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被災資料保全のボランティア作業に参加して    佐佐木邦子 

 津波で被災した文書を修復するボランティアがあることは新聞などで知っていましたが、どうすれば私も加われるかは知りませんでした。ある会合で平川先生とご一緒し、資料保全ネットワークについて教えていただいて、さっそく参加させていただくことをお願いしました。

 3月11日の震災は私には大変なショックでした。地震で家の中がめちゃめちゃになり、同時にすぐ停電で、他の地域でどんなことが起きているのかわかりません。電気が通じるようになって初めて沿岸部の被災状況を知りました。我が家の被害など被害のうちにも入らないようなもので、その後、日が経つにつれ被害の大きさが明らかになっていきました。私でも出来ることがあればしたいと思いながら、周囲の方を手伝ったりお見舞いしたりしているうち、日が過ぎてしまいました。

 私が参加させていただいたのは水曜日を除く8月24日から9月9日までです。もっと続けるつもりだったのですが、ぎっくり腰になってギブアップしてしました。マスクはかけていましたが、分厚い被災文書を開くと、海の匂いともヘドロの臭いとも違う独特の臭いが立ちのぼります。ボランティアに来ていた陸前高田の学生さんが「津波の臭いだ」と言っておられ、ああそうかと思いました。
 泥まみれのもの、カビのひどいもの、紙が破れてしまっているもの、ページがくっついて剥がれないもの、文字が消えてしまったもの、綴じるために使った金属がかびたり腐蝕したりしているもの、などいろいろありました。こびりついている泥を竹ベラと刷毛で丁寧に落とし、エタノールを吹きかけて殺菌、その後乾燥させて終了です。文書の表紙はたいてい厚紙で出来ていますが、その厚紙が海水でボロボロになったり、表紙そのものがちぎれていたりするものも多数ありました。
 
カビが糊状になって表紙の裏にべったりくっついた紙は、なかなか剥がれません。エタノールで湿らせながら破れないように1枚1枚竹ベラやピンセットで剥がしていくのは気を遣いました。インクがにじんで次のページに写ってしまい、読めなくなっている文字もありました。泥とカビとエタノールの臭いの中で黙々と手を動かしていると、1枚の紙に籠められた人の思いが想像させられます。学校文書など、欄外に丁寧な文字で「何文字訂正」と書かれ押印されているものも少なくありません。1文字さえ大事に扱われていたのに、肝心の本文が消えて読めなくなっているのが、何とも切なく思われました。
 和紙や墨は濡れても強いものだと改めて感心しました。和紙にインクで書いてあるものもまあまあ。その点洋紙は破れやすく、手書きがガリ版になり、さらにパソコンになって、現代に近づくにつれ修復が難しくなりました。
 くっついているページとページを剥がすときに、かすかな音をたてて粒状の小さな穴があき、素直に剥がれてくれる紙がありました。塩の粒です。紙質のせいか波をかぶった状況のせいかはわかりませんが、意味ありげな小さな穴が点々と開いている紙は、何やら神秘的できれいでした。

 2週間目の終わり頃、廊下に積んであった段ボール箱がだいぶ減りました。みんなでやれば終わるんだ、と、当たり前のことかもしれませんが嬉しかったです。
 それにしても大学のスタッフの方々は大変です。被災資料の管理、人の把握、外部との連絡等、自分の研究はいつするのだろうと心配になるほどでした。エネルギッシュなボランティアの方々とお知り合いになれたのも貴重な体験でした。非力ですが、これからも時間を作ってできるだけかかわっていきたいといます。


 149号 (2011年9月12日)

      東日本大震災での歴史資料レスキュー
       セミナーと展示開催のご案内


宮城資料ネット事務局佐藤大介です。今回は9月18日に仙台市博物館で開催される第20回仙台市史セミナーと、9月17日から25日まで同博物館で開催されるパネル展示「3.11 地球が震えた日から」のご案内です。直前のご案内となってしまいましたが、多くの方々にご参加いただければ幸いです。

■第20回 仙台市史セミナー特別企画 「地域の歴史資料を救え」
◇演題と講師
○「大震災後における博物館の資料レスキュー」
 ・被災した「歴史」 菅野正道(仙台市史編さん室長)
 ・仙台市博物館の資料レスキュー活動 栗原伸一郎(仙台市史編さん室嘱託)

○「歴史資料の保存はなぜ必要か」
 平川新(東北大学東北アジア研究センター教授・NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク理事長・仙台市史編さん専門委員長)

