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189 号(2013 年3 月12 日)

   宮城県内での学校資料の保全   宮城資料ネット理事(宮城学院女子大学)大平 聡 

1 活動のきっかけ
 古代史を専攻する私が、学校資料に関心を持つようになったのは、勤務校の「学徒勤労動員」に気付いた2000年のことでした。初めは宮城県公文書館に保存されている公文書に注目したのですが、戦時期の資料は欠落していました。そこで旧制中学校・高等女学校の後進である宮城県内の高等学校の記念誌を手がかりに調査を始めました。多くの学校で、記念誌編さんと同時に資料類を処分していた事実に突き当たりました。一方、学校日誌が残っている高等学校も多く、公文書では知り得ない学校現場や地域の様子を知ることができました。

 2007 年頃からは、小学校の資料に関心を持ち始めました。小学校の方が地元密着で、地域に関する情報も得られるのではないかと考えたからです。きっかけは、統廃合で廃校となる小学校で昭和20 年の日誌が発見され、空襲警報の詳細な記述が確認されたことを伝える新聞記事からです。その学校の調査を通じて、地域の教育史を研究されている方を紹介していただき、本格的な調査を始めました。日誌や公文書綴りなど、まさに学校は地域の記憶装置であることを実感しました。一方、学校資料を閲覧するためには教育委員会の了解を得ることが必要であることを知り、校長会を通じて周知していただきました。

 当初は研究のために学校日誌の調査から始めましたが、すぐに日誌以外にも膨大な資料が眠っていることを知ることとなりました。学校長にその重要性を伝え、調査の御礼として資料の目録作成、さらにご希望があれば保存用封筒や文書箱への収納といった保全作業を申し出ました。ここで、調査・保全作業を宮城歴史資料保全ネットワークのプロジェクトの一つに位置づけていただき、2010 年度からはゼミの学生と「学校資料の調査・保全活動」に取り組むことになりました。

 この頃から小学校の統廃合に関する記事が頻繁に見られるようになりました。記事を見つけると教育委員会を訪問し、廃校となる学校資料の保存をお願いし、それらが大切な地域資料であることを伝えます。さらに廃校となる学校だけではなく、地域内すべての学校について目録の作成と保全作業を行い、地域の近現代教育資料として活用できるようにデータを整えることを提案します。そうして、宮城県内の7 市町で作業を実施してきました。

 ところで、学校資料の中には、個人情報にかかわる資料が大量に存在します。それゆえ、調査に際しては慎重に対処することを、学校側に説明しています。目録作製のための撮影は表紙に限定し、年次が表紙に記載されていない場合や、簿冊が合綴されている場合に限り、簿冊を開くこととしています。また作業終了後には、作製した目録とすべての画像データを学校と教育委員会に提出し、とにかく貴重な資料を保存し、廃棄しないでいただきたいこと、その利用方法については、時間をかけて考えていただきたいことを伝えています。「保存即公開」を求めるものではないことを、特に強調してお願いしてきました。

2 東日本大震災後の活動

気仙沼市での被災状況確認・保全活動
 ガソリンがようやく手に入った4 月7 日、気仙沼在住の学生に支援物資を届け、合わせて新城小学校に、約束していた目録をお届けすることができました。同校は被災直後、ご遺体の安置所になっていましたが、訪問時には、解除されていました。ここで、気仙沼市内の小学校の被災状況のあらましを教えていただきました。市内では、南気仙沼小学校が大きな被害を受けていましたが、その他の小学校は高台にあったため無事とのことでした。気仙沼市内は、旧本吉町・唐桑町を含め、明治以来の学校資料が豊富に保存されている地域です。資料の保全作業の緊急性がないことを確かめ、ひと安心しました。

 5 月27 日に、気仙沼市立津谷小学校を訪問しました。同校には本吉地区唯一の木造校舎があり、地域歴史資料室が開設されていました。その状況確認に伺ったところ、土壁が部分的に剥落しており、取り壊しの可能性もあるとのことでした。そこから、11 年度に調査を予定していた南三陸町に向かいました。小泉地区を通り過ぎた時、気仙沼線の高架の上に家屋が乗っている状況に驚かされました。南三陸町立伊里前小学校には、名足小学校が同居していました。伊里前小学校(歌津地区)はかなりの高台にありますが、一階まで浸水したということで、文書の一部が水をかぶっていました。エタノールでの応急措置を施しました。名足小学校は被害がひどく、何とか持ち出したという資料には、明治の学籍簿など、貴重な資料が多く含まれていました。新聞でも報道されていた、栗原の教員OB チームの方々による洗浄がすでに施されており、安定しているようでしたが、念のため、エタノールの噴射を行いました。ここで、登米市に避難している戸倉小学校が津波被災資料の処置に困っていることを伺い、資料ネット事務局に連絡して、対応していただきました。なお、2013 年1 月、名足小学校を再訪し、目録の作成を行いましたが、その折、資料に砂が付着していることを確認しましたので、刷毛による砂の除去作業を2 月に2回実施しました。

 7 月(2011 年)にはいって、津谷小学校より、木造校舎の取り壊しの可能性が高くなったという連絡がありました。そこで8月10 日、人間文化学科の学生に広く呼びかけ、木造校舎からの資料搬出作業を行いました。本会理事でもある井上研一郎が物品を、大平が文書・書籍類を担当し、一日がかりで鉄筋コンクリート校舎に搬出しました。これらの資料の整理・保全作業は、2012 年2月10 日、学科学生の協力を得て、それぞれノートパソコンを持参し、目録を作りながら保存箱に収納するという作業を行いました。なお、この木造校舎は、山形大学の永井康雄先生がその後診断を行われ、補修によって継続使用可能との報告書を気仙沼市に提出して下さいました。木造校舎は、現在も使われています。

   
               津谷小学校での活動(2011 年8 月10 日/撮影:大平聡)

登米市登米町・山元町での被災状況確認・保全活動
 2012 年2 月、涌谷町で行っていた町内の学校資料所在調査が一段落したので、登米町の教育資料館(旧登米小学校木造校舎)の見学に行きました。やはり、かなり痛んでおり、西半分の見学ができない状態でした。昭和30収納が必要と判断し、教育委員会の許可を得て保全作業と目録の作成を行いました。作業中、山元町から、坂元中学校で発見された戦時中の教育資料について意見を求められ、3 月6 日に訪問しました。坂元中学校は被災していませんでしたが、同町では複数の小学校が被災しており、そのうちの一校、中浜小学校で校歌の額の処置に困っているというので訪問し、預かりました。この額は、資料ネットに運び、洗浄していただいて返却しました。

気仙沼小学校での活動
 2012 年7月2 日、気仙沼市教育研究会歴史部会研修会(会場松岩小学校)で、学校資料の地域史資料としての重要性を講演しました。その折、かねてから気になっていた気仙沼小学校の資料保管庫を見せていただいたところ、膨大な資料が保管されていることを知り、目録の作成を申し出、2013年1月17・18日に作業を行いました。
明治20 年代からの日誌、学籍簿のほか、種々の日誌類を含め、初めて見る資料が少なくなく、その質・量に圧倒されましたが、多くの資料にカビが発生していることにも驚かされました。そこで、2 月15 日、資料ネット事務局の天野真志さんにご指導いただき、カビ対策の措置を行いました。

   
           気仙沼小学校での活動(2013 年1 月17 日/撮影:大平聡)

■女川町・石巻市での所在確認調査
 2012 年11 月には、女川町で小・中学校の再編が決定したとの報道があり、それぞれの学校にどのような資料があるのかを把握するための目録作成を教育委員会に提案し、了解を得て実施、目録をお届けいたしました。また、2013 年1 月には、宮城学院女子大学がボランティア提携している石巻市立大原小学校を訪問し、所蔵資料の目録作成を行いました。同校には、津波で被災し、統合された谷川小学校の資料が保管されていました。賞状類は資料ネットに運び、処置していただき、返却しました。写真は、山元町で知り合った写真修復ボランティア団体に処置をお願いすることができました。

 以上が、震災に関連しての私のゼミの活動です。私たちは、被災の中心地にはいって資料をレスキューするというより、統廃合で失われる危険性の高い資料の保全に重点を置いて活動してきました。それを私たちの「役割分担」と考えて活動してきました。 これまでに作業を行わせていただいた学校は、震災前も含め40 を超え、50 に迫ろうとしていますが、まだまだ県内のごく一部で実施したに過ぎません。廃校になる学校に明治以来の資料が良好に残されていることに出会うと、学校は無くなっても、学校が存在したこと、学校を軸に営まれてきたその地域の社会生活の確かな痕跡が保存されていくであろうことに、救われる思いがしています。これからは、地域に残された貴重な近現代資料としての学校資料を使って、地域の歴史、学区の歴史を叙述することが大きな仕事となってくると考えています。


 東日本大震災の発生後、宮城資料ネット各会員による多様なレスキュー活動が続いています。今回は、大平聡さんから、宮城県内の小学校資料の保全活動について、震災前の状況も含めてご報告いただきました。(佐藤大介:
記) 

 第188号 (2013年3月11日)

    東日本大震災より2年
2011 年3 月11 日の東日本大震災から、今日で2年が経過しました。震災で犠牲になられた方々に哀悼の意を表するとともに、なお困難な状況にある被災地の皆様に、心より御見舞申し上げます。

宮城資料ネットでは、今日時点で75 件の個人・組織方にて、一時搬出をともなう被災歴史資料レスキューを実施しています。このうち67 件は仙台市の事務局にて応急処置を実施しています。必要な対応を終え、すべての史料を所蔵者のお手元に戻すことができたのは、7 件です。

一方、内陸被災地を中心に、一時搬出への対応依頼が今年に入って相次ぐなど、被災した地域の歴史資料をめぐる状況は、予断を許しません。

震災以来のご支援に、改めてあつく御礼申し上げるとともに、震災3年目の活動にも、多くの方のご支援をたまわりますよう、お願い申し上げます。 NPO 法人宮城歴史資料保全ネットワーク(文責:佐藤大介)

    

   

187 号(2013 年3 月4 日)

展示「仙台の歴史と震災 〜東日本大震災と地域史の発見〜」明日より開催

仙台市博物館市史編さん室の栗原伸一郎です。仙台市博物館では東北電力グリーンプラザと共催で、資料レスキュー活動や仙台の地震・津波の歴史を紹介した展示を行います。会場ではパネルのほかに、実際に救出された歴史資料や、江戸時代初期に植えられたスギの切り株を展示いたします。そのなかには、宮城資料ネットに資料整理等でご協力をいただいた、仙台市若林区種次の旧家から救出された資料も含まれて
います。
市史編さん室職員による展示解説も予定しております。入場無料ですので、お近くにお越しの際は、是非お立ち寄り下さい。

■展示「仙台の歴史と震災 〜東日本大震災と地域史の発見
〜」

○会場:東北電力グリーンプラザ
(仙台市青葉区一番町3−7−1 電力ビル1F)

○期間:3月5日(火曜日)〜5月12日(日曜日)
10時〜18時

*休館日/毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

○お問い合わせ:仙台市博物館市史編さん室
 (022−225−3074)






    

186 号(2013 年2 月28 日)

        栗原市M家での歴史資料レスキュー

 事務局の佐藤大介です。2 月5 日および2 月9 日の両日に実施した、栗原市M家での歴史資料レスキューの詳報です。5 日の活動について東北大学史料館の加藤諭さん、9 日の活動について茨城史料ネットの泉田邦彦さんよりご寄稿いただきました。


 M家の歴史資料保全活動に加わって東北大学史料館 教育研究支援者 加藤諭

去る2 月5 日に資料レスキューの先遣として、佐藤大介さんとともに宮城県栗原市のM家を訪問する機会を得ましたので、その体験談を寄稿させていただきます。
M家の家屋は江戸時代築のもので、近世以来の古文書を所蔵されているとともに、酒造業を営み、戦後には県議会議長を輩出されるなど、近世から近現代にかけての古文書や近現代史料を所蔵されている家です。

当家では東日本大震災の被災から、このほど母屋はじめ蔵を解体することとなり、以前より知己であった佐藤さんに話があったことから、2 月5 日は上記家屋の本格的な解体の前に資料レスキューに入るための事前打ち合わせを兼ねた訪問でした。

そこに今回、私が佐藤さんとともに同行させていただいたのは、当家で土井林吉(晩翠)の書簡を所蔵しているということを、佐藤さんを通じて示唆頂いたからです。1945 年(昭和20)、都市空襲が激しさを迎える中、現在の栗原市に東北帝国大学法文学部や旧制第二高等学校の蔵書が疎開されたことが分かっていますが、この際、二高の教授を務めた土井氏の蔵書も疎開され、それらをM家において受け入れていたようなのです。現地で書簡を確認させていただいたところ、書簡は同年5 月付のもので、土井個人の蔵書を合わせて受け入れてもらったことに対し、書画2 点を進呈するという内容の礼状でした。
 
