・研究の振興をはかっていた財団です。
 講演会が終わったあとに財団の方からそのようなお話しを伺いましたので、歴史資料は昔の庶民の倫理・思想を明らかにする貴重な文化財なので、それを保護する活動にぜひ支援をしていただけないかと要請しました。財団はすぐに寄付講座開設を決定してくださり、東北大学東北アジア研究センターに上廣歴史資料学研究部門が設置されました。2012年4月のことです。同月から新設の災害研に移った私は、寄付部門の兼務教授および部門長となり、新たに准教授1名、助教2名を配置していただきました。同部門では歴史資料の保全だけではなく、地域史料を活かし地域住民と協力した地域史研究の推進を旗印としました。

■「よみがえるふるさとの歴史」シリーズの刊行−2013年
 東日本大震災は地震・津波、そして原発事故による放射能汚染という、自然災害と人災による複合災害でした。被害をこうむった地域では幾多の尊い人命を喪い、社会の基盤が壊滅的な打撃を受け、父祖伝来の地を追われ、生活環境は激変しました。
 このような困難な状況のなかで、多くの人たちが被災者や被災地への支援をおこないました。私たちもレスキューを続けていましたが、事務局ではほかにもできることがあるのではないかということをしばしば話題にしていました。そうしたなかで、歴史学を専門とする私たちには、失われたふるさとの歴史を叙述によってよみがえらせることができるのではないかということになり、宮城資料ネット会員が執筆する「よみがえるふるさとの歴史」シリーズを出版しようということになったのです。
 上廣倫理財団にこの企画を相談したところ、出版助成が実現し、2013年度から3年間で12冊が刊行されました。ありがたいことでした。出版は地元の蕃山房にお願いしました。

■宮城学院女子大学へ−2014年
 災害研の初代所長として2年を務めたあと、63歳で東北大学を退職し、宮城学院女子大学に転出しましたが、宮城資料ネット理事長はそのまま継続しておりました。しかし居場所が事務局から離れたため、日常の活動からも遠ざかってしまうことになりました。それだけに、佐藤大介事務局長を始めとする事務局員たちの負担と心労も増えたのではないかと心配しておりました。
 そこで新たな体制に作り直す必要があると痛感し、資料ネット発足15年を機に理事長退任を決意しました。NPO法人として組織の継続性をはかるためにも、トップが交代し、新しい風を吹かせることが必要だと考えたからです。

■新理事長・斎藤善之さんのこと−2018年
 後任の理事長には、これまで副理事長を務めてこられた斎藤善之さんにお願いしました。20年ほど前に斎藤さんが東北学院大学に着任されたあとのことですが、デジタルカメラで史料を撮影し、その場で色鮮やかなカラー写真としてプリントされるのを見たときには、本当にカルチャーショックを受けました。それまでは重いマイクロカメラを背負い、高価なマイクロフィルムを購入して史料調査に出かけていましたから、史料調査の方法が劇的に変わることになったのです。宮城資料ネットが当初からデジタルカメラによる史料の大量撮影とデータベース化に取り組むことができたのは、こうした前史があったからでした。
 斎藤さんは石巻や塩竃で地元の方々と長年にわたって、古文書解読や地域史の調査、文化財の保存などに積極的に取り組んでこられました。地元を愛し、地元に密着した調査・研究活動を市民と共に進めてこられた方です。宮城資料ネットの活動理念とも重なりあっています。

■今後ともご支援を
 長年にわたって支えてくださったNPO会員の皆様、ボランティアとしてご支援くださった方々、そして宮城資料ネットニュースをお読みくださった読者の方々へ、心より御礼を申し上げます。今後は一理事・一会員として宮城資料ネットの活動を続けてまいります。
 新しい理事長のもとで宮城資料ネットが新たな活動を展開し、郷土の宝、地域の宝、それら日本の宝を未来に継承していってくださることを期待して、退任のご挨拶といたします。ありがとうございました。

(2018年6月3日 宮城資料ネット講演会)
第309 号(2018 年6 月4 日)

 講演会・通常総会を開催しました

 6 月3 日日曜日、宮城資料ネット講演会および通常総会を行いました。講演会は平川新理事長より「宮城資料ネットの15 年を振り返って」と題して、2003 年の発足以来15 年間の活動の軌跡や、今後の展望について講演がありました。来場者は約40 名でした。
 通常総会では、2017 年度の事業報告・会計報告および2018 年度の事業・予算案、定款の変更、役員の改選について、原案通り承認されました。なお、平川理事長は本総会を持って退任となり斎藤善之副理事長が、新たな理事長に就任いたします。引き続き本会の活動へのご理解とご協力の程をよろしくお願い申し上げます。(事務局・佐藤)