◇日時 2011年9月18日日曜日 13時30分から16時
◇場所 仙台市博物館ホール(定員200名)
*申込不要・聴講無料です。
*問い合わせ 仙台市博物館市史編さん室 022−225−0814

■パネル展示「3.11 地球が震えた日」
◇展示内容
○「地域資料を救え」
・仙台市博物館・市史編さん室による、東日本大震災における仙台市域でのこれまでの歴史資料レスキュー活動をパネルで紹介します。
*「地域資料を救え」問い合わせ 仙台市博物館市史編さん室 022−225−0814

○「歴史遺産を未来へ」
・NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークの2003年からの歩み、および東日本大震災での歴史資料レスキュー活動の紹介です。2キロ漂流して奇跡的にレスキューされた女川町木村家文書と収納茶箱の実物の展示もあります。

*「歴史遺産を未来へ」問い合わせ 宮城資料ネット事務局022−795−7546(佐藤)

◇日時 2011年9月17日〜9月25日(20日休館)
◇場所 仙台市博物館 1階ギャラリー
◇開館時間 9時〜16時45分(最終入場4時15分)
◇入場 無料  


■震災から半年
9月11日、震災から半年を迎えました。この間、多くの方々にご支援とご協力をいただいておりますこと、改めて心より御礼申し上げます。

宮城資料ネット事務局には津波被災資料に加え、9月に入り、被災した家屋などの解体に伴う歴史資料の取り扱いに関する問い合わせ件数が増えている状況です。特に、個人の家屋解体が本格化しつつある状況にあると推測され、引き続き情報収集を続けております。

一方、これまでレスキューした被災資料への対応は、全国からのボランティア参加の方々の協力で進めておりますが、被災資料の増加になかなか作業が追いついていかないというのが、率直な現状認識です。

引き続き皆様からのご支援を、よろしくお願い申し上げます


  148号 (2011年9月8日)


   事務局でのボランティア作業に参加して  青柳周一

去る8月29日、宮城資料ネット事務局での被災史料応急処置のボランティア作業に参加してきました。

今回の来仙は、8月27・28日に開催された民衆思想史研究会・東北近世史研究会の合同例会への参加にもあわせていましたので、まずそちらのことから記します。研究会は両日とも充実した内容でしたが、とくに28日の巡見で、震災によって大きな被害を受けた石巻市内を案内していただけたことは、自分にとって大変重要な体験となりました。東北大学にいた頃から石巻は思い出の多い土地であり、その現在の姿にはやはり衝撃を受けましたが、それでも見ることができて本当によかったと思っています。震災後の困難の中で研究会を見事に成功させたスタッフの皆さまに、この場を借りて改めて御礼申し上げます。

29日の朝、川内キャンパスの文科系総合研究棟の11階に着くと、段ボールやプラスチックケース、ソファーなどを組み合わせて作られた、被災史料応急処置のための大掛かりな作業スペースがいきなり目に飛び込んできました。そして、そこに処置を待つ被災史料の束や、大量の処置用の道具類などが置かれているのを見て、ここが今まさに緊急作業の真っ只中にある現場であることが実感されました。(右絵:被災資料のクリーニング作業(8月29日)

僕が担当した作業は、津波によって浸水した石巻の小学校の帳簿類のクリーニングでした。帳簿の表紙や頁のあちこちに泥がこびりつき、カビも発生しかけている様子なので、刷毛や竹べらで丁寧に泥を落とし、頁一枚ごとにエタノールを吹き付け、汚れを拭う作業です。前日訪れた石巻の史料であることに縁を感じましたが、海水をかぶってから時間が経ってしまったために生じる臭いは、今まで経験のない類のものでした。

この日の作業には、僕と同じく前日まで研究会に出席していた関東の大学院生とともに、地元から一般の女性の方々が多く参加していたのが印象的でした。事務局で尋ねたところ、地元の方々は特別な方法で募集したわけではなく、現在は資料ネットのメールニュースが相当広い範囲まで転送されているので、それを見て集まってくれたとのことでした。

かつて、仙台市による仙台城本丸艮櫓(うしとら・やぐら)の「再建」工事計画が持ち上がったとき、在仙の研究者が世話人となって「仙台城の石垣を守る会」が結成され、市民の方々と共同して石垣の保存運動に取り組んだことがありました。その頃から、研究者と市民とが地元の文化財や景観保存などをめぐって積み重ねてきた協力関係が、今回の被災史料の救出活動にあっても生きていると感じられました。この日の作業メンバーの皆さんは終始とても朗らかで、おかげでボランティア作業初参加で緊張していた僕もずいぶんと和まされ、大変ありがたかったです。 (右絵:泥を丁寧に落とす 8月29日)

