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216 号(2014 年3 月25 日)

         宮城資料ネットに通い続けた日々
 
                東北学院大学 文学部歴史学科4 年 遠藤みゆ

 私の五年日記帳によれば、初めて宮城歴史資料保全ネットワークを訪れたのは2011 年9 月6 日、迷って13 分遅刻した午前10 時03 分のことでした。古文書学の講義の始めに、菊池慶子先生がボランティアを募集されたことがきっかけでした。慣れない手つきでクリーニングした学校資料、とても明るい市民スタッフ、潮とカビのにおい、今も鮮明に覚えています。「古文書に触れると聞いたけど、学校資料って古文書?」そんなことを思ったあの時の私は、その後大学生活の半分を捧げることになるとはまだ知る由もありませんでした。あれから二年半、被災資料のクリーニングと整理に携わらせていただきました。今回、メールニュースの場で大学卒業に際して振り返る機会を頂いたので、少しだけ日記帳を遡ってみましょう。
 (右絵:市民スタッフとともに応急処置 2013 年8 月)

 「2011 年12 月22 日晴れ。古文書の整理をした後、大掃除。休憩はいろんな地域のお菓子を食べられるし、貴重な話が聞ける。異世代間交流の面白いこと!」大学2 年生のうち作業に参加できたのは夏と冬の数日だけでした。それでも卒業まで参加したいと思うには十分な時間だったようです。歴史資料を扱う細かく地道な作業も好きでしたし、なにより一緒に作業している人生の先輩から聞くお話が面白いのです。仙台の歴史講座、ネイティブ方言講座、キノコ・鳥類観察講座、コヨリ製作講座、こんなに面白いカリキュラムはどこの大学を探しても無いでしょう。

 「2012 年4 月26 日天気未記入。今日は古文書洗いに行った。エプロンとバンダナを使ったら給食当番みたいと言われた。」古文書にのめり込んでいった頃、作業場では白衣の上にエプロンを身につけ、洒落た柄の手ぬぐいを頭に巻く人が増えていました。カビや汚れから身を守りつつ、オシャレも楽しむ良い工夫だと思い、さっそく私も少ない貯金でエプロンとバンダナを買いました。作業場に馴染み、学生の参加も増えて大切な友人達と出会えました。

右絵:)ふすま下張り文書の整理に取り組む 2013 年12 月)

 「2013 年3 月5 日晴れ。茨城での作業1 日目。宮城式で文書撮影。作業後は満月城へ。多くの先生方と言葉を交わせた。」一年間古文書の読み方を学び、史料の洗浄・撮影などを体験した私は積極的に他県の活動にも足を運ぶようになりました。この頃から生涯資料保全に関わるにはどうしたら良いのかを模索し始めていたのです。先生方に相談し、大学院に入る道や工房に就職する道などを提案していただきました。家族の状況を考えて長く悩んだ末、自分の納得できるよう導き出した結論は、働きながら休日のレスキュー活動に参加する道でした。五年日記の最後の一年は、岩手で働きながら家族孝行をして、休日は史料レスキューもしくは古文書の勉強、そんな内容になるでしょうか。

 作業の中で扱う史料は家計簿や学生のノートといった日常で使われてきた紙が中心で、数百年前が身近に感じられる不思議な感覚になります。この日記帳も数百年後まで残ったら古文書と呼ばれるでしょう。そんな気恥ずかしいことを考えるようになった今、あの時の学校資料も未来の古文書なのだと理解できるようになりました。それを理解した時、宮城資料ネットで過ごした二年半で得たものは、「おおらかな視野」だと気づきました。歴史の中の百年単位で考えればほとんどの悩みが些細に思え、日々の日常がとても大切に思えるから不思議です。そして静かに作業に没頭すると、日々の喧騒から離れられて気持ちが安らぎます。これが二年半通い続けた一番の理由です。
  (右絵:スタッフ一同、お揃いのバンダナで 2013 年1月)

 最後になりましたが、平川先生、佐藤先生、蝦名先生、天野先生、活動でお世話になった先生方、そして共に活動した市民スタッフと学生の皆さんに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。卒業後も私にできる範囲で資料保全に貢献してまいりますので、これからも宜しくお願い致します。 

 (編集追記)
 遠藤さんほか、東北学院大学から参加した6名の学生が、今日3 月25 日に同大学での卒業式を迎えました。事務局一同よりお祝い申し上げると共に、これまでの心より感謝申し上げます。これからも歴史資料への愛着を忘れず、社会人として、それぞれの道でのご健闘を祈念いたします。
 

215 号(2014 年3 月25 日)

 NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク英語版公式ブログの公開について

 事務局の佐藤大介です。このほど本会理事でもある宮城学院女子大学のJ.F.モリスさんのご尽力により、宮城資料ネットの活動を英語で紹介した公式ブログを開設いたしました。Miyagi Shiry. Net : http://miyagi-shiryou-net.blogspot.jp/

 モリスさんには、震災直後から英語圏の日本研究者コミュニティへ、宮城資料ネット・ニュースの翻訳版などを送信し、広報活動に努めていただいております。そのなかで、昨年末に情報に触れたミシガン大学のG P Witteveen 氏から、英語版ブログ公開のためのウェブ環境提供のお申し出がありました。それを受け、今回のウェブサイト公開となりました。

 東日本大震災での文化財や歴史資料レスキュー活動については、日本国内だけではなく、海外からも注目が集まっております。一方、私たちが直接交流した海外の関係者からは、日本の関係者がどのような活動をしているかについての情報が不足している、という指摘を受ける機会が何度かありました。

 宮城資料ネット事務局の英語力では、日本語版のような頻度での情報発信は難しいですが、モリスさんのお力を借りつつ、定期的な活動報告などを通じて、当事者としての情報発信を続けて行ければと考えております。

 特に英語圏へのネットワークをお持ちのみなさまには、各所に周知いただければ幸いです。

 なお、宮城資料ネットの英語での活動報告としては、昨年発行された国際復興プラットホームInternational Recovery Platform の東日本大震災に関する報告書”Recovery Status Report: The Great East Japan Earthquake 2011 ”(2013 年)、のCHAPTER 6 : RESCUING HISTORICAL MATERIAL & PRESERVING AND COLLECTING DOCUMENTS に、佐藤が“Historical Record Rescue Activities of the Miyagi Shiryo Network“Pre-Disaster Activities and Response to the Great East Japan Earthquake”(88-98 頁)として寄稿しております。同じチャプターには、神戸大学の奥村弘さん、佐々木和子さんの報告もあります。ご案内が遅れましたが、合わせてご参照・ご紹介いただければ幸いです。
”Recovery Status Report: The Great East Japan Earthquake 2011 ”
http://www.recoveryplatform.org/assets/Japan/ENGLISH_RECOVERY%20STATUS%20REPORT%20JAPAN.pdf

 第214 号(2014 年3 月24 日)
 
   「よみがえるふるさとの歴史」シリーズ刊行の開始です

    宮城資料ネット・メールニュース受信者のみなさまへ

                      NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク 理事長 平 川 新

 2011 年3 月11 日の東日本大震災の発生以降、NPO 法人宮城資料ネットでは被災地における歴史資料のレスキューと保全活動を実施してまいりま した。それにあたり、多くの皆様から、ボランティアやカンパによるご支援を頂戴しました。心より御礼を申し上げます。

 なお、こうした被災資料のレスキュー活動のほか、宮城資料ネットでは法人会員によって、被災地の歴史を再生するための「歴史再生叙述事業」に取り 組むことにしました。現在16 人が被災地に即したテーマで執筆する予定にしており、「よみがえるふるさとの歴史」シリーズ(ブックレット)として 逐次刊行することにしております。

 このたびその第1 巻の井上拓巳著『荒浜湊のにぎわいー東廻り海運と阿武隈川舟運の結節点』が刊行されました。阿武隈川の河口湊として江戸時代に栄 えた荒浜(宮城県亘理町)をフィールドに、その歴史を再生したものです。荒浜地区は2011 年3 月11 日の大津波によって大半が流出していましま した。そうした地域の歴史を叙述によって少しでも復元しようという試みです。

 下記のご案内をご覧いただき、版元の蕃山房に注文をしていただければ幸いです。(蕃山房ホームページへ)

 なお4 月には第2 巻と第3 巻が刊行される予定です。


〒980−0801
仙台市青葉区木町通1 丁目1−11
朝日プラザ北一番丁1 階106B
電話:090−8250−7899
ホームページ:http://banzanbou.com/

213(2014 年2 月1 日)
 
      ワークショップ「被災資料保全を体験しよう!」2 月16 日 大阪市で開催

 事務局佐藤大介です。本号は、歴史資料ネットワークとの共催で2 月16 日に大阪市で行う、被災歴史資料の応急処置方法についてのワークショップのご案内です。詳細は下記の通りです。

 洗浄工程については、事務局・天野が、東日本大震災での津波水損史料への対応を踏まえた技法を講義いたします。
本イベントは事前申し込み制となっております。お申し込み・お問い合わせは、歴史資料ネットワーク事務局までお願いいたします。

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(以下、歴史資料ネットワーク公式サイトより一部を抜粋して転載) http://siryo-net.jp/event/20140216-workshop/

このたび、当会主催のワークショップ「被災資料保全を体験しよう!」を開催することとなりましたので、お知らせいたします。

 水害や津波で被災した歴史資料の保全活動が、現在各地で取り組まれています。その活動には、必ずしも被災現場でのレスキュー作業だけではなく、泥水にまみれた資料のクリーニングや乾燥、そしてもとの状態に戻すための製本作業も含まれます。そして保全活動の現場では、こうした作業を多くの市民ボランティアが担っています。このワークショップでは、被災資料保全活動のうち、<洗浄> <乾燥> <製本>という一連の流れを学ぶ機会にしたいと思います。

○日時・場所
2014 年2 月16 日(日)13:00〜16:30(予定)
於 エル・おおさか(大阪府立労働センター)南館102 号室(大阪市中央区北浜東3-14)
※地下鉄谷町線・京阪電鉄「天満橋」駅から西へ300m
○参加無料
○事前申し込み制、定員20 名を予定(お申し込みが定員をオーバーした際、抽選となることがございます)
○講師
    洗浄:天野真志氏(東北大学災害科学国際研究所/NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク)
    乾燥:加藤明恵氏(歴史資料ネットワーク)
    製本:平田正和氏(工房レストア)

○お申し込み方法
お名前・ご住所・電話番号・メールアドレスを明記のうえ、以下のいずれかの方法で、史料ネット事務局
までお申し込みください。
@メール s-net※lit.kobe-u.ac.jp (※=@)
AFAX 078-803-5565
Bホームページ上のお問い合わせフォーム http://siryo-net.jp/contact/
※なお、今回の参加申し込みは、史料ネットのボランティア登録者を優先的に受け付けさせていただきます。
まだボランティア登録がお済みでない方は、ワークショップ参加申し込みの際に「ボランティア登録希望」の一文を添えていただければ、ボランティア登録と参加申し込みを同時に受け付けさせていただきます。
○主催: 歴史資料ネットワーク
東北大学災害科学国際研究所特定プロジェクト研究(連携)
「被災した歴史資料の復旧・保存に向けた中長期的救済法の実践的研究」(代表:天野真志)
○共催:NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク
○協力:工房レストア エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

 第212 号(2014 年1 月31 日)

     一関市芦東山記念館冬季特別展

   「つながる つづける つたえる活動〜歴史資料保全のネットワーク〜」

 事務局佐藤大介です。2014 年もどうぞよろしくお願いします。といっても、気がつけばもう1 月も終わりです。

 2014 年最初のニュースは、一関市芦東山記念館で明日2 月1 日から開催される冬季特別展「つながる つづける つたえる活動 歴史資料保全のネットワーク」のご案内です。

 本展示会は、「宮城歴史資料保全ネットワークと山形文化遺産防災ネットワークの、文化財レスキューや地域の歴史資料保全活動の紹介です。一関市大東町でも宮城歴史資料保全ネットワークの歴史資料保全活動が行われました。本展では、日々の地道な活動を、パネルを中心に紹介します」(同館の小味浩之さんより)というものです。

  宮城資料ネットからは、これまでの活動とともに大東町での活動を紹介したパネルと、女川町の木村家文書を収めていた茶箱、津波で被災した古文書を出展しております。なお、宮城資料ネットの展示企画・作成については、本会賛助会員であるまちのほこり研究室の千葉真弓さんに全面的にご尽力いただきました。茶箱の展示は木村家、津波被災史料については石巻市教育委員会のご協力をいただいております。記して御礼申し上げます。

 なお関連企画として、2 月15 日土曜日午後1 時30 分より、芦東山記念館ホールにて、佐藤が宮城資料ネットの活動について講演を行います。

 地元に残る歴史資料の保全を進めるには、まず活動そのものに対する共通認識を作っていくことが不可欠です。今回の展示が、一人でも多くの方々に、活動に関心を持っていただくきっかけとなれば幸いです。

◇一関市芦東山記念館冬季特別展 「つながる つづける つたえる活動〜歴史資料保全のネットワーク〜」

○期間 平成26 年2 月1 日(土曜日)〜3 月23 日(日曜日)宮城資料ネット展示の全景(提供・一関市芦東山記念館)
○時間 9 時〜17 時まで(ただし入館は16 時30 分まで)
◇講演会「宮城歴史資料保全ネットワークの活動について」
○講師佐藤大介 (NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク、東北大学准教授)

○日時・場所
2 月15 日(土曜日) 13 時30 分〜15 時00 分 芦東山記念館ホール ※申込不要・聴講無料
◇詳細http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,46556,146,html
◇ポスターhttp://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,46556,c,html/46556/20140121-133902.pdf
         

211 号(2013 年12 月31 日)

      2013 年下半期の活動(その3)

            様々な活動
 事務局佐藤大介です。2013 年における宮城資料ネットの活動は、東日本大震災で被災した歴史資料への対応にとどまりませんでした。特に、個人の所蔵者の方々の依頼に応じた活動が増えてきています。活動への社会的関心の高まりや、市民参加によるネットワークの広がりがその背景です。また、活動の普及にも努めています。活動報告の締めくくりは、それらの活動についてです。

1 「一軒型」調査保全活動

6 月から12 月まで、以下の活動を実施しました。

(1)2013 年6 月17 日 宮城県仙台市・S家文書
 鹽竈神社の社家を勤めたS家に伝来した文書です。所蔵者の方は廃棄をお考えになっていましたが、同じ町内に本会会員の高橋陽一さん(東北大学東北アジア研究センター助教)が住んでいることを知り、高橋さんに相談されました。それを受けて高橋さんと事務局・佐藤が調査し、保全されることになりました。文書は借用して、全点の撮影と目録作成を終えています。
                    仙台市S家での概要調査(6 月17 日)

(2)2013 年7 月22 日 宮城県村田町・神風講引継文書など

 本資料の存在は、6 月29 日に実施された村田町での歴史講演会の場で、地元の方から所在不明との情報が寄せられ、知るところとなりました。原本は、講が平成2年(1990)に中断した後、当時の関係者から村田町歴史みらい館に寄贈されていました。途絶えかけた住民組織の記録が、行政の史料保管施設で保全されるという、史料保全における地元の主体的な活動の重要さを知ることになりました。
 安永7年(1778)から平成2年までにおよぶ講の記録の活用を図るため、借用して写真撮影を実施しています。

(3)2013 年7 月28 日 宮城県川崎町・川崎伊達家文書
 川崎に拠点を置いた仙台藩主伊達家の一門である川崎伊達家文書の保全活動です。詳細はネットニュ仙台市S家での概要調査(6 月17 日)一関市K家での保全活動(8 月9 日)

(4)2013 年8 月7-9 日 岩手県一関市・K家文書(3 次)
 昨年9 月に古文書返却事業で訪問したK家で、残された数万点の江戸時代文書の全点撮影を継続しています。
今回の活動は、芦東山記念館・一関市博物館と、宮城資料ネットからは市民ボランティアに加え宮城学院女子大、東北学院大、東北大および東京農工大、韓国・江陵大、オーストリア・ウィーン大の有志メンバー28 名で実施しました。旧家での史料保全活動が初めてという学生が大半で、史料が生み出された現場の雰囲気や、所蔵者や地元の方々と交流する機会となりました。
                  一関市K家での保全活動(8 月9 日)