  


第308 号(2018 年5 月30 日)

 歴史資料保全のボランティアを募集します

 6月もひき続き下記の通り被災歴史資料クリーニング作業を実施いたします。ご関心のある方は、必要事項をご記入の上、メール・FAX・郵送のいずれかで、下記連絡先までお申し込みください。
 今年度より作業日が毎週月曜日となっておりますが、どうぞよろしくお願いいたします。みなさまのご参加をお待ちしております。
-------------------------------------------
◆お名前
◆ご所属
◆ご連絡先 ご住所 電話/メール
◆ご希望日時 ※部分参加も可能です。
□ 6 月 4 日(月) 10:00〜17:00
□ 6 月11 日(月) 10:00〜17:00
□ 6 月25 日(月) 10:00〜17:00
※6 月18 日はお休みです。
◆作業場所:東北大学災害科学国際研究所5 階 (仙台市青葉区荒巻字青葉468-1)
◆その他
・作業に必要な道具等(マスクなど)は準備しておりますが、汚れても良い服をご準備下さい。
・駐車場は利用できませんので、公共機関でお越しください。
◆申込・お問い合わせ 安田 022-752−2142(Fax) office☆miyagi-shiryounet.org (☆=@)


第307 号(2018 年5 月24 日)

 「川崎町における町民との協同による資料調査」 (蝦名裕一)

事務局の蝦名裕一です。
 今回は2018 年4 月21 日(土)に開催された講演会「川崎の記憶〜古文書からよみがえるふるさとの歴史〜」における講演「中津山藩から川崎伊達家へ―川崎伊達家文書の調査から―」で報告した川崎伊達家文書についてと、川崎町教育委員会より刊行された『平成29 年度川崎町の文化財 古文書』(蕃山房)についてのお知らせです。
 川崎伊達家文書は、江戸時代に川崎町周辺に知行地を有していた川崎伊達家の文書群であり、明治以後その管理を託された裏丁愛林組合の歴代の組合長が持ち回りで守り、今日に伝わった文書です。2013 年、宮城資料ネットではこの川崎伊達家文書を全点調査と撮影が実施されました。(メールニュース208 号)今回の講演ではその一部を紹介するに留まりましたが、この中には、仙台藩4代藩主伊達綱村の弟であり、川崎伊達家の祖となった伊達村和が一時期中津山藩主に取り立てられた際に、幕閣の大名たちとやり取りした書状をはじめ、本家である仙台伊達家からの書状や川崎伊達家の歴代当主に与えられた知行宛行状、さらに幕末の当主・伊達邦賢について、戊辰戦争時の川崎伊達家の動静や明治維新後に伊達邦賢が政府に開発を願い上げた文書など、数多くの史料が存在していました。
 また、この川崎伊達家文書の調査解読は、川崎町教育委員会はじめ、文化財保護委員、歴史友の会の皆さんのご協力によって進められました。2013 年より毎年川崎町で「古文書初級入門講座」が開催され、ここで町民の皆さんと一緒に川崎伊達家文書をテキストとして解読を進めていきました。当初は初めての方も多く、辞書を引き引き進めていたので、解読できる文量もごく僅かでしたが、5年目を迎えた昨年度はベテランの方々のおかげでより多くの古文書を解読することができました。
 こうした川崎町の皆さんと共に実施してきた川崎伊達家文書の解読作業の成果が、この度『平成29 年度川崎町の文化財 古文書』として刊行されることになりました。本書は川崎伊達家文書に加え、前回のメールニュースで紹介された青根温泉・不忘閣が所蔵の佐藤仁右衛門家文書について、文書の画像とともに改題・解読文を掲載した史料集になっています。また、川崎町文化財保護委員、歴史友の会の皆さんが自らの手で探し、解読した川崎町関連文書の解読・解題も掲載しています。
 今回、川崎伊達家文書や佐藤仁右衛門家文書といった川崎町を代表すると言っても過言ではない史料群を、川崎町の皆さんと一緒に保全し、解読し、史料集の刊行まで辿り着いた事は、私にとっても大きな喜びでした。まだ残る多数の未解読史料についても、川崎町の皆さんと共に、今後とも解読を進めていきたいと考えています。

*追記
『平成29 年度川崎町の文化財 古文書』(¥2,500、500 部限定)のご購入は、川崎町教育委員会生涯学習課にお問い合わせ下さい。

川崎町教育委員会生涯学習課(担当:粟野)TEL.0224-84-2111(代表)
Email: kyousyou☆town.kawasaki.miyagi.jp  (☆=@)