 幸い土井書簡は今回の解体作業とは関わらない形で保管されていましたが、訪問して分かったことは、母屋はじめ蔵については、実は解体作業が待ったなしの状況にある、ということでした。板蔵2 棟、土蔵2 棟については一両日中にも解体工事に入る、という緊迫した状態だったのです。
このため、週末9 日に予定していた資料レスキューに先立ち、運び出せる古文書や近現代史料は現場の人数でレスキューしなくてはならない、という結論になりました。当日は大場さんはじめ2 名の現地栗原市一迫埋蔵文化財センターの方々も加わり、昼前より蔵内部の調査をはじめ、午後からは本格的な搬出作業に入りました。(絵: 確認された文書の搬出 2 月5 日)

M家ご当主の意向、解体業者のご理解、栗原市行政の迅速な対応が相まって、最終的には蔵の解体は9 日の資料レスキュー活動以前に行われないこととなり、一安心でしたが、まさに散逸してしまう一歩手前で資料が救われた、という現場に立ち会うことが出来、大変貴重な機会を得られ、被災地における資料保全は時間との勝負なのだ、という現実を目の当たりにし、歴史資料保全活動の重みを実感いたしました。また、現場において、臨機応変に資料レスキューの手はずを整え、実行に移していく佐藤さんの差配からは、被災地における資料保全への強い使命感が感じられました。
佐藤さんやM家の方のお話では、現在の栗原市方面への東北帝大や二高の教員および蔵書の戦時疎開については、今後も情報提供の可能性があるとのことで、東北大学史料館としても中長期的に連携をとっていく必要性を感じました。また公私ともに歴史資料保全活動の重要性について認識を新たにした一日でもありました。


  栗原市M家の緊急被災歴史資料レスキューに参加して
                             泉田邦彦(茨城史料ネット事務局)

 2013 年2 月9 日(土)、宮城県栗原市M家を対象にした歴史資料レスキューが行われ、茨城史料ネットからは泉田邦彦・藍原怜の2 名が参加しました。このレスキューに関しては、茨城史料ネットのニュースレター72 号において、藍原の文責によるレスキュー参加記を配信していますので、合わせてご覧になっていただければ幸いです。

   
         (絵:仙台駅での点呼 2 月9 日)

 今回、我々が参加に至った経緯について、まず、6 日(水)に佐藤大介氏から配信された宮城資料ネット・ニュース号外が、茨城史料ネット事務局の高橋修(茨城大学人文学部教授)から同事務局員宛に送信され、レスキューの急募が伝達されました。募集要項を読んでみると、期限の猶予がほとんどないにも関わらず、レスキュー対象とされて
いる御宅にはまだ多量の資料が残っていることがわかり、それに対応するためには一人でも多くの人員が必要と感じました。我々が参加することで、少しでも宮城資料ネットの活動の助けになれば、と思い参加を決めました。我々以外には、宮城資料ネットから東北大学・東北学院大学の教員・学生を中心とした16 名の参加があり、計18 名でのレスキュー作業となりました。茨城史料ネットがレスキュー活動を行う場合は、茨城大学で歴史学を専攻している学生のボランティアの参加が毎回20 名ほどあり、それが参加者の大半を占めますが、今回のレスキュー活動では、歴史学の分野からだけでなく、民俗学や刀剣美術が専門だったり、博物館や行政の立場からの参加だったりと、多様な分野・立場からの参加者があったことが印象的でした。

   (絵:現地での作業を開始2 月9 日)

 当日のレスキュー作業は、土蔵二棟と母屋の資料が対象であり、文書資料は市の一時保管庫へ、その他の資料は敷地内の別の場所へ移すことが主な作業でした。そのため、資料の移動先となる土蔵の整理(布団類の搬出=スペースの確保、掃除)を最初に行い、その後、文書資料のレスキュー作業に移り、発見された近世・近代文書をバケツリレー方式で搬出、)番号付けをしながら段ボール箱に納めていきました。今回の文書搬出では、緊急対応のためか、現状記録はカメラで必要最低限の情報を記録するといった方法が採られ、土蔵内部の現状記録は当日には行われませんでした。

    
          (絵:土蔵の奥で文書を確認’ 2 月9 日)

現地は、雪が積もり、地面もぬかるんでいたため、史料の運搬が大変でしたが、特に大きなトラブルも起きず、順調に作業を進めることができました。また、土蔵から取り出した資料は、一時的に土蔵の前に設置された仮置き場にて整理されましたが、この仮置き場は、敷地内で解体された建物の廃材を敷き平らにした上にブルーシートを敷くといった工夫が施されていました。足場の悪い現場ならではの対応だと思いました。作業は、昼食休憩と小休止を何度か挟みながら日が暮れるまで続けられ、17 時半ごろに終了し、19 時には仙台駅着・解散となり、一連のレスキュー作業を終えました。

     
                    (絵:日没間際 母屋で古文書を発見 2 月9 日)     

ここからは、レスキュー後の個人的な「参加記」を雑感とともに書いていこうと思います。仙台駅解散後、茨城史料ネットの二人は、平川新・佐藤大介両氏に連れられ、宮城資料ネットの事務局が置かれている東北大学文科系総合研究棟11Fにお邪魔しました。そこで、宮城資料ネットの活動についてお話を聞き、被災資料のクリーニングを行っている作業スペースを見学させていただく機会がありました。宮城資料ネットの場合は茨城史料ネットとは異なり、文書情報の記録とクリーニング作業とは別々に行っていること、文書修復のための機材が揃えてあるので自前で対応できることなどを知り、自分たちの活動を相対的に捉えなおす良い機会となりました。

その日の夜は、平川氏の御厚意により、氏宅に宿泊させていただきました。平川氏が資料保存活動を始めた当初の話、東日本大震災の際の宮城資料ネットの活動、氏の研究姿勢についてなど、日付が変わるまで様々な話を聞かせていただきました。私たち学生にとっては、どれも貴重な話であり、多くのことを学ぶことができ貴重な体験となりました。平川氏の御家族の方には、突然の来訪にも関わらず、好意的に迎え入れていただき、大変感謝しております。本当にありがとうございました。

最後になりますが、宮城資料ネットのみなさんの尽力と、所蔵者の御厚意のおかげで、我々は貴重な経験をすることができました。改めて感謝申し上げます。また宮城で緊急の募集があった際には駆け付ける所存です。ありがとうございました。 *茨城史料ネット公式サイト



 今回は緊急の活動となりましたが、多くの方のご協力で無事完了することができました。加藤さん、泉田さん、また参加していただいた末尾ながら、記して御礼申し上げます。なお茨城史料ネットの二名は、自県の被災対応に追われる中、さらに9 日の仙台での宿泊先が確保できなかったにもかかわらず、駆けつけてくださったということを記しておきたいと思います。


 第185 号(2013 年2 月27 日)
 
        石巻市旧河北町・北上町での活動

 事務局佐藤大介です。2 月は被災地でのレスキューが続き、ニュースの発信も遅れておりました。本号は、2 月8 日に実施した宮城県石巻市旧河北町と北上町での活動についての詳報です。

1 集落の記憶として―石巻市河北町尾崎・神山家の古民家と古文書
 午前中は、石巻市の旧河北町尾崎(おのさき)地区にある神山家で、被災した古文書の一時搬出を実施しました。同家での活動は、昨年12 月1 日に東北学院大学で行われたシンポジウム「大震災を越えてU―北上川流域の歴史災害と復興―」(同大学アジア流域文化研究所主催)がきっかけです。講演を聴講された神山家の支援者の方から、本会理事の七海雅人さん(東北学院大学)に古文書レスキューの依頼があり、七海さんと佐藤で対応することになりました。

 尾崎地区は、北上川(追波川)の河口にあります。私がこの地区を訪れるのは、忘れもしない2011 年4 月4 日、雄勝町と北上町で、かつて調査した古文書が全て消滅したのを確認することになった、震災後最初の現地調査以来です(ネット・ニュース100 号を参照)。

 当日は吹雪模様となりました。あのとき津波で破壊されていた北上大橋沿いの堤防は復旧され、震災前と同じくその上に道路が造られていました。しかし、釜谷地区から先は、大川小学校の校舎を除き、建物がほとんど撤去されていました。文字通り無人の荒野となった光景は、精神的に堪えるものでした。同時に、仙台という大都市で日々を過ごす中で、自分も震災の記憶を風化させてしまっているのではないか、ということに気付かされることにもなりました。
   絵*神山家の母屋(石巻市尾崎・旧河北町)

 大川小学校で所蔵者と支援者の方と待ち合わせて、吹雪と砂塵の中を、河口に位置する集落まで進んでいきました。河口にあった海岸林は全て津波で消滅していました。長面浦に面して、長面、尾崎という二つの集落があります。長面地区は釜谷地区と同様、被災建物はほとんど撤去されていました。一方、山の陰に位置する尾崎地区では、建物が比較的多く残されていました。その中に、神山家の家屋がありました。
 (絵:被災した古文書類) 

 神山さんによれば、当地特産の雄勝スレートを葺いた屋根をもつ家々が作り出す、尾崎地区の景観の重要さを以前から知らされてきた、とのことでした。尾崎地区は災害危険区域(居住に供する建造物の新築・増改築・修繕不可/平成24 年12 月1日より)となったが、それでも自分の家ぐらいは残したいと思っている、というお話もありました。修復後、公的な施設として活用できればとのことです。母屋は専門家による調査で構造上問題ない状態とのことですが、修覆の費用については今のところめどが立たない状態だそうです。

 古文書類は、母屋の仏壇の中にしまわれていたとのことでした。まさにいま保存に取り組もうとしている母屋を建築した際の帳簿や、江戸時代前期の山林利用に関する文書などが確認されました。見つかった古文書は自ら乾燥していたとのことですが、塩分のためか表面は湿気を帯びていました。

母屋の建築に関する帳簿以外は、母屋の隣にある板蔵で確認していました。その最中に思わぬ事が起きました。震災後から板蔵に出入りしているというハクビシンが、文書の一部に排泄物をかけてしまったのです。一体どうすればいいのか。ひとまず井戸水で洗うことにしましたが、かえって文書にしみこませてしまう結果に。仙台市での応急処置作業班に迷惑をかけることになってしまいました。そのようなこともありましたが、段ボール箱3箱ほどの文書を一時搬出することができました。
  (絵*土蔵に侵入したハクビシン)

 個人的に、今回訪問した尾崎地区は思い入れがあります。尾崎地区が面する長面浦には、仙台藩重臣片倉家の家臣が天保2 年(1831)に開発した塩田が、昭和26 年(1951)までありました。佐藤は『北上町史』(北上町教育委員会 2004)で「長面塩田の歴史」の執筆を担当しています。実は神山家では、震災前までその塩田を描いた絵画を所蔵していました。床の間に飾っていた絵は、津波での浸水をわずかのところで免れたそうです。貴重な史料の管理が不安なので、震災後すぐさま、片倉家ゆかりの宮城県白石市に寄贈したとのことでした。この「長面塩田の絵」は、3 月3 日まで白石市歴史探訪ミュージアムでの展示「震災を越えて―白石市の文化財レスキュー―」(主催:白石市教育委員会博物館建設準備室)にて、同市の博物館建設準備室が市内でレスキューした被災歴史資料とともに展示されています。

2   10 年ぶりの「再会」―北上町Y家文書
 神山家に続いて、北上川の対岸にある北上町Y家を訪問しました。あの時、津波で押し流された北上大橋には仮設の橋が架けられ、対岸にすぐ渡ることができました。
 先のシンポジウムでは、石巻市北上総合支所の今野照夫さん(元・北上町史編さん室長)から、旧北上町関係の古文書の被災状況が改めて報告されました。18 件中10 件が津波で消滅したとのことでした。北上川の堤防から直線距離で500 メートル程のY家は床上浸水の被害を受けましたが、古文書の被災は免れました。今野さんから、Y家で古い写真が確認されたとの連絡があり、河北町での活動に合わせ、七海さんとともに状況確認を行いました。

 写真の中には、明治時代の終わり、地元で「平形なめし」とよばれる湿田の排水のために設けられたポンプの落成記念を写したものがありました。「平形なめし」では、江戸時代から人々が洪水と戦いながら水田耕作を営んできました(『北上町史』通史編)。明治時代に入っても人々の努力が続いていたことを知りました。なお、津波で被災した「平形なめし」は塩分除去を行い、今年から耕作が再開される見込みとのことです。
 古文書の無事も確認しました。北上町史の中性紙封筒に収められた文書は、2002 年12 月の町史編さん事業による調査で整理したものです。10 年2 か月ぶりの「再会」は、感慨深いものでした。その他にも新たな史料が確認されたため、簡易な撮影を行いました。
  (絵:Y 家文書の現状)

 震災から間もなく2年が経ちます。今回訪問した地域では、無事だった史料の現状確認を行う必要があります。もちろん、史料を津波で失った所蔵者とのお約束である、古文書写真の「返却」も進めなければなりません。関係者と協力しながら、順次対応していく予定です。