5)2013 年9 月21・22 日 宮城県丸森町・O家文書O家は、仙台藩南部の修験者を統括する立場にありました。同家資料の保全については、昨年度中に所蔵者から仙台市博物館を通じて相談を受けていました。
 同家文書の保全については、2013 年度は佐藤が講義を担当している東北大学文学部・大学院文学研究科での史料整理実習の一環として、宮城資料ネットや東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門(上廣部門)の協力を得て現地調査を実施することとしました。

 9月の活動には、学生と宮城資料ネットの市民スタッフ、上廣部門から合わせて23 名が参加し、未整理の古文書の中性紙封筒への詰め替えと全点撮影を実施しました。

(6)2013 年10 月10 日 宮城県川崎町・川崎伊達家文書(2 次)
  *ネットニュース208 号を参照。

(7)2013 年10 月20 日 宮城県丸森町・O家文書(2次)
 9 月に参加できなかった学生向けの活動として、宮城資料ネットスタッフの協力を得て文書の撮影を実施しました。なお、講義では写真を用いて目録作りを進めています。
         
        丸森町O家での古文書撮影(9 月21 日)

(8)2013 年10 月26・27 日 岩手県大船渡市・S寺文書

 津波での被災を免れた寺院所蔵資料のデジタルカメラによる撮影を、現地で実施しました。活動は事務局の蝦名、宮城資料ネットの市民スタッフと、東京からのボランティア参加を得ました。

(9)2013 年10 月28 日 岩手県一関市・C家文書
 C家は、戦国末以来の由緒を持つ旧家です。同家が北上川水系での治水計画により、近い時期の移転を求められる状況にあるとのことで、一関市博物館を通じて文書とともに、土蔵の調査を依頼されました。
 この活動については、建築班の佐藤敏宏さん、東北大学植物園の大山幹成助教の参加を依頼しました。土蔵の図面と共に、土蔵の部材の材質についても調査し、伝統的建造物を多面的に記録するためです。今回は4棟ある土蔵の1棟について簡易測量と部材サンプルの収集を行いました。
 また土蔵内には、かつて整理されたものとともに、膨大な未整理文書が確認されました。今回は整理済み分の全点撮影を実施しています。
 今回は「木と紙」で作られた、地元の歴史資料を総体として把握しようとする試みとなりました。引き続き、連携のあり方を模索することにしています。

      
   一関市C家土蔵の簡易測量(10 月28 日)         一関市C家土蔵部材のサンプル採取(同)
 
(10)2013 年11 月23・24 日 岩手県一関市・K家文書(4 次)
 8 月の活動に引き続き、K家文書のデジタルカメラによる撮影を、上廣部門および東京農工大学の参加も得て実施しました。


2 広報・展示に関する活動


 6 月から12 月までの広報・展示に関する活動は下記の通りです。

(1)6 月29 日宮城県村田町での歴史講演会「よみがえる村田の歴史〜江戸時代からのメッセージ〜」
 村田町教育委員会、東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門との共同主催で、震災で保全された文書を用いた講演会を実施しました。本会会員の小関悠一郎さん(千葉大学)と佐藤が講演を行いました。合わせて、村田町歴史みらい館で、保全された文書の展示が実施されました。震災後に宮城資料ネットが関わった保全資料による、初めての現地での講演企画となります。
 なお、講演会の詳細は、東北大学東北アジア研究センター上廣部門の公式サイトをごらんください。

(2)7 月20-21 日 文化財保存修復学会第35 回大会での記念講演・ポスター展示
 宮城県仙台市で開催された文化財保存修復学会第35 回大会にて、本会理事長の平川新が記念講演「災害が進めた学際連携−文化財を未来へ−」を行いました。また、大会期間中には東北大学川内萩ホールにてポスター展示を行いました。
 同会関係者からは引き続き被災した歴史資料への保存科学的な対応について助言を得ております。記して御礼申し上げます。

(3)9 月14 日日本図書館文化史研究会での特別講演
 東北大学川内キャンパス(仙台市)で開催された日本図書館文化史研究会2013 年度研究集会での特別講演として、事務局・佐藤が「災害を超え,よみがえる仙台の文字文化−歴史資料保全活動10 年の軌跡」と題した講演を実施しました。東日本大震災での活動と、一連の保全活動を通じて確認された江戸時代先代の文字文化に関する史料紹介を行いました。

(4)9 月30 日宮城資料ネット10 周年シンポジウム
 東北大学片平さくらホールで、宮城資料ネット発足10 周年シンポジウムを実施しました。詳細はネットニュース203 号を参照ください。
 
(5)11 月9 日山形県高畠町での史料撮影ワークショップ
 事務局・佐藤が、山形県高畠町屋代地区公民館で開催された講座「高畠町 地域の宝再発見事業〜体験型講座〜 地域の文化財(ふるさとの宝)をデジカメで残そう!」(主催・高畠町、山形文化遺産防災ネットワーク)に講師として、「宮城方式」での古文書撮影技法を出講しました。地元からは15 名ほどの参加を得ました。
 このような活動は、昨年9 月のふくしま歴史遺産保全ネットワーク(ふくしま資料ネット)に続き2回目となります。出講した立場としては、今回参加した史料所蔵者も含む市民へ撮影方法を普及するにあたって、技術に関する情報をより整理する必要性など、多くの課題を得ることができました。
        山形県高畠町での史料撮影講座風景(11 月9 日)

(6)12 月2 日神戸大学国際シンポジウムでの報告
 12 月2 日、神戸大学梅田インテリジェントラボラトリ(大阪市)で開催された国際シンポジウム「地域の歴史資料をとりまく世界の諸相」にて、に、事務局・佐藤が「宮城での史料保全の歩み−「ふるさとの歴史」を守り伝えるために−」のタイトルで報告しました。

(7)12 月14 日仙台市岩切市民センターでの講演
 12 月14 日、宮城県仙台市の宮城野区岩切市民センター主催の市民企画講座「震災で失われた文化物を通して岩切を考える」の第2回講座に、事務局・佐藤が出講しました。宮城資料ネットによる2011 年4 月旧岩切郵便局での活動や、そこで保全したふすま下張り文書の内容について報告しました。あわせて、現物の一部の展示と解説を行いました。参加者は地元の歴史サークル「岩切歴史探訪の会」の会員が中心でしたが、文書に登場する地名や遺構など、地元の歴史を知る手がかりとなる情報を共有する機会となりました。

 2013 年も多くの方々のご支援で、多様な活動を展開いたしました。記して御礼申し上げます。2014 年も引き続きのご支援、どうぞよろしくお願いいたします。
 
210 号(2013 年12 月27 日)

       2013 年下半期の活動(その2)
 
          事務局での作業続く

 前号では被災地からの一時搬出について報告しました。しかし、それらは保全活動の入り口に過ぎません。

 津波で被災した文書は、ここから長い道のりをかけて対応しなければなりません。また、被災した伝統的建造物の解体に伴い、ふすまの下張りに再利用されている文書も膨大に出てきています。加えて、「次」の災害に備えるため、記載内容を保全するためのデジタルカメラによる撮影も必須です。本号では、事務局よりそれらの活動について報告します。

1 津波被災史料のクリーニング

下半期は、下記の4件について実施しています。主に、毎週月曜日から水曜日に活動しています。

(1)石巻市・K家資料(2012 年1 月に保全/メールニュース159 号参照
 K 家資料については、東北芸術工科大学講師で資料ネット会員でもある竹原万雄氏および同大学の学生とともに作業を実施しています。全体のドライクリーニング作業を終え、現在はデジタル撮影および再整理作業をおこなっております。
 段ボール約60 箱分におよぶ膨大な量の整理はかなりの労力を費やしますが、竹原さんおよびそのゼミ生たちの尽力により少しずつですが着実に進んでいます。

(2)石巻市・T家文書(2012 年3 月に保全/メールニュース164 号参照
 今年の下半期で特に中心となったのは、同文書への対応です。
 被災から救出まで1年が経過した文書は、破損とカビなどでの劣化が著しく進行しています。そのため、まずは固着した部分を確認しつつ、開披可能な資料について、少しずつ開いていく作業を始めなければなりません。これは大変な作業です。また資料の状態によっては補修のため一旦解体しますので、きちんと順番を記録しておくことも不可欠です。その後、破損部分の補修をおこなうなど、純粋な応急処置から一歩踏み込んだ作業も実施しています。
 一見すると修覆困難に見える文書が、長い時間をかけて解読可能な状態にまで回復するのは感動的です。もちろん対応困難な文書も多数あり、残念ながら全体の半数以上は処置を施すことはできませんでした。ほぼ現状を留めない状態のものもあり、触ることさえためらわれるものもありました。
 一連の作業で、対応可能な部分についての応急的な処置は完了ししました。現在は作業経過のデータ整理や目録化作業も並行して実施しつつ、簡易修理を施しています。

(3)南三陸町・戸倉小学校文書(2011 年6 月に保全)
 戸倉小学校資料は、2011 年6 月に理事の大平聡氏の連絡を受け保全を実施した資料です。その後、乾燥のために山形ネットを通して東北芸術工科大学へ真空凍結乾燥を依頼していました。
 今年の4 月に資料の乾燥が完了し、事務局に返却されたものについて、ドライクリーニング作業を実施しました。
 乾燥を終えたとはいえ、現在も津波被災資料独特の臭気を漂わせています。そのため、来年以降、資料の洗浄作業を実施する必要があります。

(4)女川町肝入関係資料(2012 年3 月に保全/メールニュース164 号
 女川町教育委員会の依頼でお預かりした資料ですが、約600 枚の文書が一つの固まりとなっておりました。幸い、大きな劣化はみられず、容易に展開が可能でしたので、1 枚ずつ剥がしていき、ドライクリーニングと洗浄作業を実施しました。1 枚ずつ封筒詰め作業も完了し、あとは記録化作業を残すのみとなりました。

 被災からもうすぐ3 年を迎えようとしていますが、多くの資料は依然被災当時の状況のままです。それでも少しずつながらも安定した状態に近づけていくことができています。全国各地からいただいた、多くの方々からのご支援とご助言が、こうした活動を支えているものと受け止めております。この場を借りてあらためて御礼申しあげます。

 作業の過程で、もはや古文書として復旧することは不可能と思えるものも多く確認しておりますが、なかなかそれらを「不要」と定義することができずにいます。
 こうした劣化資料は、現在真空パックないしは冷凍保管して、処置を実施した資料と別置しています。今後の保存科学的分析素材として役に立てる方法もあるかとも思い、現状維持に努めております。
 また、本来の価値を失ってしまった資料も含め、どのように歴史的に価値づけていくか、震災の記憶を後世に伝える震災記録として、新たな価値付けも含めた保全も必要なのかとも考えています。 (天野真志

●石巻市T家文書への対応 写真グラフ
   





2 ふすま下張り文書の保全

こちらは下記の通りです。毎週平日の木曜・金曜が作業日です。

(1)仙台市・旧岩切郵便局庁舎資料(2011 年4 月に保全/メールニュース102・114 号参照)

(2)亘理町・M家文書(2011 年6 月に保全/メールニュース135 号参照)

(3)石巻市・K家資料(2012 年1月に保全/メールニュース159 号参照)

(4)石巻市・G家資料(2013 年6 月に保全/メールニュース198 号参照)

 この間に対象となった資料は、津波をうけたことによるカビ被害の処置が終わったものや、直接的に津波被害はうけず、しばらく保管していた史料になります。
 最近の作業では、でんぷん糊を分解する酵素水溶液を使用することで、以前に比べ効率的に古文書を1枚ごと剥がすことができるようになりました。そこで、以前は固着して剥がせないままの状態にしていた下張りも、改めて酵素水溶液を用 いて剥がし作業を実施しています。
 古文書の剥がし作業では、1枚ずつ文書をナンバリングして貼り付けられている状況を記録し ながら、剥がしていきます。特に近世のふすまは、元になった帳簿や書状が元の秩序どおりに貼られているケースも多く、極力これらの状態を 維持しながらナンバリングし、処置を進めています。また胡粉が塗られ文字が読めなくなった古文書については、被災資料のクリーニングを応用して水洗いをし、文字が読める状態にします。


 ふすまの下張り文書には、その家で所蔵していた蔵書を使用しているケースが多くみられます。例えば医業を営んでいた石巻市K家では、下張りに医書が多く使われています。こうした版本や刊本については、作業に参加してくれた近世や近代の研究者に協力を得ながら、分類して整理を続けています(メールニュース173207 号)。また、商業を営んでいた亘理町・M家の下張りには、商業に関わる証文や手紙などが多くみられます。襖の下張り文書は、その襖があった家や地域の歴史が眠っていると言ってもいいでしょう。
 これらの整理作業を終えるのは当分先になりそうですが、下張りとして眠っていた古文書を一日も早く歴史研究の資料として活用できる状態にするために、今後とも作業を続けていきたいと思います。 (蝦名裕一


●ふすま下張り文書への対応 写真グラフ
 



3 史料の撮影
 東日本大震災関連での対応は下記の通りです。毎週月、火、金の3日間作業しています。

(1)栗原市・H家資料 2012 年1月に保全(完了)
(2)涌谷町・S家資料 2011 年7月に保全(完了)
(3)大崎市・M家資料 2012 年11 月に保全(完了)

(4)女川町・C家資料 2013 年5月に保全(完了)
(5)女川町・S家資料 2013 年7月に保全(完了)
(6)女川町・D家資料 2013 年7月に保全(完了)
(7)石巻市・S家資料 2013 年9月に保全(完了)
(8)東松島市・K家資料 2013 年9月に保全(完了)
(9)栗原市・S家資料 2011 年8月に保全(継続中)
(10)石巻市・G家資料 2013 年6月に保全(継続中)


 1日あたりカメラ3台から6台での作業です。撮影ファイル数は、合計で75128 コマになっています。
内陸部が多いのは、水損した資料はすぐに撮影することが出来ないからです。また緊急性など個別の事情で、保全した順番と撮影順が前後する場合もあります。全点撮影には時間がかかるため、震災が発生した年に保全した資料にまだ手を付けられていないものがあります。
 撮影は、公式サイトでも公開しているマニュアルに従って進めています。一方、その集約は、午後5時にその日の作業を終えてからになっています。時に1日でも数千枚に及ぶファイルの確認と整理作業は、深更に及ぶことも珍しくありません。さらに出張や講義などでその日のうちに作業が出来ない場合もあり、それが続くと数日分のファイル(SDカード)がたまります。バックアップを取らないうちに何かあったら・・・。綱渡りの日々が続きます。。 (佐藤大介

 (右絵   2日分の画像データ・約3200 枚が入ったSDカード2013 年12 月24 日)

 4 作業従事者

 クリーニング及びふすま下張りはがしの作業に参加した延べ人数は次の通りです。
・2013 年6月 227 人
・2013 年7月 209 人
・2013 年8月 182 人
・2013 年9月 243 人
・2013 年10 月 225 人
・2013 年11 月 223 人
・2013 年12 月 159 人 合計 1468 人


作業は、宮城県や石巻市などの受託事業として従事している市民スタッフの方々が中心になっています。単に作業に加え、勤務時間や備品の管理、さらに作業における技術上の留意点の注意など、新たな保全の方法論につながる経験が蓄積されています。
 加えて、宮城県内外から個人単位、また大学ゼミ単位で、ボランティア参加を得ております。多くの方々に支援をいただきましたことに、改めて記して御礼申し上げます。(佐藤大介)

209 号(2013 年12 月26 日)

 2013 年下半期(6月中旬〜12 月)の活動(その1)
 
            被災地からの一時搬出

 事務局佐藤大介です。2013 年の活動について、本ニュースでは6 月中旬以降個別の事案や参加記などの形で発信してきました。一方で、これ以外に発信されていない活動も多く実施しています。活動は収束に向かうどころか、なお緊急対応が続いている状況です。
 本会の活動にご支援いただいている皆様に対し、佐藤個人の多忙を理由に、活動報告がとどこっておりましたことを謹んでお詫び申し上げます。
 むろん、私たち自身にとっても自らの歩みをきちんとした形で記録することが必要です。そこで改めて下半期全体をまとめる形で報告いたします。本号は、被災地での歴史資料の救済・保全についてです。