  

  

 306 号(2018 年5 月1 日)

  歴史資料保全のボランティアを募集します

 今月もひき続き下記の通り被災歴史資料クリーニング作業を実施いたします。ご関心のある方は、必要事項をご記入の上、メール・FAX・郵送のいずれかで、下記連絡先までお申し込みください。
 今年度より作業日が毎週月曜日となっておりますが、どうぞよろしくお願いいたします。みなさまのご参加をお待ちしております。

-------------------------------------------
◆お名前
◆ご所属
◆ご連絡先 ご住所 電話/メール
◆ご希望日時 ※部分参加も可能です。
□ 5 月 7 日(月) 10:30〜17:00
□ 5 月14 日(月) 10:00〜17:00
□ 5 月21 日(月) 10:00〜17:00
※5 月28 日はお休みです。
◆作業場所:東北大学災害科学国際研究所5 階(仙台市青葉区荒巻字青葉468-1)
◆その他
・作業に必要な道具等(マスクなど)は準備しておりますが、汚れても良い服をご準備下さい。
・駐車場は利用できませんので、公共機関でお越しください。
◆申込・お問い合わせ 安田 022-752−2142(Fax)office☆miyagi-shiryounet.org (☆=@)


305号(2018年4月26日)


  川崎町で歴史講演会が開催されました。

4月21日(土)13:30〜16:30
公開講演会「川崎の記憶 〜古文書からよみがえる ふるさとの歴史〜」
 主催 川崎町教育委員会 東北大学災害科学国際研究所 
     東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門
 後援 川崎町歴史友の会 NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

講演@ 蝦名裕一(東北大学災害科学国際研究所)
     「中津山藩から川崎伊達家へ〜川崎伊達家文書の調査から〜」
講演A 高橋陽一(東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門)
     「青根にひたる、青根に生きる〜湯守佐藤仁右衛門家文書にみえる温泉・湯治・飢饉〜」



「青根にひたる、青根に生きる〜佐藤仁右衛門家文書にみえる温泉・湯治・飢饉〜」 (高橋陽一)

 2018年4月21日(土)、宮城県柴田郡川崎町の川崎町山村開発センターにて、講演会「川崎の記憶〜古文書からよみがえるふるさとの歴史〜」(宮城資料ネット後援)が開催され、「青根にひたる、青根に生きる〜佐藤仁右衛門家文書にみえる温泉・湯治・飢饉〜」と題して講演しました。
 本講演会は、近年宮城資料ネットや東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門が川崎町内で実施してきた古文書調査の成果である『川崎町の文化財12 古文書』(川崎町教育委員会、2018年3月)の刊行を記念して開催されました。佐藤仁右衛門家文書は町内の青根温泉で旅館業を営む旧家に伝存する古文書で、2012年より調査が行われてきました。封筒詰め・撮影・目録作成作業を終え、総点数が約2万5000点に上ることが確認されています。

 今回の講演では、調査の成果報告として、佐藤家文書の中から郷土史や研究上で興味深い古文書を紹介しました。例えば、「青根山薬師堂温泉記」(享保5年〈1720〉)は、仙台藩5代藩主伊達吉村が著した温泉療養の指南書で、貝原益軒の養生論を参考に青根温泉の入浴法がこと細かく綴られています。現在とは異なる温泉に対する認識がうかがえるのはもちろんですが、当時の藩主の医学的教養がわかる点でも面白い史料です。また、宝暦〜天保年間の青根周辺の状況を綴った「(諸用留)」には、天明飢饉の際に仙台藩から金銭と大麦が貸渡されていたこと、天保飢饉の際には藩からの支援が滞り、代わって地域住民有志が困窮者に米を提供していたことが記されています。官から民へと窮民救済機能が移行していたことが、1つの地域レベルで実態として明らかになる史料です。
 このように、佐藤家文書は江戸時代の藩主から町・村の住民に至るまで、幅広い階層の人々の考えや暮らしを垣間見ることができる貴重な史料です。調査は一段落しましたが、今後も解読を続け、古文書の魅力を広く発信していければと考えています。


  

 304号(2018年4月13日)

  公式SNSの開設について

 宮城資料ネットでも公式SNSを開設いたしました。TwitterおよびFacebookです。

  twitter   https://twitter.com/MiyagiShiryonet

  Facebook  https://www.facebook.com/miyagishiryounet  


 多くの方のフォローをいただければ幸甚です。

 (事務局 佐藤)