 第184 号(2014 年2 月10 日)

速報
・石巻市と栗原市で歴史資料レスキューを実施


事務局佐藤大介です。先週に栗原市と石巻市で実施した歴史資料レスキュー活動の報告について速報です。詳細
については改めて配信する予定です。

栗原市M家での歴史資料レスキュー

2 月5 日および9 日、栗原市M家で歴史資料レスキューを実施しました。解体される母屋および土蔵で多くの古文書および近代文書が確認されました。それらを栗原市の施設に一時搬出しました。なお9 日の活動は急遽の募集にもかかわらず、18 名もの参加を得ることができました。東北学院大学の学生・院生6 名、さらに茨城史料ネットから2名の支援を得ました。記して御礼申し上げます。

石巻市K家での津波被災歴史資料レスキュー
2 月8 日、石巻市K家で歴史資料レスキューを実施しました。本会理事である東北学院大学の七海雅人さんとともに、津波で被災した江戸時代の古文書や近代文書など段ボール3 箱分を搬出しました。

  第183 号(2013 年1 月15 日)

    2012 年12 月の活動 

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。1 月もはや半分を過ぎましたが、昨年12 月の事務局での活動報告です。

    

■応急処置・クリーニング            (絵)吉浜小学校被災文書のクリーニング (12 月3 日)

石巻市S 家と同市吉浜小学校の被災文書史料へのクリーニングを行いました。前者は2012 年5 月、後者は同6 月に持ち込まれた後、その他の被災資料の対応が終わるまで、事務局の冷凍庫で保存していたものです。なお津波被災資料への対応が続いています。また11 月にレスキューした大崎市M家の資料についてもクリーニングを行いました。また、被災各地のふすま下張り文書の解体も進めています。 一連の作業には一般スタッフ、東北学院大、東北芸術工科大学竹原ゼミから、延べ163 名の参加を得ました。

■史料整理
栗原市O家の古文書および蔵書の整理を進めています。古文書は東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門、蔵書は一般ボランティアで行っています。
    
   O家文書の整理(12 月3 日)

■古文書の撮影
2011 年6 月にレスキューした陸前高田市C家資料の全点撮影が12 月18 日に終わりました。総撮影日数は30 日、撮影点数は22480コマ、延べの作業従事者は101 人でした。その後は、震災前からの事業である、斎藤報恩会所蔵資料のデジタル撮影を進めています。
182 号(2013 年1 月8 日)

   「被災文化財救援活動について考える会」東京で開催 

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。震災以来のご支援に改めて感謝申し上げるとともに、今年も引き続きご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

新年最初のニュースは、東京文化財研究所(台東区上野公園 13-43)を会場に、1 月23 日、2 月4 日、2 月22日の三回に分けて開催される「被災文化財救援活動について考える会 語ろう!文化財レスキュー ―被災文化財等救援委員会公開討論会―」のご案内です。

東日本大震災における、被災文化財(未指定含む)への対応については、いわゆる文化財レスキュー事業(事務局:東京文化財研究所)における対応が続いております。宮城資料ネットは、構成組織の一つです。また主催者からの趣旨文にもあるように、被災地では様々な活動が展開されています。今回の集会は、その経験を共有し、次の災害に活かしていくことが目的です。

日程及び内容の詳細については、添付ファイルないし東京文化財研究所公式サイトをご覧ください。一般参加可能ですが、いずれの日程も一週間前までの事前申込となっておりますので、よろしくお願いいたします。

第1日 1 月23 日(水) 10:00〜16:30
参加申し込み締め切り *1 月16 日(水)*

◇第2日 2 月4
日(月) 10:00〜16:30
参加申し込み締め切り *1 月28 日(月)*

第3日 2 月22 日(金) 10:00〜16:00
参加申し込み締め切り *2 月15 日(金)*

東京文化財研究所 ( http://www.tobunken.go.jp/japanese/rescue_sympo_130123.html )

*申込・問い合わせ (申し込み用紙PDF) 
申し込みは救援委員会事務局宛にe-mail またはfax でお送り下さい。
東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会 事務局

TEL: 03-3823-2245, FAX: 03-3823-4939
E-mail: jimukyoku01@tobunken.go.jp

なお宮城資料ネット事務局からは、下記の日程で公開討論に登壇いたします。
1 月23 日(第1日)
1.文化財のジャンルとレスキュー活動 佐藤大介
2.必要とされる技術 −2) 応急処置 天野真志

・2 月22 日(第3日)
5.体制 −1)被災地 佐藤大介

東日本大震災対応としての委員会は今年度末で終了する予定ですが、読売新聞1 月5 日付け朝刊によれば、新年度からは次の災害に備えた常設組織が結成されるとのことです。討論会で私たちの経験を伝えるとともに、新たな組織にも貢献できればと考えております。


181 号(2012 年12 月13 日)

  石巻市での活動−被災史料の返却・保全など

事務局佐藤大介です。12 月12 日(水)、石巻市にて被災歴史資料の保全活動を実施しました。

H 家古文書資料の返却
午前中はH 家を訪問しました。H 家の古文書資料は津波で被災し、昨年4 月と6 月に救出しました。史料は津波により全体に破損・劣化が見られるため、引き続き修復作業を進める予定にしています。一方、同家で最も大切にしている文書1点について返却のご希望がありました。また、修復前ですが史料全点の撮影が完了し、文書の内容情報は利用できる状況になりました。

そこで進捗状況と写真帳の説明を兼ねて訪問しました。所蔵者からは、「石巻古文書の会のおかげでみんなのものになった古文書が津波をかぶってしまいどうしようかと思ったが、無事戻ってきてよかった」というお話しがありました。石巻古文書の会では、H 家の古文書解読を、ご自宅を会場にして20 年近く継続してきたとのことです。私たちがH家史料被災の連絡を受けたのは、会を主催する庄司惠一さんからでした。地元でのつながりが前提になって、地域の史料が守られたのだと改めて感じました。   (上絵:写真帳の贈呈)

写真帳および画像データDVD は、所蔵者と石巻古文書の会、および石巻市教育委員会に提供しました。データ数は4,482 点でした。

石巻文化センター
正午前、石巻文化センターにて、津波で被災した宮城資料ネットの「歴史資料写真帳」4冊を搬出しました。石巻市教育委員会の佐々木淳さんから「発見」の情報を受けており、今後の保全活動を考える資料として活用すべく、石巻訪問の機会に合わせて回収しました。海砂と近くの製紙工場から流出したパルプにまみれた写真帳は、それ自体「震災資料」であるといえます。

写真帳4冊のうち、1冊は原本が消滅しています。また、データDVD は行方不明です。一方でデータは事務局で保管しておりますので、折を見て所蔵者と石巻市に提供することにしています。

 (右絵:津波で被災した歴史資料写真帳)



■本間英一家
石巻文化センターの後は、同市門脇町の本間英一家を訪問しました。本間家は震災後最初の津波被災地での活動写真帳の贈呈津波で被災した歴史資料写真帳を行った場所です。同家の被災歴史資料への対応について現状報告を行いました。
また、今年1 月28 日にレスキュー活動を行った石巻市住吉町K 家について、2 月の家屋解体の際に石巻古文書の会で一時搬出した道具などを一時搬出して、本間家の土蔵で保管しているとのことでした。状況を確認し、文書を保全のため借用しました。津波を受けながら奇跡的に倒壊を免れた土蔵が、同じ地域のほかの津波被災資料の保全に活用されていました。
なお,門脇町の町内会では,震災からの復興にむけてさまざまな取り組みがなされています。本間さんに完成したばかりの、土蔵をあしらった地域コミュニティのデザイン画を見せていただきました。災害から歴史資料を守る地域のつながりと、歴史資料が復興のよりどころとなっている現状を知る事ができた一日となりました。

   

 (上)本間家土蔵の現状       (右)「門脇・九後浜山・起上町内会まねきコミュニティ」の図中央が本間家土蔵)


180号(2012年12月3日)

        2012年11月の保全活動

事務局佐藤大介です。連日のニュース配信となりますがおつきあいください。2012年11月の活動報告です。
1 事務局での活動

被災歴史資料を白石市に一時搬出
これまでの活動で被災地から搬出した歴史資料については、その8割ほどを東北大学東北アジア研究センターのプレハブに一室を借用して保管してきました。しかし、同センターのもとの研究棟が全面改修されることになり、資料をさらに別の場所に移す必要が出てきました。そこで、11月12日、応急処置の終わった資料を中心に、白石市教育委員会博物館建設準備室の文化財保管庫へ一時的に搬出しました。
それでも、資料の保管場所確保は予断を許さない状況が続きます。宮城県など関係者の尽力で、確保に向けて調整を続けています。
  


被災資料の清掃
被災歴史資料の清掃を継続しています。事務局の冷凍庫に一時保存している資料を取り出し、クリーニングや水洗をおこなっています。
今月は大学生と市民のスタッフに加え、11月16日には東北芸術工科大学竹原万雄ゼミ、20日には東北学院大学菊地慶子ゼミからボランティア支援を得ました。

栗原市O家文書・書籍類の整理
2008年岩手・宮城内陸地震を契機に保全した、栗原市一迫O家文書の整理を進めています。11月からは、和本類や明治時代以降の書籍および雑誌の整理を始めました。こちらは、被災資料の清掃に来ている仙台市内の大学生やボランティアなど、初心者が中心です。和本ではあってもタイトルは楷書で書かれていることが多く、一般市民でも解読することは比較的容易です。専用の目録記入用紙に手書きで記入していく形で進めました。13日間、延べ113名で、1344点の目録化を終えています。
白石市収蔵庫への搬入(11月12日)
保管の現状(11月12日)
「古文書の読める人の仕事」と思われることの多い史料整理についても、どこまで一般のボランティアが対応出来るのか、模索を続けています。

 
学生ボランティアによる水洗(11月12日)           O家書籍の目録化(11月26日)


被災資料の撮影
先月に引き続き岩手県陸前高田市の被災資料を撮影しています。今月はのべ31名で、9133コマを撮影しました。
2 現地での活動

大崎市・M家史料の保全活動
11月5日と23日に、被災した土蔵などからの史料レスキューを実施しました。詳細はニュース179号をご覧ください。

仙台市・Y家での史料補修
今年4月に保全活動を実施した仙台市のY家にて、写真帳の提供と合わせ、冊子史料の補修を行いました。綴じ紐が外れていた20冊について、絹糸で閉じ直しました。震災後は保存修復分野とも連携が進み、簡単な補修については、事務局でもある程度対応出来るようになりました。

宮城県女川町・小学校保存資料の調査
11月16日、本会理事の大平聡さんにより、宮城県女川町立第一小および第二小学校の保存文書の調査が実施されました。大平さんが宮城県内で進めている、統廃合に伴う小中学校保管の歴史的公文書の保全活動です。戦前の文書が保存されていることが確認されました。「河北新報」11月19日付朝刊にて活動の様子が紹介されました。
女川町は中心部や集落が津波で甚大な被害を受けました。地域の歴史資料については、大肝入木村家文書や、東北歴史博物館で燻蒸していた近世文書を除き、極めて厳しい状況だと考えられます。女川町も含め、特に沿岸部では明治時代以降の歴史を明らかにする手がかりとして、学校文書の価値が高まっているといえます。

岩手県一関市K家史料の保全活動
11月16日、17日の両日、一関市大東町K家での保全活動を実施しました。詳細はニュース178号をご覧ください。

宮城県加美町・I家史料の保全活動
11月21日、宮城県加美町I家史料の保全活動を実施しました。同家では2008年度と2009年度に撮影を行いました。震災後、地元の方から新しい史料が見つかったとの連絡を受けていましたが、ようやく今回の保全活動となりました。
撮影は佐藤と、一関市K家に続き一般ボランティア2名の参加を得て行いました。土蔵に保管されていたという

家書籍の目録化(11月26日)
江戸時代後期から明治時代の和本、約50点を撮影しました。
丸一日かかった撮影の終わり、御当主からまだ他の史料があるというお話が出ました。そこで無理を言ってお願いしたところ、両手に一抱えの古文書を持参されました。「先生を信用します。どうぞ持っていって調べてください」という一言は、地元で保全活動をするものにとってはありがたいことでした。それに加え、「当家のの歴史を専門家の方に客観的な立場で明らかにしてほしい」という重い宿題も頂戴しました。
お預かりした文書は、21日により事務局の冷凍庫で燻蒸中です。2週間の燻蒸期間を経た後、整理と撮影に取りかかる予定です。

  
 加美町I家での保全活動(11月21日)              白石市域の村方文書を検討(11月29日)

宮城県白石市・遠藤家文書整理事業
宮城県白石市教育委員会博物館建設準備室と白石古文書の会による、仙台藩重臣遠藤家文書の整理事業への支援を、11月29日に行いました。史料整理と合わせ、白石市古文書の会が進めている村方文書の整理と翻刻についての相談を受け、情報交換を行いました。
3 広報活動