1 活動の経過

 メールニュース198 号(2013 年6 月8 日付)で報告した宮城県石巻市G 家での活動のあと、以下の通り活動を実施しています。

(1)●2013 年6 月23 日 宮城県石巻市・A家
・東北学院大学経営学部斎藤善之ゼミ、東京などからのボランティアの支援で、津波で被災した同家の近代文書や道具類の保全を実施した。
        
         石巻市A家での活動(2013 年6 月23 日)

(2)●2013 年7 月24 日 宮城県亘理町・K家
・事務局・佐藤が対応。
・津波で被災した同家所蔵の近世絵画1点を
保全・搬出した。

(3)●2013 年7 月30 日 宮城県女川町・C家およびD家
・女川町域で津波被災を免れた古文書の記録化作業として、女川町文化財保護委員を通じて文書が搬入された。(12 月16 日完了)

(4)●2013 年7 月30 日 宮城県気仙沼市・気仙沼小学校
・理事・大平聡および宮城学院女子大学大平ゼミの学生、事務局・天野が対応。
・震災後に確認された学校文書を、保全のため東北歴史博物館に搬入した。

(5)●2013 年9 月6 日 宮城県東松島市・K家
・東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門(上廣部門)との共同での活動。
・所蔵者の了承を得て文書資料を搬出し、撮影した(完了)

(6)●2013 年9 月11 日 宮城県気仙沼市・気仙沼小学校
・理事大平聡、事務局天野が対応
・燻蒸依頼していた同小学校資料を受け取り、一時保管場所である旧気仙沼市立月立中 学校校舎へ搬入した。

(7)●2013 年9 月15 日 宮城県石巻市・S家
・理事長・平川と事務局・佐藤が対応。
・津波での流出を免れた古文書数百点を搬出した。
   
(8)2013 年11 月26 日 宮城県仙台市・I家
・事務局・佐藤と仙台市史編さん室と共同での活動

(9)2013 年12 月4 日 宮城県仙台市・S家
・事務局・蝦名と安田が対応。
・震災で被災した岩沼市O 家旧蔵の近世・近代文書数十点を保全した。

 震災から1000 日以上を経過しましたが、未だに毎月1回ほどの被災地での活動が続いています。9件のうち6件は津波被災地での活動です。なお、東日本大震災で直接被災したものではない活動事例についてはここに含まれていません。それらについては別途報告いたします。
 以下、津波被災地と内陸部での活動に分けて、いくつかの事例を紹介します。

2 津波被災地での活動

◇亘理町K家(2)
 同家ではかつて菓子店を営んでおり、亘理町の自宅には菓子の型や書類など多くの史料が保管されていたとのことです。それらは、今回保全した掛け軸1本を除き、津波ですべて流されてしまいました。所蔵者の方によれば、掛け軸は家の歴史にとってもっとも大切なもので、津波の後自宅の敷地で必死で探して見つけたときには涙が出るほどうれしかった、ということでした。

 その後、現在の一時移転先に持参し、乾かしていたとのことですが、津波での痛みや今後の保存に不安があり、何とか修復して欲しいという、所蔵者からの切実な要望がありました。
 史料は幸いカビなどの深刻な損傷は少なく、目下、保存修復の関係者と連携して対応を進めています。

    
    搬出した亘理町K家掛け軸の状態確認(2013 年7 月24 日 仙台市にて)

◇石巻市S家(7)
 S家は、北上川(追波川)の河口に近い地区にあります。母屋は津波で建物一階部分まで浸水しましたが、神棚の上に保管されていた文書は浸水を免れました。江戸時代の浜でのなりわいに関わる貴重な史料が確認されました。
 一方、この地区は震災後に災害危険区域に指定されました。所蔵者も含め、震災前に暮らしていた人々は、家業のための滞在は許されますが、居住することは叶いません。地域は、重大な局面に直面しているといえます。

 そのようなこともあり、所蔵者からは史料の内容や、地域の歴史をきちんと知りたいという要望がありました。史料の保全を超え、将来に地区の歴史を伝える重要な仕事を託されました。

◇気仙沼小学校文書(4)・(6)
 大平理事の震災後の精力的な活動で確認・保全された文書については、宮城県の東北歴史博物館での燻蒸対応を行い、気仙沼市で一時保管場所が確保されました。行政の支援も得て、保存にむけたとりくみが着実に進んでいます。

3 内陸部での活動

◇仙台市I家(7)
同家は、震災直後に仙台市史編さん室で巡回調査を実施しています。ところが今年秋に入り、所蔵者の関係者を通じて土蔵の雨漏りが心配だとの連絡があり、改めて調査を行いました。今回の活動では、巡回調査では所在確認出来なかった、調査済みの近代文書数百点の無事が確認されました。さらに、土蔵の中にまだ多くの文書や民具類が保管されていることを確認しました。これらは、来年改めて本格的な保全活動を実施する予定です。

       
       仙台市I家での所在確認調査(2013 年11 月26 日)


◇仙台市S家(9)
 同家では、震災で仙台市内にあった母屋と倉庫が被災したため、その取り壊しに際して大半の史料を焼却処分したとのことです。内陸部でもこのような形で、救済・保全のネットワークにかからずに処分された史料は無数にあると考えられます。被災史料の一時搬出という初期の活動についても、手を緩めることはまだ当分出来ない状況だといえます。

4 情報源

 これらの情報がどこからもたらされたかは、今後の歴史資料保全活動を考える上でも重要だと思われます。前年度からの継続事業である気仙沼小学校と女川町の事例(8)を除くと、下記の通りです。
 石巻市A 家(1)は本会副理事長の斎藤善之さん、石巻市S 家(7)は、震災前から所蔵者や地区と関わりのあった関係者の方、仙台市I 家(8)は、仙台市史編さん事業に関わっている中川正人さんからの情報です。いずれも、震災以前から関係のある方々の情報を通じて、宮城資料ネットによる保全活動につながっています。震災前からのネットワークの重要性が改めて確認出来ます。
 また岩沼市K家(2)は、報道で宮城資料ネットの活動を知った所蔵者の関係者から、東松島市K家(5)は、所蔵者がインターネット検索で上廣部門の公式サイトを見つけたことがきっかけになっています。多様な手段で情報を発信することも、多くの史料を保全する上で重要なようです。

 仙台市S家(9)は、事務局でのボランティアに参加している学生からの情報です。活動を通じて関心を高めるなか、偶然知人の方が史料を保管していることを知り、情報がもたらされました。間接的な広報とは別に、活動そのものに多くの方の参加を得ることも、活動への関心を高めると共に、参加者を通じて情報網をさらに広げる効果があると考えられます。

 次号では、仙台市の東北大学で続けられている活動について報告します。

 第208 号(2013 年12 月6 日) 

     川崎町における史料保全活動

 宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。7月29 日と10 月10 日、宮城県柴田郡川崎町において、江戸時代に同地の領主であった仙台伊達家一門・川崎伊達家の資料群について撮影と保全作業を実施しました。活動では、宮城資料ネット事務局4名と学生・スタッフ一同と、この10 月より上廣歴史資料学研究部門に赴任された友田昌宏助教に参加をいただきました。また今回の調査にあたっては、昨年宮城資料ネットが実施したS家の調査に引き続き、川崎町文化財保護委員の大宮金治さんと、川崎町教育委員会の皆さんにご協力をいただきました。

 川崎伊達氏は、享保7年(1722)に仙台藩一門の伊達村詮が川崎要害を拝領したことに始まります。今回調査した古文書群は、長持一棹の中に川崎伊達家当主が所蔵していた書状や知行宛行状を、川崎伊達家の家臣団のご子孫が代々持ち回りで保管してきたもの、という事でした。

    
     【写真1】川崎町公民館での調査風景(10 月10 日)

 今回調査した資料群の中で注目されたのが、初代伊達村詮(むらあき)の父・伊達村和(むらより)に関する資料が数多く残されていたことでした。伊達村和の父は仙台藩3代藩主・伊達綱宗、母は『伽羅千代萩』(めいぼくせんだいはぎ)の政岡のモデルともいわれる三沢初子です。同じく三沢初子を母とする兄弟に、仙台藩4代藩主・伊達綱村と宇和島藩3代藩主・伊達宗贇(むねよし)がいます。村和は元禄8年(1695)に兄綱村から3万石を分知され、支藩である中津山藩を創設しますが、元禄12 年(1699)に江戸市中で家臣が旗本と刃傷事件を起こしたことにより改易となり、以後20 年間逼塞することになります。今回調査した資料群の中には、綱村から与えられた書や、綱村・宗贇から送られた和歌の短冊などがあり、綱村・村和・宗贇の藩主三兄弟の親交をうかがわせます。

 今後さらに調査を進めることで、川崎町および川崎伊達氏の歴史はもちろん、僅か4年にも満たない期間存在した、中津山藩の歴史の一端を解明できるものと考えられます。引き続きこれらの古文書群について調査を進めていきたいと考えています。



      川崎町での保全活動に参加して
 
     東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 友田昌宏 

 10 月1 日付で東北大学東北アジア研究センター上廣資料学研究部門の助教に就任いたしました友田昌宏と申します。当部門は宮城資料ネットと連携して資料保全活動を行うとともに、その資料から得られた成果を、歴史講座・古文書講座を通じて、学生や市民の方々に発信していくことを任務として負っております。そのようなわけで、赴任して10 日、資料ネットが主催する川崎町の川崎伊達家文書の資料調査に同行させていただきました。今回の作業は資料の撮影でしたが、これまで自己流でやってきた古文書の撮影にもさまざまなルールがあることを知って大変驚かされました。そういったきめ細かいノウハウの蓄積が今の資料ネットの活動を支えているのだと実感した次第です。川崎伊達家文書という貴重な古文書群に出会えた喜びは贅言を要しません。今後とも機会を見つけて資料ネットの資料調査に参加させていただきたいと思っております。
 
    【写真2】川崎町調査の参加者一同(10 月10 日)


 【追記】本号も、佐藤の不手際で、配信が大幅に遅れておりました。謹んでお詫び申し上げます。(事務局・佐藤大介)
  第207 号(2013 年11 月27 日)
 
   科学史を専攻する大学院生からみた被災資料レスキュー

         藤本大士(東京大学大学院 博士課程)  

 2013 年9 月30 日(月)・10 月1 日(火)に東北大学川内南キャンパスで開催されたK 家の襖文書保全作業に初めて参加させていただきました。江戸時代から医業を営んでいたK家の資料調査は、昨年の8月に続いて今回が2回目の開催です。参加者として、世話人の蝦名裕一さんを筆頭に、廣川和花さん(大阪大学適塾記念センター)、佐藤賢一さん(電気通信大学)、高野弘之さん(埼玉県立文書館)など、近世・近代の医学史・科学史を専門とする研究者が多く集まりました。前回調査の作業内容などについては、廣川さんが本誌へ寄稿された記事(宮城資料ネットニュース173 号、2012 年10 月16 日付)をご覧いただくとして、以下では科学史・医学史を専攻する大学院生の観点から、被災資料レスキューに参加して感じたことを記したいと思います。

 私の狭義の専門は近世日本の医療史であるため、近世文書の資料調査は経験があったのですが、被災資料のレスキュー作業は初めての経験でした。そのため、参加する前は多少不安だったのですが、現地を訪れてみるとその心配はすぐになくなりました。というのも、作業内容は蝦名さん作成のハンドアウトにわかりやすく書かれてありましたし、具体的な手順は10 人程いらっしゃった市民スタッフの方々からとても丁寧に教えていただけたからです。このように宮城資料ネットによる資料保全活動はとても組織的に運営されているため、被災資料レスキュー未経験の研究者や市民の方にとって非常に参加しやすいものであると感じました。

 今回の資料調査で特に印象に残ったもののひとつに「ズボンプレッサー」があげられます。なぜなら、それが限られたリソースのなかで出来るだけ多くの史料を保存していくための創意工夫を象徴しているからです。襖文書のなかには互いに付着してしまったものが少なくありません。それらをはがしていく際に酵素の水溶液を塗布して剥離していくのですが、酵素の剥離効果を最大化するために温度を70〜80 度まで高める必要があります。そのために使われたのがズボンプレッサーでした。このように、比較的手に入りやすい道具によって、効果の高いレスキュー作業がおこなえることは、他の地域【写真1】事務局での作業の様子(9月30 日)や施設での被災資料レスキューでも応用できるものでしょう。

   
      事務局での作業の様子(9月30日

 一方、未整理の文書が入った段ボールの山を前にして、まだまだマンパワーが足りていないということを痛感しました。そのため、自分のまわりにいる科学史・医学史研究者に積極的に呼びかけて、また参加したいと強く思いました。これまで、科学史・医学史という分野では、資料保全やアーカイブズに対する関心があまり高くありませんでした。今回の資料調査のように、複数人で一次史料の整理作業をおこなうことは少ないですし、それぞれの研究者の専門とする時代・地域・分野(物理学、化学、生物学、医学など)が大きく異なるため、資料調査のノウハウが共有されることもあまり多くありません。そのため、今回のような組織化された資料調査に参加することは、互いにとって良い機会になるだろうと感じました。

 以上のレスキュー活動に加え、10 月2日(水)には仙台市の荒浜地区や亘理町立郷土資料館などの巡検をおこないました。平野部で世界最大級の被害を受けたとされる荒浜地区には、住宅の基礎、生い茂った雑草、津波によって変形した松の木、そして慰霊のために建てられた仏像や石碑が残されるのみです。平日にもかかわらず、少なからぬ数の人々がこの地へ慰霊に訪れるのをみて、犠牲になった人の多さに思いを巡らさずにはいられませんでした。一方、郷土資料館では、同館学芸員の菅野達雄さんを中心に、町内で被災した資料の修復・整理作業がおこなわれています。ここでもやはりレスキューされるべき資料の数に対し、作業人員が圧倒的に不足しているようでした。なお、亘理町は津波被害にあった家の同町内での移住計画を進めているようですが、被災者のなかには県外に出て行くという決断をする方も少なくないようです。被災地における地域コミュニティのあり方が今まさに変わりつつあると言えるかもしれません。
  
 
  名取市閖上地区の様子 (10月2日)


 最後に、今回、貴重な機会を提供していただいた蝦名裕一さんに感謝申し上げます。スタッフの方たちが親切に出迎えてくれたり、終始和やかな雰囲気のもと作業が進められたりしたのも、蝦名さんのお人柄によるところが大きいでしょう。また、医学史・科学史の分野で最も精力的に史料保存活動に取り組んでいる廣川和花さんから、今回の資料調査へお誘いいただいたこと対してもあわせて御礼申し上げます。




 【附記】昨年に引き続き、藤本さんをはじめ、参加者の皆さんには遠方から駆けつけていただき、作業にご協力をいただきました。心より御礼申し上げます。長期にわたる被災史料の保全活動ですが、こうしてご協力いただく方々のお気持ちに支えられていることを実感する今日この頃です。(事務局・蝦名)【写真2】名取市閖上地区の様子(10 月2日)【追記】

 本号は、10 月18 日付けでご寄稿いただいたものです。佐藤の不手際で、配信が大幅に遅れておりました。藤本さんに、謹んでお詫び申し上げます。(事務局・佐
藤大介)
206(2013 年9 月30 日)

 NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク創立10 周年シンポジウム 「災害を超えて」を開催
 
 9 月28 日、宮城歴史資料保全ネットワーク設立10 周年シンポジウム「災害を超えて―宮城における歴史資料の保全 2003〜2013―」を、東北大学片平さくらホールにて開催しました。参加者は73 名でした。

 シンポジウムでは、宮城資料ネットの発足やその前史、東日本大震災での被災史料レスキューにおける史料ネット、被災自治体、国の活動に関する報告とコメントが行われました。パネルディスカッションでは、10 年の活動や震災を経て、地域での事前調査と信頼関係の重要性、史料保全活動に取り組む主体の問題、南海トラフ地震など憂慮される「次」の大災害へ向けた課題が確認されました。

 各地の史料ネット関係者に加え国、自治体からの報告を得たことは、宮城資料ネットが取り組んできたネットワーク型での歴史資料保全活動の一つの結実だともいえます。一方で組織運営や活動の普及、所蔵者や地域との関わりについて多くの課題も見いだされました。10 年間の活動をふまえたさらなる活動の深化とともに、巨大災害を経験した組織として、全国各地への教訓の伝授や活動の普及も重要な役割となるでしょう。

 シンポジウムを新たなスタートとして、引き続き活動に取り組んでいきます。なお、本シンポジウムの記録については、追って公刊を予定しています。(佐藤大介)

   

  
205 号(2013 年8 月30 日)

       岩手県陸前高田市・吉田家文書の整理を実施

 事務局佐藤大介です。8 月24 日から26 日の三日間、宮城県多賀城市の東北歴史博物館で、同館所蔵の岩手県陸前高田市・吉田家文書の整理作業を実施しました。参加者は宮城県内に加え、埼玉、東京、兵庫などから、合計38 名でした。
 吉田家、および吉田家文書の概要と、今回の活動の経緯については本ニュース202号をごらんください。今回の作業では、冊子体の史料と、7 月2 日に整理した一紙史料、あわせてダンボール14 箱分の撮影を行いました。撮影した画像データは、21,014 コマ(重複写真など整理前の速報値)となりました。これらの画像は、岩手県陸前高田市での歴史文化を活かした復興に際し、関係者での参考資料として活用される予定です。
 今回の調査に際しましては東北歴史博物館に多大な便宜を図っていただきました。末筆ながら記して御礼申し上げます。

(参加記)
     岩手県陸前高田市吉田大肝入文書の保全・整理作業に参加して
                             東北大学文学部日本史専修3 年 熊谷綾

 8 月24 日から26 日まで、東北歴史博物館での気仙郡大肝入吉田家文書の保全撮影作業に参加しました。
   
                                     東北歴史博物館での作業風景(8 月25 日)

 かつての仙台藩の沿岸北部に位置する気仙郡は、現在の岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町と釜石市の一部を含む地域です。吉田家はその気仙郡を管轄する大肝入を務め、陸前高田市の今泉地区に屋敷を構えていました。

 しかし2011 年の東日本大震災により、気仙川沿いの吉田家住宅と図書館に寄託されていた吉田家の古文書は海水損し、レスキューされた資料は現在も応急処置と修復の段階にあります。これまでに私は陸前高田市立博物館や岩手県立博物館において、被災資料の安定化処理を学ぶ機会を得ましたが、そこで見たのは汚泥にまみれた膨大な量の古文書や民具等でした。
 そんな中、東北歴史博物館に所蔵されていた吉田家文書が被災を免れていたことを知りました。実際に史料が入った段ボールが積み重なっているのを見たとき、陸前高田市で生まれ育った私は泥が付いていない郷土資料の存在に安心し、一方では資料保全作業の初心者として緊張感を持ちました。
 今回は、デジタルカメラでの古文書撮影と中性紙封筒への封入作業を行いました。分厚い冊子から切り継ぎされた一紙物まで様々な形態の史料があり、広げて見るたびに次はどんなものが出てくるのだろうと興味津々でした。
 勉強不足で古文書は簡単な部分しか読めませんでしたが、周囲の先生方から史料の内容や研究の端緒になりそうな部分などについてお話を聞くことができました。この吉田家文書を本格的に利用できれば、近世の気仙郡や仙台藩について新しい事実が発見されるのは確実ではないかと思います。
 震災後は、海水損した歴史資料のレスキューや保存修復が注目されています。私自身も被災資料に触れる経験をしたことで、被災古文書を「紙」として残していくという意識を持っていました。しかし今回の撮影作業では、古文書に書かれた地域の歴史的情報の価値もまた強く感じました。
 東日本大震災から2 年5 か月以上が経過し、陸前高田市や被災地の状況も変化しています。私の主観的な見方ではありますが、郷土史に対する住民の関心が高まっていると感じます。たとえば、震災直後は瓦礫の写真や浸水域の航空写真を掲載した記録集が多く出版されていましたが、現在は郷土史関連の書籍も新たに刊行されるようになってきました。
     
                                       一紙史料の撮影(8 月25 日)

 しかし、現状では陸前高田市の新市街地はいまだ土地造成の段階で、住居や公共施設・商店の多くが仮設のままであり、博物館や図書館の復旧の時期はいまだ明確ではありません。陸前高田市の各機関や地域住民が、自らの手で歴史資料を保管し本格的に利用できるようになるのは、まだまだ先のことではないかと思います。

 今も被災資料に対する全国からの技術的・人的な支援が継続されています。支援を与える側と受ける側という一方向の関係ではなく、援助者に学術的な情報や資料保全のノウハウを還元し、地域住民と援助者がともに歴史資料を活かしていければと思います。
 最後に、貴重な経験の機会を下さった宮城歴史史料保全ネットワークの皆さま、東北歴史博物館の皆さま、多くのご指導を頂いた保全・整理作業の参加者の皆さまにお礼を申し上げます。

 第204 号(2013 年8 月6 日)

    石巻本間家土蔵修繕工事の監理の現状

 宮城資料ネット建築班の佐藤敏宏です。委任を受け歴史的・伝統的建築の被災調査や応急処置の監修と提案を行っています。その一つ「石巻市本間家土蔵の修繕工事」の監理をも行っています。3・11大津波に遭い奇跡的に残った本間家土蔵の修繕工事の現在について下記の5 項目に沿い中間報告をいたします

1)宮城歴史資料保全ネットワークに「建築班」ができた経緯
2)石巻本間家土蔵修繕工事に監理における各段階での問題
3)修繕工事の現在
4)本間家土蔵と2 年3 ヶ月関わり学んだこと(以下、次回報告に続く)
5)今後の対応と課題

1)建築班ができた経緯

 佐藤敏宏は3・11以前から全国各地の建築系の若者などを我が屋や設計した建築に招き、「他者の所有物である建築の共有の方法と課題など」について語り合う場を「建築あそび」と称し、30 年ほど継続・実践していました。専門的な学会や大学系列によらない人と人の交流を自主活動によって行っていました。
 建築は社会の総力が生み出す、現在の知を体現する物の配列の集合です。したがって「所有」といった概念でのみ建築を扱うことは、知のアクチュアルな状況やその課題を見失い、次の建築や人と人との交流のありかたの可能性を拓く路を自ら閉じてしまことになるだろうといった想いが動機です。30 年間ほどの間に得た人間関係は日本各地の建築系はもとより、まちづくり系、歴史系、ジャーナリズム系などの多数の専門家と多くの市井の人々に渡ります。その様な多数の他者との交通・交流が、自営で建築設計業を営む「野の者」の私の日常にはありました。

 それらの交流で出会った一人、京都市の構造設計を営む満田衛資さんなどが呼びかけ人となり、関西や東京の人々から義援金を集めたようで、2011 年3 月末日、私の口座へ義援金が振り込まれました。「3・11後の『お前の活動』は『俺の活動』だから、使用目的は制限しないが被災地で何か活動し俺に代わって報告しろ」という内容でした。

 宮城資料ネット事務局の佐藤大介とは親子で、ホームページの更新を手伝っていたこともあり大震災直後「事務局のある建物は被災し使えず、宮城県内はガソリンも無く、車も動かせず、サーバーも動かない等、身動きが取れない状況を知っておりました。送られて来た義援金を宮城資料ネットで活用すべく、車と運転手を手配し、宮城資料ネットを4 月4 日訪ねました。「まずは被災地を観て歩こう」ということになり、宮城石巻市や村田町などを2 日掛け調査し、多数の震災被災地と多数の被災土蔵等と出会うことになりました。

 双子の蔵で東側の一棟だけが奇跡的に残った石巻市の本間家土蔵も、この調査で出会いました。瓦礫の中に在った本間家土蔵を観察してみると、屋根や壁が傷ついてはいるものの構造上破壊してない事が分かりました。「修繕費は150 万円ぐらいなので、送られて来た義援金を使えば修繕できる」と2011 年4 月4 日に思いました。が、自衛隊の方々が目の前で全ての建材を無料で処分している現場ですので公言を控えました。被災した建物を「震災ゴミ」にするか「震災遺構」にするか、誰が判断するのかさえも不明な時期です。

 2 日間の活動によって「建築系の人と歴史系の人が連携すると土蔵と古文書の所有者の話し合いや今後の連携もスムーズに行きそうだよ。何しろ土蔵の応急手当をするとその場で喜ばれる」。その体感が「建築班をつくろう」という言葉になりました。

 ところで、建築物は所有権を発生させることで税を徴収したり、抵当権が付加され融資を受けたりするので、権利関係が常に複雑です。うかつに既存建築と関わると事件に巻き込まれるのは当然の理です。そこで、宮城資料ネットの建築班は何をするのか」明示していただきました。被災土蔵の修繕工事をすすめるには、@修繕工事の請負指示書の作成と工事の監理が不可欠です。またA被災した土蔵から出る、現在では手に入れることが難しい古い建材の整理と保管と管理、B粗壁や漆喰仕上げができる職人探しなどが必要です。A、Bまでは踏み込むことはない(できない)と思いましたので、建築班の活動に社会的責任を持たせ活動内容を明示した「委任状」を出していただくよう事務局に依頼しました。平川理事長より2011 年4 月11 日に委任状が発行されました。そこから建築班の活動は始まり、現在に至ります。

2)石巻本間家土蔵修繕工事の監理における各段階での問題

 文書蔵を残そう動画 2011年4月15日公開)

 震災メモリアルとして残る
 2011 年4 月4 日の段階で石巻市の本間家に残った土蔵は、表面は傷ついているものの建築本体は破損しておりませんでした。4 月12 日に念を入れるために、古建築の修繕・移築などを専門の一つとしている金沢市の橋本浩司さん・中村彩さん、京都市から構造家の満田衛資さんに来ていただき、被災現地の再調査をおこないました。東北大学にある宮城資料ネットの仮事務局に戻り、手描きの報告書を作り平川理事長に提出いたしました。再調査実施の翌日に、持ち主である本間英一さんにも届けられたそうです。本間さんには「こちらで修繕します」と伝えておりましたが、解体しようか迷っている様子でした。本間さんは報告書を読み「我が屋の土蔵を残そう」と決意したと後に聞きました。

 4 月12 日の調査時点で、自衛隊の瓦礫処理班は大きな重機を慣れない手つきで動かしながら本間家土蔵の目と鼻の先まで来ていたので、調査報告書作りなどの対応は檄を飛ばし急がせました。召喚した建築班の仲間に息もつけぬような対応をいただき報告書を提出することができました。工事費については「義援金があるので建築班で払ってもよい。しかし多数の人々と『3・11』を共有することの方が、社会的な意義が大きくなるのではないか」と、宮城資料ネット事務局に口頭で伝えました。

 建築班調査の後、石巻若宮丸漂流民の会、石巻千石船の会を中心に「土蔵を震災メモリアルとして残そう」という運動が展開されました。2011 年5 月26 日の産経新聞を皮切りに、9 本の記事が発信されました。各地のジャーナリスト達によって作られた記事により、全国津々浦々の人々に伝わる幸いも起きました。多様な事態が重なり、アメリカやロシアの方を含め大勢の方々から325 万円ほどの修繕等用義援金をいただくことになりました。 建築文化財ではない、単なる私的土蔵のための修繕資金が集まることは「建築的公共圏の連携」とでも表すべき奇跡的事態だと思いました。

 地元の工務店にお願いする
 義援金が集まった初頭の問題は、@工事を地元の方にお願いするのか、A土蔵修繕などの主にしている専門家に請け負ってもらうか、その選択をどうするかです。本間さんは「長年屋敷の修繕をしていただいている地元の工務店にお願いしたい」とのことでしたので、本間さんと共に工務店を訪ね見積もりを依頼しました。見積もり書は左官工事を除き5月25日に145万円ほどで提出していただきました。 地元工務店にお願いするマイナス面は、震災特需で各種職人の手配がままならず、工期がどの程度掛かるか示されないだろうということです。

 「(人が居住する)住宅ではないので、地元の速度に合わせていこう」ということになりました。「工事を急がず、頂いたお金を被災地の人々の間で運用しよう」という、支援者の願いを選択したわけです。工務店は「やる」とは語るものの、着工時期が示されないまま8ヶ月ほどが過ぎました。

 確認書を取り交わす
 2011 年末に石巻震災土蔵メモリアル基金会則ができたのを受け、2012 年1 月21 日、建築班は本間さんと話し合い確認書を取り交わしました。確認内容は主に5 点です。

@集められたお金をメモリアル基金に移動し、使える総金額を把握すること。
A集められたお金の使い方は本間さんの意思によると明示してもらうこと。
B建築班で関わる内容は下記の通り。
・工事の請負契約に立ち会う
・工事内容を確認する
・工事が完成したら確認する
・報告書については別途打ち合わせとする
C150 万円以上の基金が集まった場合は、本間さんの意思で土蔵関連の経費として使用する。その使途は佐藤敏宏が監理する。
D工事完成後は一般の人々に内部を公開したいので同意していただく事。合わせて展示パネルやフリーペーパーなどを作り配布する。

 以上の5 項目について確認書を交わしました。また、集まった基金に対し本間さんに贈与税が課税されないよう税理対策を本間さんにお願いしました。公開は1 階を主とすることなどを口頭で補足確認いたしました。

 工事契約を結ぶ
メモリアル基金への義援金の総額と移動の確認を済ませた後、2012 年3 月1 日工事請負契約を地元の宮林工務店と結びました。左官工事見積もりの提出を求めましたが、「手配がつかない」ということで先送りすることになりました。

 工事の進捗記録です。
・2012 年3 月16 日 南面庇工事
・ 3 月22 日 東面下屋木工事
・ 4 月 1 日 下屋一文字葺き完成

 区画整理計画によって土蔵移築か?
 2013 年4 月10 日、石巻市の区画整理の現地説明会にて「区画整理事業に土蔵が掛かり移築するしかない」との話が起こりました。コンサルの担当者が現地を見ないで計画したようですが、その後「震災メモリアル土蔵」のある現地を見て変更図を提出してきたそうです。本間さんに届いておりました。


 2013 年の工事経過
 ほぼ1 年中断された工事は、地元の瓦屋さんの手配がついたことで、今年の春より再開となりました。
・2013 年4 月10 日
屋根工事完成 下屋に雨戸が付く
・5 月11 日
請負工事代金160 万円を支払う
・6 月12 日
工費100 万円以内を条件に左官工事を始まる
・7 月23 日左官工事の現在を確認する



3)修繕工事の現在

 7 月23 日現在、最後に残った左官工事について報告いたします。土蔵4 面の傷ついた海鼠壁は元の古い焼き物の素材がゴミとして処分されてしまったので、軽量プレミックスモルタルで、下地形状を作っては乾かし、重ね塗りを繰り返しているところです。今後 数ヶ月掛かると推測しております。漆喰で飾られていた両開きの扉は加工が細か
く、再生復活は難しいので、一端全て落とし下地ができたところです。先のモルタルで下地を塗り重ね、乾かした所定の厚みになった段階で細工物を付ける予定です。
 
 なお、工事監理活動直後から本間家土蔵報告用HPを作り更新しております。土蔵の修繕経過とともに、本間英一さんによる石巻市門脇二丁目・三丁目・四丁目の復興の記録「門脇町2〜4丁目コミュニティニュース」などが随時更新されています。目を通していただければ幸いです。
 http://www.hanadataz.jp/k/001/00/honma00.htm






(注記)
宮城資料ネット建築班における「修復」と「修繕」の定義
1)修復とは 古い技術をよみがえらせ古いままの手法でなおす 修繕した箇所が不明になる
2)修繕とは 現在の技術を使ってなおす
同じ建築物に古い技術と現在の技術が同置することで被災後の修繕箇所がわかる
修繕後に技術とお金が集まれば「修復する」ことが可能であり緊急時の応急的処置である

 号外(2013 年8 月2 日)
  NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク 2013 年7 月末 豪雨への対応

 事務局佐藤大介です。2013 年7 月末、列島各地で集中豪雨による被害が発生しております。各地で被災された方に御見舞申し上げます。
 宮城資料ネットが活動エリアとしている宮城県および岩手県南部の旧仙台藩領では、特に宮城県北部から岩手県南部にかけて、震災で地盤沈下が起こった沿岸部や、河川沿いで冠水の被害が出ているようです。 このうち、岩手県一関市の東部、旧東磐井郡の東山町、大東町などでは、地元の関係者から、例を見ない土砂災害が発生しているとの情報がもたらされましたので、文化財関係の被害状況について確認しているところです。