歴史資料レスキュー関連の報告
11月10日に新潟大学で開催されたシンポジウム「新潟県中越地震から東日本大震災へ−被災歴史資料の保全・活用の新しい方法をさぐる−」にて、事務局の蝦名裕一が「宮城県栗原市における歴史資料保全活動−二度の震災をうけて−」と題して報告を行いました。
2012年も残すところあと一か月。まだまだ活動は続きます。
 



    新潟での蝦名報告(11月10日)


179号(2012年12月1日)

      大崎市で被災歴史資料レスキューを実施

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。今回は11月23日に大崎市の文化財課と共同で実施した、同市田尻M家での被災歴史資料レスキューの報告です。

M家は、1974年に実施された宮城県内の古民家調査にリストアップされた、築200年ほどと推定されている母屋をもつ旧家です。宮城県内ではその後1993年にも古建築調査が実施されています。宮城県内ではこれらのリストを基に、文化庁による「文化財ドクター事業」などを通じて、宮城県と建築史の専門家による歴史的建造物の被災調査が進んでいます。

今回のレスキューは、その中心として活動している永井康雄山形大学教授(建築史)を通じての依頼でした。9月にM家の被災調査を行った際、古文書や下張り文書などが確認されたため、当主に私たちの活動を紹介したことがきっかけです。永井さんとは2008年の岩手・宮城内陸地震をきっかけに情報交換しながら活動を進めています。5月の宮城県大和町に続いて、現場レベルでの連携で、建物と歴史資料の被災対応が同時に進むことになりました。

大崎市の文化財課を通じて日程調整を進め、まず全体量を把握するため11月5日に佐藤が予備調査に赴きました。あわせて、古文書など少人数でも搬出できるもの5箱分を仙台に搬出しました。一方、土蔵の中には民具が大量に残されていました。母屋の中もさらに確認する必要があり、11月23日にさらに大人数でのレスキューを実施しました。

今回の参加者は、宮城資料ネットからは仙台、山形、さらには東京、名古屋、兵庫から、専門職の方々を中心とする11名のボランティア参加を得ました。さらに、大崎市岩出山を拠点に活動する「岩出山古文書の会」から8名の応援がありました。ボランティアと、地元の史料を自分たちで守るという市民の連携によるレスキューとなりました。

 
  土蔵の下見                            土蔵から史料を搬出

 
史料の運び出し                           運び出された史料

 
運び出した史料の清掃                      一時保管場所への収納

作業は土蔵班と母屋班を編成し、それぞれ資料の所在確認を進めながら搬出していきました。その中では、板蔵が1897年築であることを示す書類も見つかりました。その後でホコリなどの汚れを払ったあと、K家で事前に準備した仮の物置に収納しました。当初の見積もりよりも多くの資料が確認されたため、日没ぎりぎりの時間までかかりましたが、参加者が力を合わせて効率よく作業を終えることが出来ました。

なお江戸時代築の母屋ですが、今後についてはまだ決まっていません。1962年の宮城県での内陸地震、1978年の宮城県沖地震、2008年の岩手・宮城内陸地震を耐えた母屋は、震災では4月7日の余震で大きく被災しています。一方、この機会に建物や家の歴史を詳しく調べてほしいとのご要望もありました。今回のレスキュー史料の安定的な保存や、12月に予定されている建築調査も含め、継続的な対応が必要な状況です。

178号(2012年11月30日)

     一関市K家での保全活動

事務局の佐藤大介です。去る11月15日・16日の両日、一関市大東町K家にて古文書資料の保全活動を実施しました。一関市芦東山記念館、一関市博物館、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門との共同事業です。

9月4日の古文書返却事業に際しては、K家の「文庫蔵」と呼んでいる土蔵に大量の古文書が残されていることが確認されました。11月の芦東山記念館での燻蒸作業に合わせて最初の保全活動を行うことにしたのですが、その際の事前調査で、別の土蔵にも未整理の古文書が多数確認されたとのことでした。
今回の活動では、燻蒸のための史料の箱詰めを行いました。分量は保管箱60箱ほどになりました。また文庫蔵の保管文書の一部を撮影しました。撮影点数は2日間で1693コマでした。
あわせて、芦東山記念館で保存修復を担当する小味浩之さんが土蔵の清掃を行いました。古文書の入った棚や引き出し、床を、掃除機を使って丁寧にホコリなどを取り除きました。
現存の公的な収蔵施設はスペースの限界に直面しているところも多いようです。一方で、これまでの活動では、史料を自宅で保管し続けたいと考えている所蔵者も決して少なくありません。しかし、高齢のご夫婦

 
  史料の箱詰め(11月15日)                  古文書の撮影(11月16日) 

                                  タンスの引き出しを清掃(11月16日)
のみという場合など、土蔵などを個人で掃除するという事は大変な労力になります。そのような所蔵者の方々に対して、保管場所の環境を整えることも重要な支援だと再認識しました。

掃除そのものは誰でも可能です。むろん、一関市のように保存科学の専門家が史料所蔵者の身近にいれば、大きな強みとなるでしょう。

なお調査2日目の11月16日は、偶然にもK家の先代ご当主の命日でした。

活動の終わりに、現在の御当主から、今回の活動で史料を引き継ぐ道筋が出来たようで安心した、父も喜んでいるだろう、との言葉がありました。今回の活動が、K家の歴史にとって大きな出来事だったということを感じ、帰路に就きました。



177号(2012年11月6日)

 NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク2012年10月の活動

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。月報形式でお送りしている、宮城資料ネットの事務局などでの活動についての報告です。

事務局での活動

◇京都造形芸術大学・大林賢太郎ゼミによる宮城県大和町ふすま下張り文書の解体10月20日、21日、23日の3日間、京都造形芸術大学の大林賢太郎ゼミに依頼し、宮城県大和町でレスキューしたふすま下張り文書の解体作業を実施しました。大林ゼミからは、合計5名が参加しました。

対象となるふすま30枚は、江戸時代前期の建築と推定される寺院の建物から搬出したものです。この建物は移築を予定しており、ふすまなどの建具は再利用が前提となります。そのため、大林ゼミのご助力をお願いしたものです。下張り文書については、文書1枚ごとにラベルを付し、現状を丁寧に記録しながら剥がしていきました。20日と21日でふすま4枚分の解体が完了しました。

残りのふすまは、22日に京都に発送しました。これらは、京都で解体作業を行う予定です。また、保管中の屏風類についても応急処置を実施しました。遠路からの支援に感謝します。




 (絵:ふすま下張りから文書を剥がす(10月20日)

栗原市O家史料のクリーニング作業
先月に引き続き、栗原市O家文書のクリーニング作業を続けています。文書保管箱で約50箱分のクリーニングを行いました。

女川町津波被災史料のクリーニング作業

10月30日からは、今年3月にレスキューした女川町役場保管近世文書の水洗などによるクリーニングを開始しました。
クリーニング作業には、延べ186名が参加しました。

(絵:屏風の応急処置(10月23日)

◇古文書資料のデジタル撮影

10月は村田町Y家史料と、陸前高田市C家史料の撮影を行いました。合計撮影点数は6313コマとなりました。なおY家文書については今月の作業で撮影が完了しています。作業日数36日で、総コマ数は33,000コマとなりました。


地域での活動

栗原市での歴史資料レスキュー
10月14日に栗原市の個人宅にて歴史資料レスキューを行いました。詳細はネットニュース174号および176号をご覧ください。

(絵:クリーニング作業(10月23日)

白石市・遠藤家文書の整理作業
10月25日、白石市教育委員会博物館建設準備室と白石市古文書の会による、仙台藩重臣遠藤家文書の整理作業の支援に、事務局より佐藤が参加しました。


 (絵:白石市での史料整理支援(10月25日)

古文書返却事業

栗原市・I家

仙台藩の重臣であったI家の史料については、震災後の活動を通じて、かつての研究者の未返却資料の中に含まれていることを確認することができました。また返却事業とは別に、本会理事のJ.F.モリスさんが、昨年夏にI家で保管されている史料を調査されていました。そのような経緯から、モリスさんを通じて所蔵者と連絡を取ることができました。10月28日にモリスさんとともに現地を訪問し、83点の古文書を無事返却しました。これで返却が完了したのは12家の2566点となりました。Iさんは、昭和28年頃と推測される借用の経緯についてはご存じではなく、未返却資料の存在に驚いておられました。また、所蔵史料中の重要な文書について解読をお願いしたいというお話がありました。

今回の返却をきっかけに、所蔵者との新たな関係作りを進めていければと考えています。


<事務局・連絡先>
NPO法人 宮城歴史資料保全ネットワーク
980-8576 仙台市青葉区川内27-1 東北大学川内キャンパス文科系総合研究棟11F 電話 022-795-7693/7546 080-1666-5919(携帯)メール office@miyagi-shiryounet.org ホームページ http://www.miyagi-shiryounet.org


 176

   史料搬出ボランティアを体験して
 
    鈴木 伸和(NPO法人映画保存協会)

2012年10月14日(日)、宮城県栗原市S家の土蔵にて、宮城資料ネットによる歴史資料の搬出ボランティアに参加しました。今回、東京から参加したのはいくつか理由があります。私は所属する団体として、被災した動的映像資料(映画フィルムやビデオテープ等)を東京で受け入れ、応急処置等を行ってきましたが、被災地で歴史資料を直接扱う機会はこれまで一度もありませんでした。それは、私たちの活動が未熟で経験が浅いことに加え、動的映像資料が歴史資料と見なされていない場合もあり、被災地域からの依頼や情報提供がそれほど多くないという現状もありました。そのため、もっと積極的にこちらから外へ出て、他団体、他分野と関わる必要性があると感じていたことが主な理由となります。ちょうどその時、宮城資料ネットのメールニュースでこのボランティア募集を知り、応募させていただいたことが、今回参加したきっかけとなりました。

当日は朝8時半に仙台駅に集合し、そのまま現地へ車で向かいました。宮城資料ネットの方を含め14名とのことで比較的多い印象でした。その後、搬出した資料の一時保管を行う施設に立ち寄り、そこで栗原市教育委員会の文化財担当者と合流し、現場へ向かいました。搬出予定の土蔵は、外壁に亀裂と剥離があり、入り口の柱も一部地面から浮いている状態で、傾いていることが伺い知れます。

今回の作業の流れは、土蔵内にある歴史資料(今回は主に紙資料と民具等で、全ての物を持ち出す訳ではない)を土蔵の前庭に一時搬出し、そこで害虫予防のため簡単に埃を払った後、紙資料と物資料とに分別して段ボールに詰め、一時保管所へ車で搬送する、というものです。どの資料を持ち出すのかは、所有者の確認を取った後に、宮城資料ネットに所属している歴史学の専門家が判断をします。私が行った搬出補助は特に難しい作業ではなく、宮城資料ネットの方々の慣れた作業の邪魔にならないことだけを念頭に行いました。作業としては「引っ越し」と似た感覚ですので、補助をするだけであれば誰でも出来ると思います。当日は快晴で無風だったことも幸いし、作業はとてもスムーズに進み、絵:民具の搬出(撮影・宮城資料ネット事務局)

予定よりも早く終えることができました。このように当日の作業のみを簡潔に書くと、歴史資料の救済が簡単であるかのように思われるかもしれませんが、しかし実際は、大学、非営利団体、自治体それぞれが的確に連携し、かつ長年の実績があるからこそスムーズに作業ができる訳で、仮に何かが欠けていたとすれば、所有者との信頼関係をすぐに築くことができず、歴史資料を「引っ越し」のようにスムーズに搬出できないまま土蔵が解体されてしまった可能性もある、ということは伝えておく必要があるように思います。

宮城資料ネットの代表でもあり、東北大学の教授でもある平川新先生によれば、自治体職員が調査に同行していると歴史資料所有者の方も安心されるとのことでした。文化財レスキューに関わる人であれば、誰でもこの点に強く頷かれることだろうと思います。また私が一番驚いたことは、宮城資料ネットは長年の活動により、県内の多くの自治体とつながりを持っているという平川先生の謙虚な、かつ自信を持った言葉でした。歴史資料というと発見や修復が大きくニュースになることもありますが、そういったニュースの裏にはこうした長年の地道な活動があるということを、絶対に忘れてはいけないように教わった気がします。

せっかくの機会ですので、私の雑感も記したいと思います。ボランティアの前日に仙台市博物館へ行き、宮城資料ネットの方々によって発見された司馬江漢の衝立や、津波で流された後に奇跡的に見つかり、修復された伊達政宗の書状を見てきました。仙台市博物館は、国宝の慶長遣欧使節関係資料も展示されているのですが、来館された方々にとっては被災された書状の方に関心があるのか、国宝よりも伊達政宗の書状の方が多くの人に見られていて印象的でした。

私自身は動的映像資料を専門に扱っているため、近代化以降の歴史資料に興味があり、近・現代の区画に展示されていた、昭和初期の電車音やバスガイドの音声案内を何度か聴くことができました。その他、たくさんの写真や紙資料はもちろんあるのですが、100万人都市である仙台の近現代史を展示する区画であっても、残念ながら映像の展示は1点もありませんでした。そのこと自体は特に珍しいことではなく、全国のM(美術館・博物館)L(図書館)A(公文書館)でも、歴史資料の一つとして動的映像資料が保存されることは少ないですが、しかし、その事実を目の当たりにすることで、私(たち)の仕事の意義を感じることもできます。

今回体験させていただいた宮城資料ネットの活動を参考にさせていただきながら、今後、動的映像資料が社会で忘れ去られることがないよう、これからも地道な活動を続けていくことが重要であると感じています。 絵:搬出した資料の仕分け(撮影・同前)

最後に、貴重な機会を提供していただいた宮城資料ネットの方々と、当日、お昼ご飯まで用意してくださった土蔵所有者のご家族に、改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

(編集・佐藤追記)

*NPO法人映画保存協会 公式サイト http://www.filmpres.org/

175(2012年10月24日)


   宮城資料ネットが『ビッグコミック スピリッツ』で漫画になりました

「ギャラリーフェイク」で有名な漫画家・細野不二彦さんによって、東日本大震災後の宮城資料ネットの活動が漫画に描かれました。前編は『週刊BIG COMIC スピリッツ』(小学館)NO.47、11月5日号(10月22日発売)、後編は次号NO.48(10月29日発売)に掲載されます。2回連載です。

細野さんら7人の漫画家が「スピリッツ」や「少年サンデー」(小学館)などに特別に書き下ろした作品を来春単行本化し、その印税などを被災地に寄附する企画です。
細野さんの「ギャラリーフェイク」は美術界の裏世界を描いて人気を博した作品ですが、宮城資料ネットが古文書や古美術品などのレスキューをしていることに注目してくれたのでした。主人公のフジタと共に、宮城資料ネットメンバーが、いかがわしい古美術商から骨董品を守るストーリーになっております。
描かれている人物が誰に似ているのか。想像しながらお読みいただくと楽しみも倍増です。ぜひ御覧ください。(平川・記)
 注意 絵webよりプリントスクリーンしました)

  第174号(2012年10月20日)

     宮城県栗原市にて歴史資料レスキューを実施

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。去る10月14日に、宮城県栗原市S家にて歴史資料レスキューを実施しました。参加者は宮城地区と、青森、岩手、福島、山形、さらに関東から合わせて14名でした。

今回のレスキューは、震災による被災で土蔵を解体することにともなうものです。土蔵の中に残されていた古文書や民具などの所在確認を行い、土蔵の外に搬出して選別しました。その後、段ボール約40箱分の史料を、同市内の一時保管場所に搬出しました。明治時代の地租改正に関する書類や、現在は姿を消した神社の江戸時代のお祭りの際の幟(のぼり)などが確認されました。

合わせて、解体される明治34年築造の土蔵自体について、簡易測量を実施しました。

これらの史料は、所蔵者もこれまでその所在を知らず、栗原市からの呼びかけにより、調査に同意されたとのことです。行政と連携して地域の歴史を知る手がかりとなる史料を保全できました。各地でおおむね今年度末に期限を迎える公費解体の進行に合わせて、活動が今後も増えてきそうな状況です










 参照(当日の様子を動画で見る)
 
         


 173号(2012年10月16 日)

    被災資料レスキューの現場に少しだけ触れての雑感

                          廣川和花(大阪大学適塾記念センター)

2012年8月27日(月)と28日(火)の両日、東北大学川内キャンパスにて行われた被災資料保全活動に参加させていただきました。2012年1月に宮城資料ネットでレスキューされた資料の中に、近世・近代の医学・医療に関するものがあり、この資料群について、宮城資料ネット事務局の蝦名裕一さんが医療史の専門家によるチームを組んで整理作業をしたいと考えておられるとの由、史料ネット(神戸)事務局長の川内淳史さん(近代日本医療史・社会福祉史)を通じて伺ったのがきっかけです。今回は、川内さんと高岡裕之さん(日本近代医療史)、佐藤賢一さん(近世科学史)その他の方々にお声掛けし、上記日程での訪問が実現しました。

 (絵:1月29日に実施したレスキュー活動)






今回わたしたちが整理作業をしたのは現石巻市住吉地区で代々医業を営んでいたK家の資料群でした。地震・津波被害を受け、宮城資料ネットにより救出された多数の襖や古文書群は、ボランティアの方々の手で解体やクリーニングが施された状態にあり、われわれが着手するまでの段階で、すでに多くの方のご尽力があったことが伝わってきました。処置を施され段ボールに納められた史料の多くは襖の下張り文書で、書簡や医学書などの典籍、処方録などがバラバラの状態で複数の襖にまたがって張り込まれていたものです。よって、史料の原秩序を重視するというよりも、解体された元の史料の秩序をある程度取り戻すことを目指した整理をすることになりました。つまり「神経衰弱」のような作業といえばわかりやすいかと思います。

 (絵:剥がし作業直後の下張り文書)



1月29日に実施したレスキュー活動 剥がし作業直後の下張り文書

専門的な見地からどの程度お役に立てたかどうかは心許ないですが、近世・近代を通じて地域医療にかかわった家の資料群に触れ、しかもバラバラになった史料の整理を通じてその営みをどうにかして文字通り復元しようとする作業は、すでに整理された史料を利用して研究対象にアプローチするのとはかなり異なる、しかし新鮮な体験でした。もちろんてんでバラバラになったひとつの史料の断片が別々の箱から次々に出てくるのは大変でしたが…。

 (絵:下張り文書の復元作業)

 今回実際の作業に少しだけ関わらせていただいたことで、他にもいろいろなことに気づかされました。そのひとつに、資料レスキューという作業が歴史学の中でおかれている位置に関することがあります。資料レスキューが報道される際には、しばしば「レスキューされたものの中にこのような珍しい、貴重な資料があった!」ということが強調される場合が多いように思います。それについてこれまでわたしは資料群の中に資料的価値が高い(「使える」史料)ものがあるかどうかでレスキューの重要性が決定されるかのようなアピールはおかしいのではないかという疑問を持っていました。資料は等しく貴重なものであり、保全された資料群そのものが貴重なのであるというべきだろうと。
 しかし、歴史学関係者にすら、あんな「使えない」史料を救って何になるのかという態度をとる人が少なからずいるという現実の前には、現場から「いやいや、こんな『使える』史料もあるんですよ」という発信の仕方をせざるを得ないのだと思い知らされました。実際には、レスキューの現場にいる人の方がよほどどうしようもなく「使えない」史料の断片の山と向き合っていて、その中から辛うじて再構成された史料の中から、どのような歴史像を立ち上げることができるかを必死で考えている。その場合の「使える史料」は、誰かの手によって整理された史料を当然のものとして研究に利用する場合のそれとは、本質的かつ必然的に異なる意味をもっています。保全された「使える」史料のアピールにはそんなやむにやまれぬ背景もあるのだということに、これまでは思い至っていませんでした。

 それから、これまでわたしは、資料レスキューのために遠方から出かけていくことについても積極的な意味を見いだせていませんでした。西日本から東北へと出かけるのにかかる交通費をカンパするほうがレスキューに役立ててもらえるのではないかと考えていたのです。しかし、膨大な被災資料の前に圧倒的に人手が足りない現実をみると、そうもいっていられないように思いました。今回のように資料の性質に特化したチームを組んで作業をする場合には特にそうで、いろいろな地域から参加してみてそれぞれに感じ考えることがあったのは、参加させていただいたわれわれの側にとって大きな収穫であったと思います。今後もこのチームに新しいメンバーを加えて作業を継続していければと思っています。とはいえ、関西からではやはり距離の遠さは否めません。ぜひ関東など地理的に比較的近い地域の方々の関心が高まり、支援の手が増えることを願ってやみません。

 ちなみにこの2日間の作業の翌日、ふくしま歴史資料保存ネットワークの本間宏さんを訪ねて、復旧作業のため休館中の福島県立歴史資料館に伺いました。そこでもこれまでにレスキューされた数多くの資料を見せていただき、ふくしまネットが避難させた飯舘村の資料展示をもって始まる資料館再開館への取り組みについてのお話をお聞きしました。被災地域で歴史史料に関わって生きていく人たちから、歴史研究者が学ぶことは本当に大きく、いうべき言葉もみつかりません。何か少しでもお返しできることがあれば良いのですが。

 地震と津波、原子力災害による被害を前にして、歴史学に何ができるかについて、今あちこちで議論されています。中には、大上段に構えた(とわたしには思える)議論もままみられます。これまでの歴史学(…が、果たして適切な主語なのかわかりません)が「見落としてきた」諸問題に取り組まなければならないという主張もあります。それぞれの向き合い方があって良いと思いますが、まずは歴史を論じる際によってたつべき資料を保全することなしには、どのような歴史学もそもそも成り立たないのではなかろうかと思います。ほんの少し垣間見ただけの経験から、わかったようなことを言うべきでないことも重々承知していますが、その少しのことからすら実に多くのことを学んだのも、事実です。今回受け入れていただいた宮城資料ネットと事務局の蝦名裕一さんに、心からの感謝を申し上げます。

(追記)今回の下張り文書の復元作業では、皆様遠方にも関わらず、この作業のために駆けつけていただきました。参加者の皆様に心より御礼申し上げます。今後も、こうした下張り文書の復元作業を随時実施する予定です。(事務局・蝦名)


第 172号(2012年10月3日)

      2012年9月の活動−震災対応・各地での活動

事務局佐藤大介です。今回は9月の活動について報告します。
1 各地での活動

登米市K家での被災状況調査
9月2日、登米市K家にて所蔵者の依頼による被災状況調査を行いました。同家は2004年に、合併前の登米町の域内で実施した所在状況調査で訪問していました。今回の震災では土蔵が壊れるなどの被害があったとのことです。今後の保管に不安を感じたとのことで、私たちが2004年の調査で配布したチラシを見て連絡されたとのことです。
公開施設として活用されている店蔵や土蔵は、すでに行政の補助を得て修復されていました。所蔵品については震災により転倒したり散乱したりしたとのことですが、ある程度まで片付けられていました。一方、民具を中心とする膨大な資料の活用方法について相談がありました。個人で運営する史料展示施設への支援については、災害対応とは異なりますが、地域に残された歴史資料を守るための課題だと感じました。

一関市K家へ古文書史料返却
9月4日、一関市K家への返却を完了しました。会員の荒武賢一朗さん(東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門)と事務局の佐藤が、一関市博物館および芦東山記念館の職員とともに訪問しました。
K家については、7月に本会会員である一関市芦東山記念館の張基善さんからもたらされました。同館職員の千葉貴志さんからは、大学の先生による史料未返却もあり、これまで史料の公開には極めて慎重な対応をされていたというお話もありました。研究者による史料の未返却が地元にどのような影響を残すか、改めて知る事になりました。このことを事前情報として得ていた私たちは、緊張感をもって訪問しました。
 (絵:K家土蔵に残されていた文書・9月4日)
ご当主は、20代のころ、昭和20年代後半に東北や関東の大学が共同で実施した古文書調査のことをご記憶でした。「先祖が大切に整理していた書類を大学の先生たちが部屋にぶちまけはじめたので、対応した父親は怒って、それ以来研究者には史料を一切見せなくなった」とのことでした。かつての「主題別分類」による調査は、それまでの保管の秩序を崩してしまうという技術的な問題があるということは、関係者の間ではよく知られています。一方、史料を大切に伝えてきた所蔵者がどのように感じるかは、あまり顧みられなかったようにも思います。現状記録を取ればよい、ということではなく、所蔵者の史料に対する思いをよく知るということが重要なのだといえます。
対象となった史料5点の返却を終えると、御当主は事前に用意されていた10数点の史料を見せてください

ました。早速、デジタルカメラで撮影を始めると、このような方法があるのかと驚かれ、中が散らかっていて恥ずかしいが、他の史料も見てほしいと、土蔵に案内されました。そこには、前述の大学研究者たちによる整理の後で、親戚の方が茶封筒で整理したという推定数万点の古文書がありました。父親から託された史料をどうやって残せばいいか不安に感じていた、ぜひこれらも整理してほしい、とのことでした。
今回の訪問は、史料をなんとか将来に伝えたいという所蔵者にとって、結果的に時宜を得たものだったようです。一方で、地元の所蔵者にとって、史料を守るための時間は、それほど潤沢に残されているわけではないことを再認識する機会ともなりました。

ふくしま史料ネットへの支援
9月6日・7日の両日、ふくしま歴史資料保存ネットワークによる被災歴史資料の撮影支援を行いました。詳細はネット・ニュース170号をご覧ください。