 一関市東山町では、本会会員でもある東山公民館長・畠山篤雄さんを通じて、公民館への掲示と防災無線により、水損した文書の応急処置が可能であることを呼びかけていただくことになりました。地元では災害復旧に追われる段階だとのことですが、対応すべき事案が発生次第、直ちに出動できるよう、準備を進めたいと思います。近年の風水害は、「観測史上最大・・」という言葉を見聞きすることが多くなったように思います。大規模な風水害に対するレスキュー体勢も、各地で十分な体制を整えておくことが必要でしょう。
203(2013 年7 月22 日)

      「災害を超えて」開催のお知らせ

事務局佐藤大介です。宮城資料ネットは、2003 年7 月26 日の宮城県北部での連続地震を契機に産声を上げました。今年は活動を始めてから10 周年になります。

その記念行事として、シンポジウム「災害を超えて―宮城における歴史資料の保全 2003〜2013―」を、9 月28 日土曜日 に開催することになりました。詳細は下記の通りです。多くの方のご参加をいただけれ
ば幸いです。
 
  宮城歴史資料保全ネットワーク10 周年記念シンポジウム
  「災害を超えて―宮城における歴史資料の保全 2003〜2013―

◆開催趣旨
2013 年は、2003 年7 月宮城県北部地震の発生から10 年、2008 年6 月岩手・宮城内陸地震から5 年という節目の年にあたる。その間、県内各地で災害から歴史資料を救済・保全する取り組みが進められてきた。本シンポジウムでは、東日本大震災を含め10 年間の内に3 度の大規模地震を経験した宮城県内各地における歴史資料保全の活動経過と、それぞれの立場からの展望について議論する。

◆日程
日時:2013 年9 月28 日(土) 13:00〜17:00
会場:東北大学片平さくらホール2 階会議室
 (東北大学片平キャンパス:仙台市青葉区片平2 丁目1-1)
 *東北大学片平キャンパス
 http://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/campus/01/katahira/
 http://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/campus/01/katahira/areae.html
 「E-1」の建物

・主催:NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク
・共催:東北大学災害科学国際研究所

◆プログラム:(タイトルは仮題)

・13:00 開会
・13:00〜13:10 開会挨拶平川新(東北大学災害科学国際研究所 所長/NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク理事長)
・13:10〜13:40 報告@ 天野真志東北大学災害科学国際研究所 助教)
               「10 年目の歴史資料保全〜宮城資料ネットの活動
・13:40〜14:10 報告A 斎藤善之(東北学院大学経営学部 教授/NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク副理事長)
               「南三陸地域における大震災前後の歴史研究活動の成果と課題
                   −地元の人々と共に歩んだ史料調査十余年を振り返って−

・14:10〜14:20 休憩(10 分)

・14:20〜14:50 報告B 石黒伸一朗(村田町歴史みらい館)自治体から@〜村田町の活動〜
・14:50〜15:20 報告C 大場亜弥(栗原市教育委員会)自治体からA〜栗原市の活動〜
・15:20〜15:30 コメント@ 建石徹(文化庁美術学芸課)
・15:30〜15:40 コメントA 小林貴宏(山形文化遺産防災ネットワーク事務局)

・15:40〜16:00 休憩(20 分)

・16:00〜17:00 総合討論
 パネラー 平川新・齋藤善之・石黒伸一郎・大場亜弥・建石徹・小林貴宏・天野真志
(司会:佐藤大介)

・17:00〜17:10 閉会挨拶
・18:00〜 懇親会 (レストラン萩-hagi- 東北大学片平キャンパス北門 新食堂2F
            *参加申込について
・シンポジウムへの参加事前申込は不要、入場無料です。
・懇親会への参加を希望される方は、下記テンプレートに必要事項をご記入の上、*9 月19 日木曜日*まで
に事務局まで御連絡ください。
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宮城資料ネット10 周年シンポ 懇親会参加申込書
・お名前:
・ご所属:
・電話番号(当日連絡可能なもの):
・メールアドレス:
 
202 号(2013 年7 月18 日)

 陸前高田市の大肝入吉田家文書の整理について―作業支援のお願い―

                   理事長 平 川 新

 このたびの大震災により岩手県陸前高田市は途方もない被害をこうむりました。その困難を克服し、なんとか立ち直るべく、地元の方々は必死の努力を続けておられます。関係者の方々のご奮闘に敬意を表すると共に、私たちで力になれることはないかと模索しておりました。

 歴史関係のニュースとしてご存じの方も多いと思いますが、陸奥国気仙郡(仙台藩)の大肝入(広域行政を担当する地域側の役人、他地域の「大庄屋」などに相当)であった吉田家文書の「定留」類(100 冊余)が流出を免れ、岩手県立博物館や国会図書館などのご協力によって洗浄と修復が行われてきました。地元の郷土史関係者の方々も、「定留」が守られたことを喜び、地域復興の心の支えにしておられます。

未整理でしたので公表されていなかったのですが、この「定留」以外の吉田家文書が宮城県の東北歴史博物館に大量に収蔵されていました。状物(一紙に書かれた文書)が中心ですが、長持ち2棹分ですので5 万点は越えるのではないかと思われます。7 月2 日に実施した予備調査では、17 世紀後期からの史料が確認できております。仙台藩の気仙代官所関係の史料もあり、広域的な地域行政のあり方が解明可能な史料群です。もちろん陸前高田をはじめとする被災地の歴史の復元には欠かせない、貴重な史料群となります。

 先日、陸前高田市の古文書研究会や文化財保護委員の方々が東北歴史博物館を訪れてこの文書群と対面されました。その驚きと喜びのご様子を間近に拝見して、私たちも胸がつまる思いでした。早く読みたいですね、早く使えるようになるといいのですが…とつぶやいておられるお姿に、私たちも何とかできないかという思いを強くした次第でした。 そこで東北歴史博物館とご相談をして、下記の段取りで吉田家文書の整理を進めることにいたしました。

@史料全点を保存用封筒に封入し、デジタルカメラで全点撮影をする。
A撮影済みの史料の目録を作成する。
   
     東北歴史博物館蔵・吉田家文書(一部)      (2012 年3 月27 日撮影)

 つきましては皆さまにお願いです。@の保存用封筒への封入と写真撮影の作業を下記の日程で実施することにしました。古文書が読めなくても可能な作業です。

■陸奥国気仙郡大肝入吉田家文書整理作業
・日程:8 月24 日(金)〜26 日(月) (部分参加も可)
・場所:東北歴史博物館(宮城県多賀城市、JR 東北線国府多賀城駅前)
*初日の8 月24 日は午前10 時に東北歴史博物館に集合
*25 日・26 日は午前9 時に作業開始
・募集人員:20 名程度
・備考:学部生・院生には謝金を予定しております。
:宿泊等はご自身でご手配ください(仙台駅周辺が便利です)。

 歴史文化を活かした被災地の復興と、人々の心の拠り所としての歴史再生のための作業に、ぜひ多くの方々のご支援をお願いいたします。参加が可能な方は下記にご記入のうえ、宮城資料ネット事務局にお知らせください。

吉田家文書整理作業参加申込書
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お名前:
ご所属:
メールアドレス:
ご住所:
電話番号(携帯など当日連絡可能なもの):
参加日程: 全日程 部分( )
ご参加の動機・連絡事項:
----------------------------------------------------------
■返送先:宮城資料ネット事務局 office@miyagi-shiryounet.org
   締め切り:7 月29 日(月)
201 号(2013 年7 月18 日)

       G家資料のレスキュー

        石巻市教育委員会生涯学習課 佐々木 淳

2013年6月4日午後1時頃、当課へ、古文書を所蔵しているG家が取り壊されることとなり、その古文書が失われる可能性があるとの情報が入った。 G家は、1985年に、石巻文化センター開館準備のための資料調査の一環として、庄司恵一氏と佐々木とで整理した古文書を持った家と思われた。津波の直撃を受けた文化センターから、運よく見つけた古い住所録があったので、その家の電話番号や住所はすぐにわかった。電話をかけてみたが誰も出ない。 そこで、まず、佐々木、文化財グループリーダーともう1名で、現地に確認に向かった。

 G家に着いてみると、やはり、1985年に整理した古文書を所蔵しているはずの家であり、すでに解体業者が家財等を分別して、大きな袋に詰めているところであった。幸い、ご当主がいらっしゃり、お話をすることができた。

 ご当主からは、「古文書は持っていたとは思うが、今はどこにあるかわからない。もしかすると、ないかもしれない。もし、あれば、教育委員会で持って行ってもかまわない。その他書籍類も同様に持って行ってもいい」とのことであった。

 建物は、大きな軸組は無事だと思われるが、後世の補修部分が、かなり傷んでいるようであった。建物に入ると、すぐに、破れた襖や屏風があり、その下張りに古文書が使われていることが分かった。となると、もし元々の古文書が見つからなくとも、襖や屏風だけでもレスキューする必要があると思われた。

 ご当主が、古文書があるとすればここだという場所は、納戸らしく、薄暗い。とりあえず駆けつけただけで、懐中電灯もない状況では、捜索するのも困難であった。解体業者に話を聞くと、家財の運び出しには数日かかるとのこと。翌日は、業務が立て込んでおり、市教委単独で対応するのは不可能と思われた。
 

 そこで、その場で、特定非営利法人宮城歴史資料保存ネットワーク(以下「資料ネット」と略す)の佐藤大介氏に電話し、出動を依頼した。出動は可能との返事をいただき安心した。また、G家の本棚から運よく85年に作成した目録を発見することができた。この目録は、当時のことゆえ手書きであり、また原本は津波で流出していたため、市教委にはなかったものである。佐々木のうろ覚えでは100点以上あり、人数改帳が複数あったこと以上のことは思い出せなかったので、非常に幸運であった。

 解体業者へは、下張りの古文書を示し、このようなものについては、明日までは手を付けないようにお願いし、了解を得た。解体は、まだ始まったばかりであり、明らかに古文書ではない家財が、まだ大量にあったので、作業が止まるなど、解体業務の妨げになるおそれはないと思われた。現場作業員のチーフが現場代理人と連絡を取ってくれ、協力を得ることができた。そこで、いったん市役所へ戻ることとした。

 本庁へ戻り、佐藤氏と細部の打ち合わせをするとともに、文化財レスキューを実施する旨の連絡を、解体業務を発注した市の担当課へも行い、さらに解体業者へファックスで協力依頼の文書を送付した。佐藤氏から、85年に佐々木と一緒に古文書整理を行った庄司恵一氏へも声をかけたので、都合がつけばいらっしゃるとのことで、庄司氏が来れば、見つかる可能性は高まると思われた。

 翌6月5日は、午前10時集合とし、市教委は、佐々木ともう1名が現場へ向かった。全員が集まる前に、近所にお住いの親戚の方と会うことができた。文化財レスキューの内容をお話しすると、協力していただけることとなり、経緯を書類で残す必要がある旨説明したところ、所蔵者と連絡してこちらに連絡を入れてくれるように依頼していだけることになった。実は、前日にお会いしたご当主は、連絡先をお聞きする間もなく、帰られていたのであった。

 全員が集合し、佐々木から経緯及び解体業務の妨げにならないように等の注意事項を話し、古文書の捜索及び下張り文書の選別に取り掛かった。まず、佐々木が、納戸の中二階的なところに上がったところ、すぐに「古文書」と書かれたシールが貼ってある段ボールを見つけた。開けてみると、石巻文化センターの整理用封筒に入った古文書が入っていた。早速明るいところに出し、点数を確認してもらった。もしかして全点あるかと思ったら、残念ながら、目録の後ろ半分だけが入っていた。ということは、年代順に整理したので、近世の部分は、ほとんど入っていない。

 G文書で特筆すべきは、近世の牡鹿郡陸方地域でわずかしか残っていない「人数御改帳」があることとである。文書の前半部分がないと、G家文書の特徴が失われてしまうこととなる。そのため、納戸へ引き返し、また、中二階部分を探し始めた。 納戸は、現代の布団・近世の食器セット・長持など雑多ものが置いてあり、もし見つからないときは、大人数を集めて、すべての家財を出すしかないと思い始めたとき、納戸の下を捜索していた佐藤大介氏が、布団の中からお茶箱に入った古文書を発見した。

 佐藤氏は、記録写真を撮った後、お茶箱を引っ張り出した。ただちに明るいところへ運び、内容を確認すると、やはり85年に整理した古文書の前半部分であった。欠落がないかどうか、資料ネットのメンバーに確認をお願いし、その他の資料の捜索にかかった。

 襖や屏風は、二種類あり、古いものは近世文書・明治・大正の帳簿等を下張りにしていた。比較的新しいものは、戦後あたりの新聞を下張りにしていた。ちょっと悩んだが、新聞紙の下張りとなっている襖はレス解体中の家屋から襖を搬出するタンスから掛け軸を発見発見された宗門人別帳の照合作業キューしないこととした。 また、額及び軸物もあったので、とりあえずレスキューした。

 近世の食器類など民俗資料的価値及び骨董的な価値のありそうなものもあったが、保管場所・時間的に価値の見極めができないことなどの理由により、レスキューしなかった。

 さいわい、85年に整理した古文書はすべて確認された。ちょうど都合のついた庄司氏も駆けつけ、主要な文書は、茶箱に入っていたとの記憶であったので安心した。その他にも若干の近代文書を救出し、襖等をより分け、資料ネットが用意してくれたワゴン車にレスキューした資料を積み込み、出発したのが、11時過ぎ、仮保管場所へ運び込んだのが、お昼ちょっと前であった。 最初の情報が入ってから23時間、資料ネットに連絡してからでは21時間ほどであった。

 この日の夕方、親戚の方から連絡していただいたG家の奥様から電話があり、寄贈していただけるとのことであった。すぐに手続きを取り、翌週には寄贈の手続きはすべて完了した。

 今回は、通報が入った際に、G家のことは、たまたま佐々木の記憶に残っており、住所録も水損したものの何とか残っていたので、迅速な対応がとることができ、しかも、資料ネットの出動が可能であったこと、所蔵者をはじめとする関係者がすべて協力的であったことが幸いし、間一髪であったとはいえ、レスキューが成功した事例となった。

 これが一歩間違って、G家のことを知っている人物に連絡がつかなかったり、関係者が非協力的であったりしたら、貴重な古文書が失われてしまう可能性があったと思われる。特に解体が始まっている状況では、迅速な対応ができないと致命的であることが改めて確認できた。

 一方、レスキューしなかった民俗資料等については、レスキューする価値のあるものもあったかどうか、もっと時間があれば、詳しく調査することができたという思いもある。

 ともあれ、今回は、一応レスキューに成功し、貴重な資料を保存することができた。佐藤氏・天野氏をはじめとする資料ネットのメンバーの方々、所蔵者・解体業者等関係各位に心からの謝意を表します。

200 号(2013 年7 月17 日)

   支えてくださったみなさまに、心から感謝します

    NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク 理事長 平 川 新

 宮城資料ネットが活動を始めてから、間もなく10 年になります。きっかけは2003 年7 月26 日に発生した宮城県北部地震(震度7 強)でした。この地震のあと、8 月5 日に最初の震災情報を発信しています。内容は、現在、被災地の状況を調べており、レスキューが必要となれば参加を呼びかけるので次の連絡を待ってほしい、というものでした。まだ宮城資料ネットは発足しておらず、メールニュースという位置づけでもない緊急連絡でした。のちに情報の発信履歴を整理するなかで、これをメールニュース第1 号と位置づけることになったのです。そのメールから、今号で200 号になります。

 ふりかえってみると、2010 年末までの8 年間で93 号を発信しています。年平均12 回弱、月1 回程度の発信でした。しかし、2011 年3 月11 日の東北地方太平洋沖地震の発生以降は、2011 年末までの10 ヶ月で63回発信しました。毎週1回以上の頻度です。2012 年は25 回、2013 年に入ってからは、前号までで17 回となっています。少しずつ緩やかなペースになってきていますが、それでも大震災前の2 倍のペースです。惨状を呈した東日本大震災をうけて、宮城資料ネットがいかに激しい活動を展開してきたのかを、この数字からも知ることができると思います。

 この10 年間で宮城資料ネットが訪問した旧家は、500 軒を越えました。年平均50 軒です。従来の史料調査の常識をはるかにこえた軒数だといえます。また地震が来るかもしれないという危機感が、効率的な調査方法を開発させたのです。調査すべき旧家は無数にあります。所在を確認しデジタル撮影でデータベース化をはかるには、1 軒当たりの調査時間を短縮化する以外にありませんでした。しかし、雑にならずに丁寧に、という写真資料の高品質化も同時に追い求めました。調査のたびごとにノウハウのブラッシュアップをはかり、ついには宮城資料ネット方式という調査スタイルを確立するにいたりました。とくにデジタルカメラによる撮影には、簡単ですが目からウロコのノウハウがたくさん詰め込まれています。

 地域の悉皆調査と1 軒型調査を組み合わせたこの調査方法は、非常時だけではなく平常時の調査にも活用できます。宮城資料ネットのホームページにそのエッセンスを紹介していますので、ぜひ御覧ください(*注)。またデジタルカメラ撮影のノウハウをはじめ、宮城資料ネット方式については日本全国どこへでも出前講座をいたします。ご遠慮なくご依頼ください。
 
    
        古文書のデジタル撮影(2012 年11 月・岩手県一関市)

2011 年3 月11 日、筆舌に尽くしがたい犠牲と被害を生み、世界を震撼させた東日本大震災が発生しました。被災情報の収集、被災地での活動などに、それまでの活動で培ってきた地元の方々との人間関係がみごとなほど活きました。それまでの宮城資料ネットの活動は、たんに資料の保全をはかってきただけではなく、人と人との関係を築いていたのだということを実感することになりました。

 また多くの方々が支援に駆けつけてくださり、多くのカンパも寄せていただきました。これもまた、事務局の私たちにとって大きな励ましとなりました。震災後にも人のネットワークが新しく築き出され、人間関係がさらに大きな広がりをみせたのです。いまもそれは続いています。

 なぜ宮城資料ネットは、この10 年間、走り続けることができたのでしょうか。それは宮城資料ネットに結集してくれた人たちが、平常時と非常時の活動を支え続けてくれたからにほかなりません。震災後には地元だけではなく、遠方の多くの方々も会員になってくださいました。めったに行けないので会員となってサポートしたい、と。ここでも宮城資料ネットは、人と人をつなぐ熱いネットワークを大きく広げたのです。だから宮城資料ネットは、いまも活動を続けていられます。支えてくださった方々に心からの御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 次の300 号は、いつになるでしょうか。それまでのあいだ、平安であることを祈りたいと思います。
 
  
   
        津波で被災した文書史料の応急処置はなお続く(2013 年5 月14 日)

 (これまでに発信したメールニュースは宮城資料ネットのホームページに掲載しています)。
(*注)
・歴史資料保全活動におけるデジタルカメラによる文書資料撮影の手引き(4版2011/11/20)
 
・歴史資料保全活動におけるデジタルカメラによる文書資料撮影の手引き 画像データの集約・管理編

199 号(2013 年6 月28 日)

  NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク被災歴史資料の応急処置に参加して

      ナカシャクリエイテブ株式会社 高橋浩明 石川侑子

 2013 年4 月15 日から19 日まで事務局で被災資料の応急処置をお手伝いさせていただきました。2 年前の8 月に宮城学院の大平聡さんに誘われて宮城県を訪れたときにお邪魔して、蝦名さんからお話を伺い、「やっていき
ますよね」と言われて夕方までお手伝いさせていただいたことがありました。

 それから全然お手伝いにも行けず、何か胸に引っかかったものがあったのですが、今回思い切って休みを取って参加させていただきました。私たちの会社は名古屋に本社があり、文化財関係の仕事をしております。同じような業務を日々行っていることと、石川が防虫・防黴などを担当しているので何かのお役に立てるかなと無理を言って同行させていただきました。

   

 事務局での作業では文書のクリーニングやカビの処理などをさせていただきました。被災資料を初めて実際に目にし、水損資料ということで泥汚れが多いこと、通常よく見るカビのほかに高湿度で発生するカビも多い状況に驚き、様々な状況に対応しなければならない大変さを感じました。

 また、資料レスキューの作業について、ボランティアの方々の体制がしっかりされていたことに驚かされました。2 年前にはこのような体制ではなかったと思いますが、お話を伺い、この間いろいろと体験された結果に導き出された体制であるのだなと感じました。改めて被災資料の整理の大変さを痛感しました。またくずし字を読めない方々に対しても、古文書講座に参加してもらって読めるようにしていくという体制を作り、ボランティアの方々の積極的に参加してくずし字を学ぼうという向上心にも感銘を受けました。 たった1週間しかお手伝いできませんでしたが、もし少しでもお役にたてたのなら幸いです。

(追記)今回は名古屋からお越しいただいた高橋さん、石川さんに参加記を執筆していただきました。2年前にそんなエピソードが…。お二人とも、遠方からお越しいただいた上に、一週間連続で作業にご参加いただき、本当にありがとうございました。(事務局・蝦名)

198 号(2013 年6 月6 日)

     緊迫の21 時間−速報・石巻市での緊急レスキュー

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。6 月5 日、宮城県石巻市で緊急の被災歴史資料レスキューを実施しました。今回の活動は、6 月4 日午後3時頃、石巻市教育委員会の佐々木淳さんからの緊急連絡から始まりました。1985 年に古文書を整理した同市のG家で家屋の解体が始まっており、5 日の出動を依頼されました。G家では佐々木さんら担当者が駆けつけたところ、母屋で下張り文書は確認出来たが、整理済みの古文書は確認出来ないということでした。それらの捜索と、下張りなど4 日に確認された史料を搬出するため、5 日の人員派遣を要請されました。

 佐藤からは即座に出動する旨回答し、その後佐々木さんと携帯電話で情報交換を継続しつつ準備に取りかかりました。短時間での作業のためには一人でも多くの人員を投入することが必要なことは明らかでしたが、メールで参加を呼びかける時間は全くありません。そこで、平日の作業に参加しているボランティアスタッフらに協力を依頼しました。事務局とあわせて9名を確保しました。さらに上記の整理に携わった石巻古文書の会の庄司惠一さんにも一報を 入れ、参加いただきました。

   
   ふすまの搬出
    
   古文書入りダンボール箱の確認

 翌日午前8 時30 分に仙台を出発し、現地に到着したのは午前10 時。地震で建物が損壊し、危険な状態であることは素人目にも分かりました。佐々木さんからの説明を受けた後、建物の解体が進められる中、母屋の物置部分を重点的に捜索しました。整理済みの文書は約130 点とのことでしたが、開始10 分ほどですぐに見つかったダンボール箱には、その半分しか入っていません。史料はどこへ。なお捜索を続け、布団類の中に埋もれた茶箱を発見。開くと古文書が入っていました。その他、江戸時代の古文書が下張りに使われたふすまなどを搬出しました。

     
   布団に埋もれていた茶箱                  茶箱の中には古文書が入っていた

現地での作業時間は45 分。「一日捜索したが発見できず、解体がれきとともに文書は消滅」という事態も考えられただけに、結果的に短時間でレスキューを完了できたのは幸いなことでした。搬出した史料は石巻市内の保管場所に移送し、すべての作業が終わったのは午後12 時。第一報から搬入まで、約21 時間で活動を完了しました。

 建物解体に伴うレスキュー対応は全く予断を許さない。そのことを改めて確認した活動となりました。

197 号(2013 年6 月3 日)

 NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク一関市O 家の歴史資料レスキューに参加して
 君津市立久留里城址資料館 布施慶子

 5 月20 日、一関市O 家の歴史資料レスキューに参加しました。参加記を書く機会をいただきましたので、乱文ですが寄稿させていただきます。

 概要はすでにネットニュース196 号でご報告があった通りですが、今回、レスキューの対象となったのは一関市O 家の土蔵一棟分です。一関市芦東山記念館から宮城資料ネットへの要請があり、実施に至ったとのこと。状況確認調査を経て、5 月20 日が本格レスキューの日でした。参加者は一関市の方々、宮城資料ネット事務局とボランティアのみなさん、そこに千葉から4名が参加させていただき、総勢19 名で、10 時半ころから作業を開始しました。

    
       土蔵から長持を搬出

 梁の折れた状態の土蔵(平屋)は全壊レベルということです。内部には大量の文書史料や家具・調度品・什器・民具などがありました。内部の物をすべて庭に搬出し、文書史料などの紙類と民具などの物類に分けて大まかな清掃を行いました。
 文書史料は39 箱にのぼり、内容は養蚕や他産業の教本や記録・日誌・和本・教科書・写真などでした。O家や地域の産業の歴史がこの中にあるのでしょう。これらは事務局に搬送され、さらに丁寧な清掃や整理が行われるとのことでした。

 民具などは庭に避難させた形で、後日、所有者が判断をされるそうです。小さくまとめてブルーシートで養生し、現場での作業は、3 時頃に終了しました。

 以下に雑感などを徒然に書いてみます。まず今回、千葉から4 名が参加した経緯です。千葉県の旧君津郡4 市では、社会教育関係職員の交流が盛んで、様々なユニットで研修などを行っています。これらに関わった学芸員などが、3.11以降、情報を共有して各地のレスキューや研修に参加するようになりました。今回は当初、宮城資料ネットの室内作業・写真撮影の技術・ボランティアの方々の活動などに関心を持つ者が集まり、参加を申し込みました。当日の作業内容は現場でのレスキューとなり、むしろ貴重な機会をいただいたことを感謝しています。また、日頃研修等でお世話になっていた千葉資料救済ネットの後藤恵菜さんがご一緒くださり、大変心強く、作業に臨むことができました。

 事前連絡では、事務局から保険加入の強い要請がありました。建物が危険な状態とのこと。当日、内部で作業した皆さんの服装も、ヘルメットに安全靴でした。O 家の土蔵は、徐々に劣化が進んでいたところに地土蔵から長持を搬出震で打撃を受けた例でしたが、地震から2 年を経てもなお、危険な建物からのレスキューがあるという状況は、千葉にあっては想像しにくいことです。
  
     
       文書に付着したアリを払う

 ほんの1日の作業でしたが、重要と感じたことは、やはり限られた時間内での状況判断です。もう一つ、「流れ」が大切であるように思いました。

宮城資料ネットのみなさんの差配や動きは言わずもがなですが、自分は迷うことばかりでした。例えばカビ被害への対処です。文書史料は、土蔵から搬出された後、大まかな清掃後にスライドチャック式のガスバリア袋に入れ、段ボールに入れる手順で整理していました。搬出されてくる史料にカビ(綿状の白カビと硫黄状のカビ)が見つかると、佐藤さんが簡易マスクの方々にSD2規格のマスクを勧めました。その後、現場がカビの処置を迷っていると、他の参加者から現状に合った方法が示されました。この指示が出る前には、自分も処置を迷いました。すなわち、カビの払拭は胞子の拡散でもありますし、菌害を受けた史料は脆弱です。触らずに二次作業場に処置を送る選択肢もあるでしょうが、作業場の状況や設備も判りません。袋の脱酸素剤の期限も心配です。こうした様々な条件が思い浮かび、各課題ごとの対処は判るものの、一つの座標だけでは決められないために、方法がまとまりません。複合的なバランスで素早く判断する難しさを痛感しました。

    
     搬出した文書の清掃・梱包作業 

 今回、各参加者の価値観や作業のリズムは、時間とともに共有され、自然に形成されていったように感じました。しかし後から思うとこの流れも、参加者の提案を取り入れながら、現場に掉さしておられた佐藤さんの手腕によるものだったと気付かされます。

 所有者との信頼関係も垣間見たように思います。当日は作業の始まる前にご主人のご挨拶がありましたが、作業中のことは全て任されており、信用いただいている様子が判りました。

 ところで、作業の中で変わった生物被害を見ました。アリによる古文書の被害です。後で参加者の一人が調べると、ムネアカオオアリと判りました。古文書内部に迷路のような穴を開けて営巣しており、周囲におがくず様のフラスがありました。ムネアカオオアリによる古文書の被害例を探してみましたが、見つけられませんでした。しかし、文虫研の『文化財の虫菌害防除概説』によると、アリ科全体を記した項に、「一部に朽木に営巣するものがあり…付近の紙製品まで加害することがある。」とあります。初めて見る被害でした。

 それにしても、持ち出した文書史料の量に驚きます。この後の応急処置にも大勢の方々のご協力が必要なことでしょう。また、庭に運びだした民具類も小山になるほどの量でした。今回に限った事ではありませんが、同様の民具たちが歴史を伝える資料として存在していくために、何か現場で出来ることがあるのではないか。自身の課題に思っています。

 最後になりましたが、慣れない参加者を受け入れてくださった平川先生はじめ宮城資料ネットの皆様と、ご指導いただいた当日の参加者の皆様に心から御礼申し上げます。

また、ご一緒に参加した後藤さんの参加記がこちらのブログに掲載されています。千葉資料救済ネットの活動と合わせて、ご覧いただければ幸いです。



 第196 (2013 年5 月21 日)

     岩手県一関市のO家 歴史資料レスキュー

事務局の佐藤大介です。今回は岩手県一関市のO家で、5 月2 日および20 日に実施した歴史資料レスキューの報告です。

◇経緯
今回のレスキューについては、4 月末に地元の文化財調査員から一関市芦東山記念館に、O家の破損した土蔵から古文書その他の史料が大量に確認されたとの情報が寄せられたことがきっかけです。4 月25 日には同館職員の千葉貴志さんと張基善さん(本会会員)が状況を確認し、宮城資料ネット事務局に救援要請がありました。即座に対応する旨を回答しました。

 連絡を受け、先ず憂慮されたのが雨漏りによる被災です。すでに震災から2年以上が経過しています。また、東北地方南部の梅雨入りは、平年6 月初め。それほど時間の猶予があるわけではありません。5 月中にレスキューを実施する前提で調整に入りました。建物が激しく破損しているとの事前情報があったので、最初に建物の客観的な被害状況確認も兼ねて状況確認を行うこととしました。

 今回のレスキュー実施にあたって問題となったのが、本格レスキューの日程調整です。大量の史料確認という情報から、現地での活動は一人でも多くの参加人数が必要だと判断されました。しかし、ボランティアを募集するにも、その参加が比較的得られやすいとおもわれる週末については、梅雨前の6 月初めまで、事務局スタッフは全員公務などで身動きが取れない状態です。一方、要請が入る直前、久留里城址博物館の布施慶子さんを通じて、千葉県内の学芸員有志による仙台市での被災歴史資料対応への参加申込を受けていました。その予定日が、5 月20 日でした。布施さんに事情を説明し、現地でのレスキューへの参加をご快諾いただきました。その後千葉さんを通じて調整を進め、状況確認調査を5 月2 日に実施し、その際に20 日に本格レスキュー実施をお願いする方向で対応することとしました。

◇5 月2 日状況確認調査
 5 月2 日の状況確認調査は、事務局の佐藤と、本会会員の一級建築士・佐藤敏宏さんの2名で対応しました。「梁が折れている」との事前情報の通り、土蔵は素人目に見ても激しく損傷していました。

 佐藤敏宏氏によれば「全壊」レベルとの事で、裏山の樹木が繁茂し風通しが悪くなるなどして経年劣化していた土蔵が、震災で決定的に破損したのだろう、とのことでした。さらに問題は蔵の扉がわずか30 センチほどしか開かなかった事です。

   
      30センチほどの わずかな隙間から史料を搬出(5 月2 日)

最初に訪問した地元の文化財保護委員の方がなんとか扉を開け、10 袋ほどを袋詰めしていたとのことで、今回はまずそれらの史料を土蔵の外にわずかな隙間から史料を搬出(5 月2 日)搬出しました。その上で扉の状況を確認すると、建物の歪みのためか、土蔵入り口の引き戸が収まる部分に柱が数センチほど干渉して扉に引っかかってしまう状態で、それ以上開けるのは困難に思われました。扉が開けられなければ、中の収蔵品を短時間で、大人数で搬出するのは不可能です、何とか扉を開けようと、所蔵者も交えて悪戦苦闘しているうちに、入り口の半分(60センチほど)を超えるぐらいまで扉を動かすことができました。所蔵者の先祖の力添えがあったのでしょうか。