所在確認調査−丸森町O家

9月8日には仙台市博物館学芸員の佐々木徹さん(文献)、酒井昌一郎さん(美術)とともに、事務局の佐藤が丸森町O家で所在確認調査を行いました。
同家への訪問も、所蔵されている古文書などの保管に不安を持たれた所蔵者が、仙台市博物館に相談されたことがきっかけです。6月には仙台のNPO事務局に訪問をうけ、状況について聞き取りを行いました。その後は被災資料対応などもあり、やや期間をおいた訪問となりました。
現地を訪問すると、倉庫に多数の古文書、さらには彫刻や書蹟などの美術系の史料が収められていました。三人で分担して、保管状況や概要撮影を行いました。それぞれの専門分野を活かし、多様な種類の史料に対応しました。
2 事務局での活動

 (絵:丸森町O家での調査9月8日)


東日本大震災・津波被災資料への対応
東日本大震災の津波で被災したふすま下張り文書などの被災資料への消毒とクリーニングを継続しています。9月は作業日数6日間、延べ36人で作業を進めました。

東日本大震災・被災史料の撮影
応急処置を終え、撮影に支障のない状態になった史料はデジタルカメラでの撮影を進めています。11日間、延べ34名で、11762コマの撮影を終えました。

栗原市O家文書の保全
今回の被災史料とともに、岩手・宮城内陸地震の際に保全したO家文書のクリーニング作業を進めています。史料は公的機関への寄贈が予定されており、受入のための環境を整えるという意味もあります。9月は作業日数10日間、のべ70名で、段ボール13箱分のクリーニングを終えました。被災史料への対応も含め、今月も担当スタッフの奮闘で作業は順調に進みました。とはいえ、O家についてはまだ40箱以上のクリーニングが必要な状況です。

        
        O家史料のクリーニング(9月25日)
        
         O家史料の目録作成(9月25日)

クリーニングを終えた資料について、順次現物参照による目録作成を始めました。作業には、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料研究部門の支援を得ています。史料の公的機関への寄贈に際しては、目録を作成が必須であることが多くあります。一方、現状では、各機関で目録を作るための人員確保が難しいこともあります。公的機関へのスムースな受入を支援すべく、作業を進めています。


171(2012年10月1日)

      救出された司馬江漢の作品 初公開
   仙台市博物館特別展「江戸の旅−たどる道・えがかれる風景」にて


宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。東日本大震災での被災歴史資料レスキューは今なお続いています。それとともに、救出された史料の本格的な修復、さらに修復を終えた史料の展示も、各地で徐々に始まっています。
9月28日より仙台市博物館で開催の特別展「江戸の旅」では、今年1月29日に石巻市の勝又家旧邸からレスキューされた、江戸時代後期の洋風画家・司馬江漢(1747−1818)の油絵2点が展示されています。
宮城資料ネットが石巻千石船の会の協力を得て実施したレスキューでは、2月に予定されていた家屋解体の寸前に、文書や掛け軸類などを丸一日かけて搬出しました。司馬江漢の作品は、夕闇が迫り、作業が終了する寸前に、板蔵の奥から発見されました。レスキュー活動の詳細は、本ニュース159号をご参照ください。
今回は、仙台市博物館学芸員の坂田美咲さんから、救出後の本格的な修復と、展示に至るまでの経過、さらに作品も含めた特別展の内容についてご報告いただきます。


   救出された司馬江漢の衝立

  「江之島児淵眺望・金沢能見堂眺望図衝立」初公開


仙台市博物館 坂田美咲
東日本大震災で津波被害をうけた司馬江漢の衝立について、宮城資料ネットを通じて仙台市博物館に照会があったのは今年2月末のこと。資料は司馬江漢自筆の油彩画で、衝立形式は他に類例がない大変貴重なものだった。ご所蔵者は「歴史的な名品は公共の共有財産である」とおっしゃり、翌3月には仙台市博物館に作品をご寄贈なさった。
博物館に受け入れた当時、衝立の脚部分は欠損しており、画面には津波による塩分が浮き出し、一部が剥落した状態だった。また汚れも各所にみられた。博物館では作品を燻蒸したうえで、専門業者に依頼し修復を行った。まず衝立の木枠を解体し、修復前の状態

 (絵 提供・仙台市博物館/3枚共)
    

             修復前の状態                        修復後

画面を骨組から外して、裏張りを剥がした。本紙の塩抜きと洗浄をし、剥落した部分の色注しを行った。修復を終えた作品は9月28日より仙台市博物館で開催中の特別展「江戸の旅」で初公開されている。
津波を生き延びた資料を、地域の中で公開すること。そのことは、各地域や家が伝えてきた資料を、地域の共有財産として地域の中で守り伝えていくという意識を広げるために重要なことだと思う。津波や震災で失われた資料は多い。しかし生き延びた資料が災害以外の理由によって失われることをどう防ぐのかという点も今後一層考えていくべき問題だと思う。
   
    ついたての展示風景(博物館2階・企画展示室にて

なお、仙台市博物館では今回紹介した衝立に加えて、常設展示でも石巻市で津波から奇跡的に救出された伊達政宗書状2件を展示している。特別展と併せて是非ご覧いただきたい。

■特別展「江戸の旅−たどる道、えがかれる風景−」のご案内
会 期:平成24年9月28日(金)〜11月11日(日)
前期:9月28日(金)〜10月21日(日)
後期:10月23日(火)〜11月11日(日)
*月曜日休館 ただし10月9日(体育の日)を除く
観覧料:特別展料金 一般900円、高校・大学生500円、小中学生200円
主な展示資料(◎印は重要文化財、□は県指定文化財)

◎「五街道其外分間延絵図並見取絵図」(東京国立博物館)
◎「菅江真澄遊覧記」(個人蔵)
□「江戸一目図屏風」鍬形寫ヨ筆(津山郷土博物館)*前期のみ展示
増補行程記(もりおか歴史文化館蔵)
お国替絵巻(個人蔵)など
資料総件数255件、見ごたえがありますので是非ご来館ください。


佐藤も早速展示を見に行きました。消滅寸前でレスキューされた史料が、数々の指定文化財とともに展示されている様子は、搬出に関わったものとして感慨深いものがあります。レスキューからちょうど8か月で展示に至りました。仙台市博物館を初めとする関係各位の尽力に敬意を表します。多くの方にご覧いただければと思います。

170号(2012年9月15日)

             ふくしま史料ネットへの史料撮影支援を実施

事務局の佐藤大介です。9月6日と7日の両日、福島市の福島大学街中ブランチ舟場で、ふくしま歴史資料保存ネットワーク(ふくしま史料ネット)による被災歴史資料の保全活動が行われました。同ネットの依頼により、宮城資料ネットから佐藤がデジタルカメラによる撮影の技術支援を行ってきました。

(絵:ふくしま史料ネットでの撮影作業(9月6日)

宮城資料ネットでは、一つの家や組織の文書群を効率よく記録化するため、時にはデジタルカメラを10台以上使って撮影を行います。当初はカメラごとに撮影方法がまちまちでした。そこで、誰が作業しても写し方がなるべく均質になるよう、2005年頃に最初の撮影マニュアルを作りました。その後も工夫を加え続けています。現在はマニュアルを説明した上で撮影を進めています。マニュアル化により、古文書を扱ったことの無い一般の方でも保全活動に参加できるようにすることを目指すものでもあります。マニュアルは公式サイトで公開しています。今回の福島での活動は、いわゆる「宮城方式」を本格的に他の地域の史料ネットに支援する初めての機会となりました。

ふくしま史料ネット事務局からの呼びかけに、福島県内各地の研究者や郷土史サークルの方、茨城史料ネット、さらには東京、大阪などから23人の参加がありました。保全対象は、福島県内の解体土蔵から救出された、近世・近代の文書史料です。

佐藤は、今回の保全活動の中で、冒頭にマニュアルの説明を行いました。その後は実際の撮影作業で、5班編成の撮影班を巡回して史料の形や状態に応じた撮影方法を助言しました。さらに、事務局の本間宏さんと徳竹剛さんには、撮影画像の集約と確認のポイントをアドバイスしました。最初が肝心だからと、画像チェックはやや厳しくお願いしました。二日目にはプロジェクターを用いて全員で画像の確認と、撮影方法の確認を行ってもらいました。参加者も2日目には作業に慣れ、合計で約3200コマを撮影しました。

 (絵:撮影画像の集約作業(9月6日)

デジタルカメラを使うことはもちろん、撮影をスムースに行うための様々な小道具は、手前味噌ながら「目からウロコ」といった印象を持たれた方が多かったようです。一方、機材の設置や撮影など具体的な手順については、冒頭でマニュアルを読み上げるだけになってしまいました。もう少し実演を交えたりするなど工夫が必要だったと反省しています。今回のふくしま史料ネットでの経験を踏まえ、マニュアルの内容やその伝え方をさらに磨いていきたいと思います。
私事ながら、今回の会場となった福島市は、私が小・中・高校を過ごした町です。今回の支援が、ふるさと福島県での被災歴史資料レスキューに少しでも寄与するところがあったならば幸いです。機会を与えていただいたふくしま史料ネット事務局と、参加者の方々に、末筆ながら記して御礼申し上げます。
 

169号(2012年9月11日)

   被災史料への対応続く−6月から8月の活動

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。あの日から1年半が過ぎました。

事務局執筆のネットニュースは3か月ぶりです。保全活動や、事務局員それぞれの公務もあり、なかなかニュースをお届けすることが出来ませんでした。しかし、私たち自身の活動記録を作ることは重要な仕事です。さらに、活動の様子を広くお知らせすることは、多くの方のご支援に対する社会的な責務です。ニュース168号に続き、2012年6月から8月までの活動についてご報告いたします。

1 被災資料レスキュー

◇現地での活動

○6月1日・仙台市S家文書
仙台市史編さん室と合同で、市内にあるS家のレスキューを実施しました。事務局から平川と天野が参加し、文書やふすま下張り文書などをレスキューしました。

○6月8日・仙台市Y家文書


仙台市の沿岸部に位置するY家は、昨年5月に所蔵者自ら津波で被災した古文書資料を持参し、レスキュー対応をおこないました。それらは応急処置と全点撮影を終えております。今後の対応について相談するため連絡したところ、あらたに古文書が見つかったとの連絡があり、理事長の平川と佐藤で現場に急行しました。
木箱に収められた古文書は、津波被災から1年3か月が経過して劣化が進んでいました。実は佐藤は、文書が最初に持ち込まれた直後に現地を訪問していたのですが、その際に見落としてしまっていたのです。あのとき保全していればと考えると、悔やんでも悔やみきれません。文書はお引き取りし、現在は事務局の冷凍庫で保管しています。

(絵:発見されたY家文書(6月8日)



○6月12日・南三陸町E家文書


E家文書は、昨年7月にレスキューした津波被災文書です。応急処置と全点撮影を終えた史料を、写真帳とともに6月12日に事務局の蝦名が現地を訪れ返却しました。その際、所蔵者から新たに見つかった文書類があるとのことで、引き取ってきました。
段ボール1箱分の文書は自然に乾燥しており、状態もさほど悪くありません。今後、順次クリーニングを行っていく予定です。
発見されたY家文書(6月8日)


○7月10日・気仙沼市A家文書

A家文書については、2011年4月30日に実施した気仙沼市域での被災状況調査で、自宅は津波で被災したが、所蔵者はご無事であったとの情報を得ていました。
古文書については情報をつかみかねていましたが、被災した学校文書の保全を続けている本会理事の大平聡さん(宮城学院女子大学)から、7月9日に学区の校長先生を通じて、古文書の救援要請を受けたとの連絡がありました。翌10日、大平さんと事務局の天野が気仙沼市に向かい、文書をお引き取りしました。
クリアーファイル数冊に整理されていた古文書には、カビの発生も見られました。すぐに応急処置と冷凍庫での保管を始めました。
(絵:A家文書への応急処置(7月11日)



○学校文書レスキュー

6月1日に石巻市内の小学校、7月28日には南三陸町内の中学校から新たな津波被災文書が持ち込まれました。合計で段ボール20箱ほどです。現在、応急処置を続けています。



○7月27日・8月28日・大和町T寺家史料

今回の震災で被災した大和町T寺において、7月27日の檀家惣代集会において、史料保全活動の状況報告を行いました。建築は山形大学の永井康雄教授(建築史)が担当し、古文書や絵画を佐藤が担当しました。庫裏は江戸時代前期の建築である可能性が高いこと、そのふすまの下張りに江戸時代の古文書が使われていることを報告しました。
8月29日には、本会理事の井上研一郎さん(宮城学院女子大学)とゼミ生の協力を得て、5月2日の被災状況調査で確認され、事務局に借用していた20点程の絵画史料の返却も兼ねた概要調査を現地で実施しました。

(絵:T寺絵画史料の調査(8月28日)



○7月28日・登米市米山町での被災土蔵調査

7月28日には登米市米山町の被災した土蔵の簡易実測調査を行いました。土蔵は「水山」と呼ばれる、北上川の氾濫を避けるために設けられた土盛りの上に立てられていました。水害をしのぐ先人の知恵を実地で知る事が出来ました。

○8月27日・村田町Y家史料保全活動(3次)

東日本大震災で被災したY家の史料について、5月に借用して応急処置と撮影を終えた分を返却しました。この際、新たに未整理の古文書が確認されました。木箱や段ボールなど12箱を搬出し、保全を行うことにしまし
A家文書への応急処置(7月11日)
T寺絵画史料の調査(8月28日)
Y家史料の搬出(8月27日)
た。
(絵:Y家史料の搬出(8月27日)


◇事務局での活動


○被災歴史資料の応急処置・クリーニング

作業は平日に実施しています。被災歴史資料への応急処置と、ふすま下張り文書の解体が中心です。6月から8月までの3か月間で段ボール70箱ほどの応急処置を行いました。
作業はスタッフとして雇用している地元市民ボランティアの他、東北芸術工科大学竹原万雄ゼミ、東北大学中川学ゼミ、および個別に参加申込のあった全国の研究者やボランティアの皆様の協力をいただきました。記して御礼申し上げます。


(絵:被災資料のクリーニング(7月17日)


○デジタルカメラでの撮影

応急処置が終わり状態が安定した史料は、今後の災害に備えた全点撮影を週3回行っています。6月から8月までの3か月間に、約3万カットの画像データを収集しました。
震災から一年半が過ぎようとしていますが、状況が落ち着くにつれ、新たな被災資料が確認されています。着実に対応を進めていますが、終わりの見通せる状況には全くありません。
なお、これまでの現地からの被災資料搬出には、文化財レスキュー事業において奈良文化財研究所から借用していた公用車が大活躍しました。このほど福島県での被災歴史資料レスキューで使用するため、7月25日に返却しました。


(絵:被災歴史資料の撮影(7月6日)



2 通常の事業・その他の活動

○川崎町S家文書の保全活動(2次・3次)

6月12日・13日と、8月8日・9日に、川崎町S家での保全活動を実施しました。8月の活動でわずかに残った分については所蔵者の許可を得て借用し、現時点で確認されている分の古文書については撮影を完了しました。撮影コマ数は重複分など整理前の速報値で6304コマとなりました。

○白石市での古文書史料整理支援

白石市教育委員会博物館建設準備室と白石古文書の会が進める、仙台藩重臣遠藤家文書の整理支援に、事務局佐藤が引き続き参加しています。7月6日と8月3日の両日に白石市中央公民館での作業に参加しました。古文書の会メンバーによる、整理の域を超えた精力的な作業で、新たな情報が次々と引き出されています。

○古文書返却事業

かつての大学研究者(故人)が各地の旧家から借用したままの古文書について、7月30日に石巻市H家、8
被災資料のクリーニング(7月17日)
被災歴史資料の撮影(7月6日) 
月22日に同市O家への返却を行いました。
H家については、すでに家が絶えていたため、石巻市教育委員会に公的な対応を依頼しました。ただし、ご承知のような被災状況のため、当面は宮城資料ネット事務局で保管を続けます。
O家については、宮城資料ネット最初の活動となった2003年の被災資料レスキューで訪問先となったお宅でした。返却時のご当主からの聞き取りで、50年ほど前に史料を貸したときの状況について知る事が出来ました。自分たちには分からないが研究のお役にたつなら、ということで貸した、今回返却してもらいありがたいということでした。母屋は築200年ほどの建物でしたが、大きな被災はなかったとのことでした。
これで、58件中10件の返却を完了しました。今回の返却は、図らずも以前の災害時に訪問したお宅の被災状況調査も兼ねることになりました。
震災対応の活動が知られるにつれ、問い合わせや保全の依頼も増えています。無理のない範囲で、今後も対応していくことにしています。

ニュース168号(2012年7月11日)

    ボランティアとして少し働いて       東京大学史料編纂所  保立道久

 6月27日から3日間、ボランティアに参加しました。第一日目午前中は、石巻の小学校の校務書類の最終整理の御手伝い。午後は、いたんだS家文書の封筒の交換と現状記録(カメラ、新封筒記入)。二日目と三日目午前は、K家の襖内文書の解体と整理。そして三日目午後は早く失礼して石巻の津波跡を廻りました。その実際の中身は、自分のブログ(「保立道久の研究雑記」http://hotatelog.cocolog-nifty.com/)に書きましたので、それを御参照いただければ幸いですが、なによりも平川新さんと宮城資料ネットの方々は本当にたいへんであることを実感しました。敬意を表したいと思います。またとくに、認識を新たにしたのは、市民ボランティアの方々の実力でした。現在の責任者のOさんは、昨年の秋、平川先生の市民講座での呼びかけをきいて参加されたという紳士。リタイアされた方や主婦の方が、週3・4日あるいは毎日、6・7人のメンバーで支えてくださっている。作業の指導は研究者とともにボランティアの方々からうけた。御話を聞いていると頭が下がる。参加についての御礼をいわれたが、むしろ職能の問題としては、こちらから感謝しなければならないことで恐縮する。 絵:被災した文書の状況を確認する(6月27日)

 家族で行ったので、娘がボランティア活動の中にとけ込み、細かな作業に集中しているのが楽しい経験であった。作業拠点は東北大学災害科学国際研究所のおかれている文科系総合研究棟の11階。その窓からは水平線がみえることがひとしきり話題となる。ボランティアのIさんがおっしゃるには、「仙台に津波ということはまったく考えていなかった。そもそも、仙台が海が近いという意識そのものがなかった」。そして、Oさんは、仙台城と同じ高さから仙台の街区をみながら仕事できるのは楽しみの一つとおっしゃるが、その位はいいことがなければという話になる。

 歴史学の社会的な職能のために動いてくれる市民との関係は、歴史学にとって何よりも大事だと思う。(遺跡保存などもふくめ)史料保存は、歴史学の社会的責務である前に歴史学にとっての職能的な利害そのものである。職能的な利害のために必要な時間をさくことは研究者としての責務である。すべての研究者は少なくとも給料を保証されている場合は、おのおのの条件の中で資料をレスキューするという職能的な義務の一端を担うべきである(若干でも金も時間も)。これを曖昧にするのは研究者としての地位を既得権化するものではないか。私は、本質論としては「原子力ムラ」なるものの問題はアカデミー全体に無縁ではないように思う。そういうことではアカデミーにおける歴史学の陣地をまもることもできないだろう。 絵:作業手順の説明を受ける(6月27日)
 そして日本の歴史文化の中では、歴史学の職能的な利害の擁護は、研究者としての給料分の義務的な仕事であり、社会的な責務であるとともに、つねに歴史学の学問的課題に直結してくる。歴史学研究の課題意識の設定においては、史料保存を中心とする歴史学の職能的役割を中軸にすえることが正統的なあり方として維持されねばならないことは明らかである。

 この点で、たいへんに気になるのが、江戸時代研究者の大多数が、阪神大震災後に組織され、現在にいたっている資料レスキューの動きを全体としてどう考え、どう位置づけているかが部外者にはみえてこないことである。

 歴史学と被災史料という問題を考える場合に、第一に必要なのは、災害、地震、津波などそれ自体についての研究の開拓であろう。これは歴史学の側では、長く、ほぼ北原糸子氏の一人の肩にかかっていたというのが実際である。私も三・一一を経て、八・九世紀研究には地震・噴火についての本格的な研究は今津勝紀・宮瀧交二氏などの二・三の論文を除けば、まったく存在しないことを知って、急いで研究にとり組んだという経過であって、大きなことはいえないが、それほどひどくはないとはいえ、江戸時代の災害史研究も遅れていることは否定できないだろう。何よりも、この研究課題の設定と議論が急がれなければならないと思う。

 第二には、被災史料の史料論であろう。今回の経験でも襖内文書は通常では保存されないような珍しい文書や書状をふくんでいるように感じた。襖内文書は、史料の悉皆調査によっても光が当てられることがなかったはずである。各地での経験を交流し、記録方式などを確定していくべき必要は高いように思う。とくに襖内文書は断片化している場合が多く、保存のためにも編纂が必要になる場合が多いことに注意しておきたい。大量・多様な被災史料の調査・記録・研究において、史料論の発展が図られるべきことは、それ以外にも多いのではないだろうか。被災史料の保存にかかわる文化財科学の方法論議や実践が必要となっていることもいうまでもないだろう。 絵:ふすま下張り文書の解体(6月28日)

 そして第三に強調しておきたいことは、大量の史料の被災が、歴史史料のデジタル化の必要を白日の下にさらしてしまったことである。江戸期史料はなにしろ大量であって、そのデジタル撮影、デジタル編纂ということになれば、大問題である。これまで歴史学における情報化、知識化が「古代・中世」を中心に進展してきたのは十分な理由があったと思う。しかし、デジタル化をどう考えるか、それを歴史学の方法論の問題としてどう受けとめるかは、それが史料保存という歴史学研究にとって本質的な問題から発している以上、回避することはできないものと思う。もちろん、これは江戸期の歴史研究者自身によって検討すべき事柄であることはいうまでもないが、しかし、『新修日本地震史料』に結実している地震学が主導した江戸期の地震史料の悉皆調査・翻刻のプロジェクトが、歴史学の側からの全面的な協力を必要としていることは明らかで、これは列島社会の安全に直結している。



ニュース 167(2012年6月1日)

  被災地での活動続く−4月から5月の保全活動


 宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。事務局からのニュース発信は3か月ぶりとなります。新年度に入ってからの活動を簡単に報告いたします。

宮城県石巻市での津波被災史料レスキュー

 5月21日、宮城県石巻市のS家で津波被災史料のレスキューを行いました。事務局の佐藤とボランティアの郡山芳昭さんの2名で現地での対応をしました。

 北上川河口の海沿いにある同家の古文書は、石巻市史編さん事業で整理されています。昨年3月11日の津波では、二階建ての母屋の一階部分が浸水しました。一方、建物は倒壊や流出まではいたらず、古文書は建物の中に残されました。仮設住宅に避難された所蔵者の方は、昨年末に以前から親交のあった石巻古文書の会の庄司惠一さんに市内で偶然再会し、古文書の対応について相談されました。宮城資料ネットには今年1月に庄司さんからレスキュー依頼がありましたが、他の被災史料への対応もあり、ようやく今回レスキューが実現しました。
 (右絵;14か月ぶりに見つかった古文書)


 現地では、所蔵者の方が被災した家の中から探し集めた古文書約300点がすでに運び出せる状態で用意されていました。被災から14か月を経過し、一旦海水に濡れた史料は乾いた状態でした。整理封筒の表面には砂がこびりついていました。これらの史料は仙台市に搬出しました。さらに、江戸時代のものと伝わるひな人形も被災した状態で確認されました。これも搬出しています。

 所蔵者のお話では、今回のレスキューがきっかけで、震災以来はじめて元の住まいに戻ってきたとのことでした。同様の事情で、被災地に残されたままの歴史資料がまだあると考えられます。情報収集と対応を続けていく必要があります。
 (右絵:被災資料の搬出)

4月から5月の保全活動

 上記の件も含め、2ヶ月間で実施した保全活動について報告します。

1 仙台市内寺院での保全活動

 4月20日と5月1日の両日、仙台市内の寺院にて個人宅にて保全活動を実施しました。参加者は21日が6名、1日が8名でした。活動では所蔵の近代史料全点を撮影し、中性紙製の保管容器に収納しました。撮影コマ数は10,064コマにおよびました。

 (右絵:仙台市内での保全活動 5月1日)

2 宮城県大和町での保全活動
 5月2日、宮城県大和町内の寺院で保全活動を実施しました。江戸時代築の庫裏が被災し、その改修工事にともない、ふすまに江戸時代の古文書が再利用されていることが確認されたとのことで、保全の依頼がありました。事務局の佐藤が現地で対応し、歴史資料の所在状況を確認しました。ふすま25枚と、掛け軸類を仙台市の事務局に一時搬出しました。

3 宮城県川崎町での保全活動

 4月23日、川崎町文化財保護委員の川崎金治さんが事務局に来訪され、川崎町内での歴史資料所在状況について確認を行いました。あわせて、保管の近世古文書を撮影しました。撮影点数は177コマでした。
 5月6日には、この時の協議に基づき、早期の保全活動が要請された川崎町S家での保全活動を実施しました。参加者は5名で、川崎町文化財保護委員3名も参加しました。保管の現状を確認するとともに、中性紙封筒での整理と一部史料の撮影を行いました。多数の古文書史料が確認されたため、活動は継続して実施する予定です。

 (右絵:大和町での活動ふすまを取り外す 5月2日)

4 仙台市内被災資料の保全活動

 5月11日、仙台市内沿岸部で被災した個人宅の被災文書資料の保全活動に着手しました。この史料は4月末に仙台市史編さん室が被災地からレスキューしたもので、宮城資料ネットとの共同で応急処置と整理を進めてゆくことになりました。