    
    半分程まで開いた土蔵の扉(5 月2 日)

 扉が開いたところで改めて状況を確認すると、搬出したもの以外にも史料が確認されました。しかし膨大な量でしたので、今回は最初に土蔵から運び出した文書の搬出にとどめることとしました。土蔵の扉は閉められないので、20 日までに雨などが吹き込まないようブルーシートを貼りました。合わせて、土蔵の簡易測量を実施しました。
本格レスキューについては、5 月20 日の実施に了承を得ることができました。

   
    入り口へのブルーシート貼り付け(5 月2 日)

◇5 月20 日の活動
 5 月20 日は仙台駅に集合して午前8 時15 分過ぎに出発、約2時間で現地に到着しました。宮城資料ネットからは事務局およびボランティアスタッフの8名、千葉県の学芸員有志4名、さらに芦東山記念館2名、一関市博物館3名、一関市教育委員会生涯学習課2名の7名、合計では19 名の参加となりました。

     
     土蔵内部での活動(5月20日)

 活動では、まず史料の所在確認のため、土蔵内部の品物を一旦すべて外に搬出することとしました。5 月2日に搬出口を確保し、さらに多数の参加を得られたことで、1時間ほどで作業は終わりました。その後、文書と民具に大別して清掃を行いました。文書史料は和本や近代文書などダンボール箱39 箱となり、仙台での半分程まで開いた土蔵の扉(5 月2 日) 入り口へのブルーシート貼り付け(5 月2 日)土蔵内部での活動(5月20日) 搬出した史料の清掃(5月20日)応急処置のため搬出しました。民具類は所蔵者の希望で、追って選別したうえで保管するとのことです。

    
    搬出した史料の清掃(5月20日)


 地元行政との連携、日程調整、ボランティアの参加と、様々な要素が有機的に機能し、今回の活動を無事
終えることができました。関係各位に御礼申し上げます。


195 号(2013 年5 月15 日)

   NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク2013 年4 月の活動

事務局の佐藤大介です。今回は2013 年4 月の各種活動についてご報告いたします。

◇兵庫県淡路地震への対応

4 月13 日、兵庫県淡路島を震源とする強い地震が発生しました。文化財の被災対応については、歴史資料ネットワーク(史料ネット/事務局:神戸大学)が16 日に緊急体制に移行しました。宮城資料ネット事務局ではこれに合わせ、必要な支援について申し入れをおこないました。
史料ネットでは16 日、17 日に兵庫県、被災自治体と連携して現地でのパトロール調査を実施しました。その後、26 日に緊急体制が一旦解除されています。
 また、4 月18 日には奈良文化財研究所から、水損文書などの応急処置について支援申し入れがありました。これは淡路島に加え、東日本大震災の被災地も対象としています。
 5 月12 日、同14 日付の神戸新聞(ウェブ版)によれば、全壊・半壊家屋が80、一部損壊家屋が8800 棟におよび、特に屋根の被災が多いとのことです。東日本大震災被災地でも同様ですが、梅雨時の雨漏り被災は予断を許しません。

◇事務局での活動

 
○被災歴史資料への応急処置
これまでに続き、津波で被災した歴史資料の応急処置と襖の解体作業続いています。中心は、2012年1 月から2月にかけてレスキューした、宮城県石巻市や同気仙沼市の文書史料です。ボランティアスタッフや仙台市内の大学院生とともに、名古屋からのボランティア、東北芸術工科大学竹原万雄ゼミの参加を得ました。参加人数は延べ214 名でした。
    
     
津波被災歴史資料への応急処置(4 月24 日)

○デジタル撮影作業

斎藤報恩会所蔵常盤文庫、宮城県女川町の個人所蔵文書、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門が対応した宮城県大崎市の個人所蔵文書の撮影を進めました。延べ50 名で、13084 コマを撮影しました。

◇各地での活動

○4 月6 日 宮城県加美町での歴史資料所在確認調査
加美町の旧家であるN家とT家で所在確認調査を実施しました。参加者は事務局の平川、蝦名、天野、安津波被災歴史資料への応急処置(4 月24 日)田と佐藤の5名です。主に明治時代以降の書類、写真や美術資料を確認しました。所蔵者の了承を得て、一部を事務局に借用しました。
その中の旧制第二高等学校関連の写真資料について、4 月24 日に東北大学史料館の永田英明准教授に内容確認を依頼しました。これまで未確認の写真が多く含まれていることが分かりました。
   
      東北大学史料館永田准教授による概要調査(4 月24 日)

○4 月11 日 宮城県川崎町S家での保全活動

昨年度3回にかけて写真撮影を実施したS家へ、借用していた古文書30 点ほどを返却しました。事務局の天野と会員の高橋陽一さんが対応しました。
その際、これまで3回の活動で得た画像データをDVDと写真帳で提供しました。あわせて、撮影が未了だった数点の撮影を実施しました。撮影コマ数は6391 コマでした。

○4月27日 山形文化遺産防災ネットワーク
委託被災史料の引き取り東日本大震災の被災資料については、山形歴史遺産救済ネットワークが、宮城資料ネットでレスキューした分も含め、沿岸各地の史料レスキューを実施しています。4 月27 日、処置を終えた史料ダンボール10 箱を、山形ネットの作業場所兼保管場所である東北芸術工科大学文化財保存修復センター(山形県山形市)より引き取りました。事務局の佐藤が対応しました。
膨大な被災歴史資料への対応において、山形ネットの役割は極めて大きなものがあります。関係各位に改めて御礼申し上げます。 山形ネットの被災歴史資料対応の活動も依然として続いております。多くの方のご支援をよろしくお願いいたします。
     
       東北芸術工科大学での搬入作業(4 月27 日)

  194号(2013年4月17日)
 
     淡路島地震の情報(2報)

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。13日の淡路島地震における歴史資料ネットワークからの調査報告が、同事務局の吉川圭太さんから届きましたので転載いたします。大きな被害はないとのことで安堵いたしました。宮城資料ネットとしても、今後も必要に応じて支援その他の対応ができるよう、情報交換を続けていきます。

歴史資料ネットワーク公式サイトhttp://siryo-net.jp/ 
  *ページ中央部「ブログ」→【速報】淡路島地震に関する現地巡回調査報告

なお神戸からの連絡メールが届いたのとほぼ同時(17日午後9時)に、宮城県沖を震源とする地震がありました。宮城県では最大で震度5弱の揺れを観測しています。宮城資料ネット事務局では地震が発生してから建物も下から突き上げるような揺れがあり、その後で携帯電話の緊急地震速報が鳴りました。被害状況はこれからとなりますが、仙台市内は停電はなく、津波の心配もないとのことです。

 前号でも書いたように、余震は当面続く状況でもあり、被害、さらに所蔵者の方々が受ける心理的な影響という点も含め、気を抜くことはできません。


【速報】淡路島地震に関する現地巡回調査報告
2013年4月13日に発生した淡路島地震に関して、史料ネット(http://siryo-net.jp/)では16〜17日かけて、地元自治体のご協力の下、被災地域である淡路島の巡回調査を実施しました。

調査概要

16日:淡路市
17日:洲本市および南あわじ市

実際に現地確認を行い、洲本市では稲田家(徳島藩城代家老)歴代墓所での墓石の倒壊が確認されるなど、石像物の倒壊被害については多数確認されましたが、兵庫県からの発表(17日16:00現在)の通り、被災家屋の多くは一部損壊であり、全壊家屋はありませんでした。また、いくつかの旧家にも訪問し、史料の無事を確認しております。そのため、すぐさま家屋や蔵の解体が行われるという懸念は少なく、緊急的な史料保全の必要ないと考えられます。

今回の巡回調査にあたっては、地元教育委員会の担当者の方々をはじめ、関係者・所蔵者のみなさまに多大なご協力いただきました。災害への対応が続くお忙しい中ご協力をいただき、あらためて感謝申しあげますとともに、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

史料ネットでは、引き続き被災地の情報収集を行うとともに、必要に応じて緊急的な対応策をとりたいと考えております。被災地の歴史資料・文化財などの被害状況の様子や、資料の処置方法に関するご相談がありましたら、史料ネットまでお寄せ下さい。

  第193号(2013年4月16日)

       4月13日淡路島地震への対応

 事務局の佐藤大介です。4月13日早朝、淡路島にて直下型地震が発生いたしました。被災地の方々に心より御見舞申し上げます。

 この地震を受けて、歴史資料ネットワーク事務局(所在:神戸大学)では緊急体制に移行し、対応を始めています。同ネットワーク発行の発表を末尾に転載いたしましたのでご覧ください。
 宮城資料ネットでは地震の第一報をうけた直後から、神戸の歴史資料ネットワーク事務局と情報交換を行っています。また、必要な支援に対応する旨を申し入れました。状況に変化がありましたら、本ニュースなどで随時報告いたします。
 損壊家屋は1800棟を越えたとのことです。東日本大震災でもそうでしたが、歴史資料が保管されている伝統的建造物は、土蔵などの分厚い土壁の崩落などにより実際以上に「被害」が感じられ、急速に解体、処分が進むことが懸念されます。 また、今回は未知の断層による地震だと報じられています。宮城県も含め、日本列島においてそのような断層はまだ多数あるのでしょう。歴史資料・文化財への防災対策を、油断なく進める事が重要だといえます。



みなさま

歴史資料ネットワークの松岡です。

お世話になっております。さて、歴史資料ネットワークでは4月13日の淡路島付近を震源とする地震に対応するため、本日より当面の間、事務局を緊急体制に移行することといたしました。これにともない以下の様な発表を行ないましたので、ご覧ください。
事務局では実地踏査にむけての情報収集やチラシの準備、自治体史の記述確認などに取り組んでいるところです。
引き続きご支援賜りますようお願い申し上げます。


■緊急事務局体制に移行します 2013年4月淡路島地震
http://siryo-net.jp/info/201304-emergency-awaji/

4月13日の淡路島付近を震源とする地震は損壊家屋が1800棟を超えるなど大きな被害をもたらしています。被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、歴史資料ネットワークとして被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りいたしております。

今回の被害状況に鑑み、歴史資料ネットワークでは各方面と連絡をとりつつ、近日中に淡路島の実地踏査を行うとともに、必要に応じて緊急的な対応策をとることといたします。つきましては、本日15日より当面の間、緊急事務局体制へと移行いたします。

各地の歴史資料・文化財などの被害状況の様子や、資料の処置方法に関するご相談を、下記の相談窓口、あるいはフォームでお寄せくださいますよう、お願い申し上げます。事務局員がおこたえいたします。

開設期間:2013年4月15日(月)〜当面の間 但し、土日祝日は除く
対応時間:午後1時〜5時(Fax、メールは24時間)

※フォームは省略しました。

-- -- 歴史資料ネットワーク広報チーム  〒657-8501  神戸市灘区六甲台町
1-1 神戸大学文学部内  TEL・FAX : 078-803-5565 ヘルプページ

192 号(2013 年4 月10 日)

               文化庁長官より感謝状授与  

 2013 年1 月〜3 月の活動 事務局の佐藤大介です。仙台市の事務局における活動を中心とする報告について、月報ペースでの配信を目指す旨お伝えしました。しかし諸事に取り紛らせ、気がつくと4 月も10 日に。2013 年も、早くも四分の一以上が経過しました。あらためて、2013 年1 月から3 月までの活動報告をお送りします。

1 文化庁長官より感謝状を授与
 東日本大震災における被災文化財の救援・修復活動に対し、3 月25 日付けで近藤誠一文化庁長官より感謝状が授与されました。一連の活動については、多くの方々の支援によるものです。改めて御礼申し上げます。一方、今なお被災した歴史資料への対応は続いております。引き続きのご支援をよろしくお願い申し上げます。
    
     感謝状を囲んで記念撮影(3 月26 日)

2 事務局での活動

◇被災歴史資料への応急処置

 昨年から今年前半にかけて、石巻市など津波被災地で救出した個人宅の被災文書史料へのクリーニングや応急処置と、ふすま下張り文書の解体を進めています。被災ミュージアム復興事業によるボランティアに加え、東北芸術工科大学竹原万雄ゼミ、その他全国各地からのボランティア参加を得ました。参加人数は、1月が延べ113 名、2月が同132 名、3 月が同209名でした。

   
    
被災歴史資料のクリーニング(1 月9 日)

◇デジタル撮影作業

 被災歴史資料の応急処置の進捗状況の兼ね合いもあり、この期間は財団法人斎藤報恩会所蔵史料の撮影作業を進めました。3か月間で延べ117 名が参加し、斎藤報恩会収集分29055 コマ、同常盤文庫分(財団への寄贈史料)30776 コマを撮影しました。斎藤報恩会収集分については、補完撮影が遺っていますが、2 月15 日に一旦全点を完了しました。2年前の3 月11 日は、この文書群の撮影作業中、震災感謝状を囲んで記念撮影(3 月26 日)被災歴史資料のクリーニング(1 月9 日)が襲いました。その作業の完了については、個人的には一区切り付いたような思いがしています。

    
     デジタルカメラでの撮影作業(3 月11 日)

デジタル撮影・「管理編マニュアル」の公開撮影作業におけるファイル管理のマニュアル「歴史資料保全活動におけるデジタルカメラによる文書資料撮影の手引き・画像データの集約・管理編」初版を、1 月24 日に公開しました。多数のデジタルカメラを用いた現地での撮影作業を前提に、失敗画像のチェックや、デジタルデータ管理の基本である「常に2箇所以上にデータを保存」しながら作業を進めるための効率的な方法についてまとめたものです。少し文字が多いですが、今後さらに改訂していきたいと思います。

事務局での集約作業は、目下の処佐藤が担当しています。失敗をすぐ確認出来るのもデジタル撮影の強みですが、多いときで一日3000 コマを越える撮影画像のチェックは、それなりの重労働です。しかし、特に個人所蔵の保全については、失敗を放置したまま、もし原史料が失われれば、二度と再撮影は出来ません。また作業過程からバックアップを考慮しておかないと、機器の故障が発生した場合、数千点の画像を一挙に失うことにもなります。その意味で、デジタル撮影において重要な意味を持つ作業工程だといえます。(撮影マニュアルへ
 
被災地・各地での保全活動

 以前のメールニュースにて詳報をお送りしたものも含め、1月から3月までの被災地および地域での保全活動について、改めてまとめてお送りします。

◇1 月10 日 宮城県白石市・仙台藩重臣遠藤家文書整理事業の支援

*事務局・佐藤が、白石市教育委員会博物館建設準備室および白石古文書の会による整理事業を支援しました。

◇1 月21 日 宮城県村田町・Y家史料の返却

*事務局・佐藤と、本会会員の高橋陽一さん(東北大学東北アジア研究センター)の2名で、同町教育委員会の石黒伸一朗さんの立ち会いのもと、撮影の完了した同家文書を返却しました。あわせて補完撮影を実施しました。

◇1月30 日 宮城県気仙沼市・K家文書のレスキュー

*事務局・佐藤、天野と、本会会員の高橋陽一さんにて、所蔵者から持ち込まれた津波被災古文書資料の受入を行いました。

   
    気仙沼市K家被災史料への対応(1 月30 日)

◇2 月5 日 宮城県栗原市・M家史料のレスキュー
(第1次)
*2 月5 日及び9 日のM家文書レスキューについてはニュース186 号を参照。

◇2 月8 日 宮城県石巻市・K家史料レスキュー、同氏Y家での被災状況調査
 
*詳細はニュース185 号を参照。デジタルカメラでの撮影作業(3 月11 日)気仙沼市K家被災史料への対応(1 月30 日)

◇2 月9 日 宮城県栗原市・M家史料のレスキュー(第2次)


◇2 月12 日 宮城県山元町での町民向け古文書説明会

*事務局・佐藤が東北大学東北アジア研究センター高倉浩樹准教授らによる被災した民俗芸能の調査・復興支援事業を支援し、津波で消滅しコピーのみが遺った「中浜天神」の由緒に関する報告を行いました。

◇2 月27 日 宮城県白石市・仙台藩重臣遠藤家文書整理事業の支援

*1月の活動と同様、事務局・佐藤が、白石市教育委員会博物館建設準備室および白石古文書の会による整理事業を支援しました。

◇3 月6 日 宮城県栗原市・M家文書のレスキュー(第3次)