5 宮城県村田町での保全活動

 5月14日、村田町Y家から保全のため借用していた江戸時代の古文書を返却するとともに、写真帳を所蔵者と村田町に提供しました。宮城資料ネットからの参加者は3名でした。
 同家は東日本大震災での史料が被災するとともに、かつての研究者(個人)が未返却となっていた古文書の返却先でもあります。同家については村田町歴史みらい館が昨年度からレスキュー対応をしておりましたが、その中で史料返却が実現することになりました。返却に際して、被災史料の保全も申し入れたものです。
 今回は、村田町歴史みらい館が保全した史料に加え、新たに未整理の古文書が確認されました。所蔵者の了承を得て、仙台の事務局にて整理を行うことになりました。
 (右絵:川崎町での活動 5月6日)

6 宮城県石巻市での被災史料レスキュー

 5月21日、宮城県石巻市で津波被災史料レスキューを実施しました。詳細は冒頭記事の通りです。

7 宮城県栗原市での保全活動

 5月25日、宮城県栗原市のY家で保全活動を実施しました。宮城資料ネットからは3名が参加し、タンスや木箱に収められた多数の古文書を保全しました。
 同家の活動は、宮城県美術刀剣保存協会が実施している、東日本大震災で被災した刀剣のレスキュー活動の中で、同協会会員で宮城資料ネットボランティアでもある後藤三夫さんに相談が寄せられたものです。同協会のレスキューは、宮城資料ネットの被災史料レスキューをモデルにしたとのことで、相互交流の成果として実現した活動です。

 (右絵:栗原市での活動 5月25日)

8 史料返却事業


 5月30日、かつての歴史研究者(故人)が未返却であった古文書資料の内、塩竈市関係の史料2件を、塩竈市役所内の市史編さん室に返却しました。現在判明している57家中、8家分の返却が終わったことになります。



 ニュース166号(2012年5月22日)

       仙台・石巻を訪ねて      野尻泰弘

 2011年の震災以来、人から宮城資料ネットのボランティアに参加した話を聞くたび、自分も早く行かねばならないと思っていた。思いながら一年が経ってしまった。申し訳ない気持ちと焦りを抱え、仙台へと向かった。

2012年5月7日(月)  午前10時半、東京から二時間で仙台に着く。七年ぶりの仙台の街は、一見すると以前と変わらない。だが、東北大学へ向かう20分ほどのバスの車窓から、工事用の足場とシートに囲まれ建物をいくつか見かけた。大学校内では、建物の外壁に損傷を示すテープが張られていた。いずれも地震の跡を語っているのだと思う。

 資料ネットの佐藤大介さんから冷凍保存される資料、デジタルデータの外国での保管などの概略を聞き、その多様な活動に感嘆した。廊下へ移り、地元のボランティアスタッフから説明を受け、昭和・平成の学校資料(出席簿など)のカビを刷毛で払い、消毒をする作業についた。特別な技術はいらないが、今までとは違う資料の取り扱いにためらいを感じる。午後5時、作業終了。
 (絵:被災資料のクリーニング作業(2012年5月7日、事務局撮影)

2012年5月8日(火) 午前九時から作業を始める。同じ姿勢であるため、二日目にして首と肩が張った。有志の地元ボランティアはシフトを組み、週に三〜四日作業をしているとのことで、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。途中の短い休憩時間、資料ネットのスタッフとボランティアの会話は、古文書講座の話、資料保存の話のほか、とりとめない笑い話も飛び出す。そこには信頼関係が見える。資料所蔵者に信用してもらうことが、資料調査の要とはよく言われることだが、資料救済活動も似ている。何事も人と信用が必要なのだ。資料ネットの活動は、人とつながる活動なのである。
 (石巻市の風景 2012年5月9日、筆者撮影)

 平川新さんから明日は石巻に行き、日和山から被災地を見ることを勧められた。流されずに残った蔵など、天野真志さんに石巻の様子を聞き、石巻の今を知りたくなった。午後5時、作業終了。資料ネットスタッフとボランティアの皆様に感謝しながら、キャンパスをあとにした。勧めを受け、明日は石巻に向かう。

2012年5月9日(水) 午前八時過ぎ、仙台駅前発の石巻行きバスに乗る。バスは一時間に二〜三本ほど走っている。片道800円、往復1500円で、約一時間半の旅だ。
 (石巻市本間家の土蔵 2012年5月9日、筆者撮影)

 石巻駅では漫画家石ノ森章太郎が描いたキャラクター像が人びとを出迎えていたが、駅舎の入口扉の下部には津波による浸水位置を示すシールがあった。駅から歩いて日和山を目指す。商店街では「営業再開」「ボランティアさん、ありがとう」の張紙を見たが、営業していない商店、修繕に追われる店舗も目立った。

 暖かい日差しをうけ、上着を脱ぎ、40分ほどで日和山公園に着く。閑散とする街とは対照的に、ピンク色の花が眩しい。普段は花を愛でる気持ちなど持ち合わせていない私だが、息を切らして坂を登り、ほっとしたのかもしれない。それにしても急な坂だった。運動不足の私にはこんな急な坂を駆け上がることはできない。津波を避けるため坂を上がった人たちのことを思うと、息苦しさが増した。

 公園から旧北上川河口、そして海岸線へと目をやった。病院や寺院などの大きな建物を除くと、そこには何もない。新たに造成し、売り出し始めた住宅地のように、道路だけが延びていた。しばらくぼんやり眺めていると、先ほどから何かの音が響いていることに気づいた。それは遠くに見えるショベルカーの音だった。作業を続けるショベルカーの音が、なぜこんなによく聞こえるのか。津波に流され、遮蔽物がないためか、生活の音が絶えたためか。あれこれ思うが、よくわからない。私は目の前の階段を下ることにした。山下は、新たな造成地などではなかった。野晒しになった家屋の土台と、そこに流れついた靴や座布団。確かにここには人が住んでいたのだ。薄汚れた漂流物を見下ろすように、妙に新しい電柱がいくつも並んでいた。 (石巻市本間家の土蔵(2012年5月9日、筆者撮影)

(参照:石巻本間家土蔵修繕の進捗状況 本間英一さん発行 地域紙・記事 ) 


 ニュース165号(2012年4月10日)

  仙台市博物館展示「東日本大震災1年 資料レスキュー展」報告


 仙台市博物館市史編さん室職員の栗原伸一郎です。宮城資料ネットのホームページでお知らせいだきましたように、仙台市博物館では、3月6日から25日まで1階ギャラリーで「東日本大震災1年 資料レスキュー展」を開催しました。これは、東日本大震災以来、仙台市内で行われている資料レスキュー活動の成果を市民に公開して、地域の歴史資料をめぐる現状や、歴史資料を地域の共有財産として継承・活用することの重要性を伝えるために開催したものです。以下では、主な内容についてご紹介します。

 展示は、現物展示、パネル展示、スライドショーに分けられます。

 現物展示では、仙台市内でレスキューされた個人所蔵資料や公文書を展示しました。具体的には、津波被害を受けた宮城野区の仙台藩士の旧家から救出された近世初期の知行目録や弓術関係の巻物(ネットニュース128号を参照)、家屋や蔵に被害を受けた若林区の旧家から救出された寛永21年の検地帳や漢学者岡千仭の書、家屋や蔵に被害を受けた若林区の旧家から救出された廻文を表装した屏風(破損部分からは裏張り文書が見える)、津波被害を受けた若林区の大日如来堂に保管されていた天保4年の祭礼旗、津波被害を受けた東六郷小学校に保存されていた昭和2年の学校沿革誌、になります。これらは、仙台市博物館や宮城資料ネットなどがそれぞれレスキューしたもの、あるいは連携しながらレスキューしたものです。
   

 また、今年の1月から3月まで仙台市博物館内で行われた国立公文書館の被災公文書等修復支援事業で使用した、水損資料を洗浄・乾燥するための資材や器材を展示しました。現物展示した学校沿革誌は、実際に洗浄作業を行ったものです。パネル展示の主な内容は、@現物展示したものを始めとした、レスキュー活動の過程で救出・調査した歴史資料の紹介、A仙台市博物館で行っている資料レスキュー活動の紹介(ネットニュース121号139号を参照)、B資料整理方法と水損資料処置方法の紹介、C仙台市内の史跡・歴史的建造物・歴史的景観の被災状況の紹介、C過去に発生した仙台平野の歴史地震と津波の紹介、D過去に地震などで被災した仙台城の石垣修復工事の紹介、になります。合計で25枚のパネルを展示し、これらは印刷してパンフレットとして観覧者に配布しました。

 この他、水損資料の洗浄作業の工程と、レスキュー活動の様子や仙台市内の被災状況について、モニターを設置してスライドショーを行いました。
 仙台市博物館では同じ会期で「国宝 紅白梅図屏風とMOA美術館の名品」が展示されていたこともあって、「資料レスキュー展」にも宮城県内外から幅広い世代の方々にお越しいただき、最終的には8138名の方々にご観覧いただきました。展示させていただいた資料の所蔵者の方からは「資料を活用してほしい」、「調査してもらわなかったら資料を廃棄するところだった。日の目を見ることができて有り難い」といったお言葉を頂戴しました。

 ご観覧いただいた方のなかには、宮城資料ネットの活動を詳しくご存知の方もいらっしゃいましたが、一方では「資料レスキュー」という言葉を初めて耳にされた方も数多くいらっしゃったようです。そうしたこともあって会期中には、展示をご観覧いただいた方やマスコミを通して展示のことをお聞きになった方から、所蔵する資料について何件も相談を受けました。

 今回の展示を通して、研究者や歴史愛好家の方々だけではなく、広く市民の方々に活動をアピールしていくことの重要性を再認識しました。現在は、パネルを仙台市博物館以外の公共施設で展示させていただいています。今後もパネルの巡回展示を含めて、更に資料保全活動の広報に努めていきたいと考えています。

 最後に、展示にご協力いただきました市民の方々と宮城資料ネット事務局の方々に対して、厚く御礼申し上げます。


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  公文書修復事業並びに『資料レスキュー展』に参加して
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                                   斎 綾子

 1月末〜3月初旬まで実施された国立公文書館の公文書修復事業に、その後仙台市博物館にて行われた『資料レスキュー展』に受付として参加させて頂きました。

 修復作業を経験して初めて知りましたが、津波被害を受けた資料は手に取ると海の臭いがします。海水は乾きにくいためか、厚手の資料は、乾燥させたものでも生乾きの様に湿り気があり、持つとずっしりと重く、紙同士が離れません。海の“ヘドロ”はただの砂とは違い、資料に固まります。

 作業中これらの資料と向き合うと、津波のすさまじい威力に心が痛むことが多々ありました。中には少しの洗浄で水が木の皮の様な土気色になる資料もあり、何度も丁寧に刷毛や筆、スパチュラと呼ばれるへらで紙にこびりついた土砂やヘドロを落とす作業を続けていきました。

 ただ、その中で、解体中の教科書にいたずら書きや卒業目録の人名を見たりすると、昔の知人に再会した様な温かい気持ちになりました。また、昔教科書を使用していた小学生が挟んだのか、押し花が出てきた事もあり、作業中、思わず皆で笑ってしまいました。と同時に、この教科書には人の思い出と時間がつまっている、と思うと私にはそれがその人の歴史の一部である様に映りました。

 『資料レスキュー展』会期中は、平日でも300名、休日になると500名以上の方が足を運んで下さり、実際に処置に用いられた道具や修復風景のパネルを皆さん真剣に見入っていました。

 歴史資料とはどういうものか、和紙の洗浄方法、資料の修復前の姿について、など熱心に質問される方が多く、中には、今回の震災により自宅が被災し、宮城資料ネットによって行われたレスキュー活動で古文書が助けられた、と話す方もいました。生活するだけで精一杯、古文書までどうすればよいか、頭の片隅にはあっても実際自分では動きようがなく、そんな途方に暮れていた時に処置してもらえ、ありがたかった、との事でした。洗浄前・後の資料を比較した展示では、よれやヘドロが取れた資料に「きれいになるものですね」と話して下さる方も多く、様々な年代の方から労いの言葉や「修復作業に参加したい」との声を頂きました。
 
 今回、『資料レスキュー展』に関係し、観覧者の方の言葉はとても印象に残りました。実際に自宅の資料がレスキューされた方の話、展示を見て興味を示して下さった方々とのやり取り。そして、若い世代の方が一生懸命質問して下さる姿も印象的でした。

 資料の修復・展示に関わる一連の仕事で、色々な方とお会いし、改めてこの活動の意味を教えられました。資料レスキューの重要性、またそれを知って頂く為の展示。そして、この活動が博物館や宮城資料ネットを始め、様々な専門家やボランティアにより支えられている事を知りました。作業自体は根気のいるものですが、後世に資料をつなぐ、という意味も込め、今後も何らかの形で資料保全活動に携われればと思います。