*事務局・佐藤が、仙台市博物館水野沙織学芸員の支援を受け、被災した史料を同博物館に一時搬出しました。

◇3 月7 日 宮城県石巻市・A家での被災状況調査

*斎藤善之理事(東北学院大)、事務局佐藤、天野の3名で状況確認調査を実施しました。

◇3 月19 日 京都造形芸術大学(京都府京都市)での被災歴史資料状況確認

*事務局・佐藤と天野が、京都造形芸術大学大林賢太郎教授に委託して実施している被災歴史資料の修復作業の状況について確認しました。

◇3 月27 日 宮城県白石市・仙台藩重臣遠藤家文書整理事業の支援

*1月、2月の活動と同様、事務局・佐藤が、白石市教育委員会博物館建設準備室および白石古文書の会による整理事業を支援しました。

◇3 月29 日 宮城県丸森町・O家での所在確認調査

*事務局・佐藤が所在確認調査を実施しました。

◇3 月30・31 日 岩手県一関市・K家での保全活動

*事務局・佐藤とボランティア2名が、一関市芦東山記念館などと共同で、同家所蔵の古文書史料の概要確認調査を実施しました。

文化財レスキュー事業・公開討論会への参加

 1 月25 日、2 月5 日、2 月22 日に東京国立博物館平成館で開催された公開討論会「被災文化財救援活動について考える会 語ろう!文化財レスキュ ―被災文化財等救援委員会公開討論会―」において、事務局の佐藤(1 月23 日、2 月22 日)と天野(2 月5 日)がパネラーとして参加しました。各回において、会場の参加者も交え活発な意見交換を行いました。なお討論会の模様については報告書としてまとめられる予定です。

 このほか、3月2日に岡山市で開催されたシンポジウム「被災地フォーラムin 岡山『大規模自然災害に備える災害に強い地域歴史文化をつくるために―』」に、理事長の平川がコメンテーターとして参加しました。
 
191 号(2013 年4 月8 日)

  白石市の文化財レスキュー  白石市教育委員会生涯学習課 櫻井和人 

1 震災前後の活動と白石市の被害

 白石市では、平成22 年度から文化庁の地域伝統文化総合活性化事業により「記録と記憶のレスキュー事業」と称し、歴史資料の所在調査、古老の記憶を記録するという聞き取り調査を開始していた。22 年度には計30回にわたり、調査等で市内各所を訪問している。これは、宮城歴史資料保全ネットワーク(以下「宮城資料ネット」という)と地元の郷土史研究団体である白石古文書の会の協力を得て行った。予定では、平成23 年3月27 日に市内中心部及び南部の越河地区における一斉調査を行うはずで、その決裁が3 月11 日午前に課内で下りたところだったが、その日の午後2 時46 分に地震が発生した。この活動は、こうした災害に備えてのものだったのだが、もう少しのところで間に合わなかったことが今でも悔やまれる。

2 地震直後

 地震直後より、文化財担当2名のうち1名は事務所がある中央公民館が避難所となったことからその対応に、また筆者は給水業務に従事し、直ちに文化財業務に入ることができなかった。
しかしながら、それでも主に避難所対応となっていた職員が、その合間を縫って車を走らせ、少しずつ市内の文化財被害を確認して廻った。

 一方で、この地震によって、市民がそれまで自宅の蔵などで保管していた〔古いもの〕を処分してしまうのではないかとの心配があり、まず『広報しろいし』(災害特別版3 月30 日発行)で【歴史を語り継ぐためにご協力下さい】として〔古いもの〕が見つかった場合の連絡を呼びかけた。その後、広報5 月号に合わせ【歴史資料を捨てないで下さい!!】というチラシを市内全戸に配布、次いで【歴史資料の保全にご協力下さい】というチラシを全戸に回覧(5 月18 日)するなど繰り返し市民に呼びかけた。あわせて、3 月15 日には宮城資料ネットと電話が通じ今後の協力を確認、23 日には白石市文化財愛護友の会の協力を得て、すべての会員に上記のチラシを郵送し、情報提供も依頼した。

3 文化財レスキューの動き

 4 月に入ると、資料所有者や情報提供者から連絡や問い合わせが多く入るようになった。その多くは、「地震後に片付けをしていたら古そうなものが出てきた」というものだった。なかには、「今、蔵を壊しているのだが、そうしたら中から古いものが出てきた」ということで、重機で取り壊し中の蔵に、取り壊しを一時中断してもらい入ったこともあった。また、解体直前の家の襖から下ばり文書が発見されたことや、「あまり無いんだけど」と言われていたところに伺ってみると、1 万点にも及ぶ大量の古文書が出てきたこと、解体前の古民家に建物調査に伺ったらその屋根裏から近世文書が大量に出てきたことなど、様々なケースに遭遇した。

    
    ヘルメットをかぶり蔵の中で作業する職員

こうしたことから、やはり電話で安易に判断して訪問を断ることをせず、実際に伺って調査をする必要性を強く感じた。混乱の中とはいえ、せっかくの問い合わせに一度断ってしまうと、もう次がない。市民は「どうせ電話しても」と考え、もし次何か出てきても連絡をくれることはないだろう。限られた時間と人の中ではあるが、適切な対応が求められるところである。 連絡を頂いた案件に加え、別途当方で情報を持っていたお宅に連絡を入れ調査に伺うなどした結果、平成23 年度は48 件、24 年度は35 件の訪問調査となった。

 発見された資料についてはその場で現状を撮影するとともに、所有者に対して分かる範囲で説明をし、その価値を理解してもらえるよう努めた。その後、引き続き所有者自身で管理されるものについては、中性紙封筒などの資材を提供し、その保管場所等を所有者と一緒に考え、大切に保管頂くよう依頼した。

 一方で、今後自身での管理が難しいとされたものは、直ちに寄贈や寄託を受けた。

    
     蔵から搬出した資料の状態を確認する職員

4 その後の対応
 
 寄贈や寄託を受けた資料は、当市の文化財収蔵室に搬入した。これは、白石高等学校の移転に伴い使用しなくなった施設の一部を市教委で借り入れて転用したもので、当時はまだ改修工事の前だったが、ほかにまとまった保管場所もないため、取り急ぎ搬入したものである。収蔵室の工事が一部完了した平成24 年3 月には、新潟大学橋本博文教授はじめ考古学を専攻する院生、学生の皆さんにご協力を頂いて資料の運搬を行った。あわせて、8 月4 日に市中央公民館で復興支援講座も同大とともに開催している。 なお、ここには市教委でレスキューした資料以外にも、宮城資料ネットによってレスキューされた資料も保管している。

 さて、当方に寄贈・寄託された資料は、順次デジタルカメラによる撮影、中性紙封筒への封詰めを行っている。しかし、ほとんどが以上をもって作業が止まり、目録作成など次のステップに進めていないのが現状である。

5 課題と反省

 これまでのことから、課題と反省点を提示する。まず、地震直後から担当者が文化財業務に当たれなかった点だが、これはその状況を前提にして、事前に対策をとっておく必要があるだろう。当市のような小都市では、教育委員会の職員は、災害対応の際、自分の所属に関わる業務のみならず、むしろそれはさておき、避難所やその他のライフライン関係業務に従事することになり、本来の業務の初動が遅れるのは予め想定しておかなければならない。そこで、例えば市民自身による保全や情報収集がなされるよう、日頃から資料の所在情報を把握し、所有者や地元の関係者との意ヘルメットをかぶり蔵の中で作業する職員蔵から搬出した資料の状態を確認する職員思疎通を密にしておかなければならないと思う。さらに市内部の組織と意識作りの必要性がある。今回、財源としては文化遺産を活用した観光振興・地域活性化事業、及び被災ミュージアム再興事業という文化庁の補助を得て、マンパワーとしては白石古文書の会をはじめとする地元の市民団体の協力を得て活動してきた。

 当市は、片倉小十郎の城下町として歴史を資源にまちづくりを進めている。歴史資料の保全はまさにその土台、基礎をなすものであり、今後これを継続していくことがいかに当市にとって必要なことであるかを、担当者としてもっとアピールしていかなければならないと考える。

 最後に、レスキューした資料の今後の活用について。現在、既述のように、デジタルカメラによる撮影と中性紙封筒への封詰めまでは行ったものの、目録の作成などその先に進めていない。今後、現状のまま仮に将来的に担当が変わるなどした場合、そのまま死蔵につながりかねないという懸念がある。そこで昨今、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門の協力を得て、目録作成の外部委託を始めることができた。現在2 名の方に委託をしている。これから、レスキューしたすべての資料を、当市の貴重な財産として活用できる状態で残していきたいと考えている。

 末筆になりましたが、宮城資料ネットの関係者の皆様はじめ、これまで当市のレスキュー活動にご協力を頂いたすべての方に心より御礼申し上げます。

※本稿は、「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会平成24 年度活動報告書」に掲載予定の原稿を一部修正したものです。


 今回は白石市教育委員会生涯学習課の櫻井和人さんに、宮城県白石市での被災歴史民俗資料のレスキュー活動について、ご寄稿いただきました。なお櫻井さんの関連原稿として、仙台藩重臣遠藤家文書の発見を契機とする白石市での歴史資料保全活動について述べた「古文書の大発見が生んだ力」が、『日本歴史』779 号(2013 年4 月号)に掲載されています。合わせてご一読いただければ幸いです。 (佐藤大介:記)

190 号(2013 年4 月3 日)

     村田町における歴史民俗資料の保全
                                        村田町教育委員会 石黒伸一朗 

 平成23 年3 月11 日金曜日、午後2時40分頃、旧足立あしたて幼稚園の園庭に公用車で到着した直後、ラジオから緊急地震速報が流れた。なぜ、着いた直後かというと、次のような仕事をしていたからである。

 村田町では、五つの小学校のうち第二小学校を除く、第一小学校から第五小学校の四つの小学校を、平成23年3月末日で閉校し、一つの小学校に統合するという大きな事業が進んでいた。その統合にともなって、小学校に長らく保存されていた沿革誌・日誌・学籍簿などの文書資料、卒業アルバムなどの写真、戦前から戦後にかけての備品や教材が廃棄されるのではないかと気にかかっていた。これらの資料や教材は、小学校の歴史のみならず、その周辺地域の歴史資料としても貴重であるため、保全する必要があると考えられたので、学校を管理している町教委教育総務課の許可のもと、平成22年12月から宮城学院女子大学の大平聡先生のご協力を得ながら保全作業を行っていた。

 3 月11 日は朝から、第五小学校から昭和40年頃に授業で使われていた算数や理科などの教材を公用車に満載し、一時保管場所としている旧足立幼稚園に運んでいた際、大地震と遭遇した。園庭では、立っているのがやっとという状態であった。揺られながら思ったのは、村田町中心部に残る、江戸後期から大正にかけて建てられた土蔵造り建物群のことであった。大きな地震動に弱い構造の土蔵に被害が出ているのは確実と思われた。すぐ、職場の村田町歴史みらい館へ戻り、被害状況を確認した。展示室では、釜神と看板が破損していた程度と、被害は軽いようであったので、片付けなどはほかの職員にまかせ、カメラを手に町中心部へ向かった。

 村田町役場の震度計では、震度5強が観測され、軒を連ねている土蔵造り建物には、海鼠壁の崩落、漆喰壁の亀裂、屋根瓦の落下やズレ等の被害がみられた。土壁が大きく崩落した建物では、外から内部が見える状態になったところもあり、壊れていない土蔵は無いと言っても過言ではない状況であった。今後、被害が大きい建物は解体されることが予想された。また、その解体に伴い古文書や民具などの歴史民俗資料が安易に廃棄されるのではないかという心配もあった。平成15年7月に宮城県北部地震が発生し、建物の解体や内部の片付けによって、歴史資料が大量に廃棄されるという事態となり、それを契機として宮城歴史資料保全ネットワーク(以下、略して「資料ネット」)が設立されたという経緯も知っていた。

 3月11 日以降、筆者は避難所の勤務に当たったが、その合間をぬって文化財の被害状況の把握を行っていた。また、歴史的な資料や民具が廃棄されないように注意し、時々見廻りしていた。16日、携帯電話が復旧したため、資料ネットの佐藤大介氏と連絡を取り、対応などについて相談した。19日佐藤氏から、資料を安易に捨てないように周知する、チラシを配布したらどうかという提案があり、原案をメールで送って頂いた。

 それをもとにして、歴史資料のほかに海鼠壁に用いられている平瓦も捨てないようにという文言を付け加え22 日に印刷した。翌日、むらた再発見「蔵」の会の会員とともに、土蔵造り建物の所有者へ配った。

 4月5日、資料ネットの佐藤大介・蝦名裕一・天野真志の各氏と一級建築士佐藤敏宏氏の4名が来町し、5箇所の商家について被害調査をされた。村田商人ヤマショウ記念館(旧大沼正七家)では、仏壇の中にあった江戸後期の古文書を保全した。

 同月13 日、金沢から歴史的建造物修復士の橋本浩司氏と一級造園施工管理技士の中村彩氏、佐藤敏宏氏の3名で、町指定文化財武家屋敷(旧田山家住宅)や商家など13 か所について、専門的な立場から被害状況と修復方法について調べられ、長期的にしっかりと修繕していくが大切であると指摘された。
 (絵:宮城資料ネットによる土蔵の被害調査)

 歴史的建造物の被害調査は、文化庁の文化財ドクター派遣事業により、主に日本建築家協会(JIA)の会員と大学関係者が文化財ドクターとなり、7月9 日から始まった。開始早々、村田商人ヤマショウ記念館の調査では、味噌蔵の2階から古文書が多量に見つかった。これは所有者の許可のもと、資料ネット事務局に運ばれ整理と撮影が行われた。古文書の多くは、紅花などの取引に関するもので1,658 点を数え、後日所有者から村田町に寄託された。

 (絵:村田商人ヤマショウ記念館の味噌蔵から古文書を発見。これは資料ネットにより整理された)
 

 村田町教育委員会による保全活動は、商家7 箇所と旧旅館1 箇所の、合わせて8箇所において実施し、その回数は延べ20 回を超える。保全活動を行った建物は、ほとんどが解体予定の建物か、解体中の建物である。その解体情報は、周りの方からの連絡が多かった。保全作業は、次のような手順で実施した。まず、建物の所有者に資料を運び出しても良いかという許可を得る。許可が取れたら、資料の原位置を記録するため写真撮影を行い、運び出した。しかし、業者によって既に解体が始まっているところでは、重機が動いており危険なため、ほとんど保全できなかった現場もある。

 保全した資料は、村田町歴史みらい館に運び清掃を行い、何時どこの建物から運んだかという表示を付けた。さらに個別に写真を撮り、仮目録を作成した。これらの資料は、所有者から村田町へ寄贈、あるいは寄託され、その数は7,000 点を超えた。歴史みらい館の収蔵スペースはそれほど広くはないため、旧足立幼稚宮城資料ネットによる土蔵の被害調査町教委による民具や建具などの保全村田商人ヤマショウ記念館の味噌蔵から古文書を発見。これは資料ネットにより整理された。

 
 町教委による民具や建具などの保全              旧旅館から戦前の電話ボックスを保全

 旧旅館から戦前の電話ボックスを保全園や旧第五小学校の校舎を借りて、一時的に保管している。しかし、教室等は日光が当たり、棚がなく資料を平置きしている状況であったため、被災文化財等救援委員会から遮光カーテンやメタルラックなどの支援を受け、収蔵環境は向上した。保全した資料の一部は、歴史みらい館において展示を行ったものもあるが、ほとんどの資料は収蔵されたままである。今後、それらの資料の活用も課題の一つである。

 村田町教育委員会としては、歴史みらい館が準備段階であった平成5 年頃から、個人宅の資料所在調査を行い、どの家にどういう資料が収蔵されているかを、おおよそ把握していたこと、ならびに震災以前から資料ネットとの関係があったことなどから、今回の東日本大震災では速やかに保全活動が出来た。


 今回は村田町教育委員会の石黒伸一朗さんに、宮城県村田町での被災歴史民俗資料のレスキュー活動について、ご寄稿いただきました。(佐藤大介:記)

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