 この日は晴れ渡った晩夏の一日で、研究棟11階からは窓いっぱいに広がる仙台の街並みをはるかに眺めることができました。高層ビルの林の向こうには青い海と、その上をゆっくり航行する巨大な白い船も見えました。あの海が今日のようにずっと穏やかであってほしい、と思わざるを得ない光景でした。

僕がボランティアに参加したのはこの日の朝から夕方まででしたが、事務局の方々から細やかに気を配っていただけたおかげで、とてもよい雰囲気の中で作業に取り組めました。しかし自分が不慣れなせいもあり、一日ぐらいでは厚めの帳簿一冊をクリーニングし終わるのがせいぜいです。現在、事務局には膨大な点数の被災史料が運び込まれており、これからの作業に必要な時間と労力は相当な量に及ぶことが想像されます。東北から遠く離れて暮らす身ではありますが、今後もなるべく機会を見つけてボランティアに参加したいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

147号 (2011/08/22)


奈良への旅津波被災資料の凍結乾燥処理

宮城資料ネット事務局佐藤大介です。8月12日、奈良文化財研究所(奈良市)と、その協力企業である奈良市場冷蔵(大和郡山市)を訪問しました。

この震災では、津波による古文書や文書資料の被害への対応が最大の懸案となっています。ずぶ濡れになった文書資料を大量に乾燥する方法の一つが「真空凍結乾燥法」です。水濡れした資料を一旦マイナス30度程度で凍結させた後、真空凍結乾燥機により直接水分を気化(昇華)させ、乾燥するというものです。

真空凍結乾燥機は、通常は遺跡発掘で得られた木製品などを乾燥するために使われています。今回の事態に対して、東北芸術工科大学文化財保存修復センター(山形市)と奈良文化財研究所(奈良市)から、文書の乾燥に機材提供の申し出を得ました。宮城資料ネットからはあわせて7件の文書をそれぞれの機関に送り、凍結乾燥を依頼しています。各機関では現在もスタッフやボランティアの方々により、処理が続けられているところです。(右絵:奈良文化財研究所の真空凍結乾燥機)

今回は、奈良文化財研究所の高妻洋成さんから、女川町木村家文書など乾燥が終了した資料の状態確認の依頼があり、事務局より佐藤が奈良に出張してきました。

奈良文化財研究所からは、4月下旬に宮城資料ネット事務局に直接連絡があり、同研究所に設置されている国内最大の真空凍結乾燥機の利用などの協力の申し出をいただきました。その一方、研究所では膨大な津波被災資料の凍結をどのように行うかが課題となりました。研究所の冷凍庫だけでは不足する中、協力を申し出たのが奈良市場冷蔵です。奈良文化研究所での対応と、冷凍設備の不足に対する懸念ついての記事が新聞に掲載されたのをきっかけに、会社から奈良文化財研究所に協力の申し出があったとのことです。

最初に訪れた奈良文化財研究所では、処理に用いられている真空凍結乾燥機を確認しました。直径1.6メートル、コンテナ約120個分が処理できる機械では、この日も被災資料の乾燥処置が行われていました。今回は主に木村家文書の視察でしたが、この他にも気仙沼市や仙台市の被災資料が処置を終え、コンテナで積み上げられていました。木村家文書ですが、去る5月12日に女川町から引き取った時、文字通りずぶ濡れだった資料は、処理を経て見事に乾燥していました。ここでは仙台への返送に備え、資料1点ごとの点検と袋詰めを行いました。(右絵:乾燥済み資料の入ったコンテナの中で資料を確認する)


その後、12日夕方には高妻さんのご案内で、大和郡山市の奈良県中央卸売場にある奈良市場冷蔵を訪問しました。同社の浦島申次さん、伊藤珠樹さんにご案内いただき、冷凍倉庫の中を確認しました。フォークリフトで荷物の出し入れが忙しく行われる中、冷凍食品が保管されている倉庫の一角に、防カビなど収納のために必要な処理がなされた被災資料が3メートル近くの高さで積み上げられていました。これらの資料は、今後も順次乾燥処理がなされていきます。(右絵:フォークリフトが行き交う奈良市場冷蔵の倉庫)
 
なお、乾燥後の資料には、依然として海水に含まれる成分は残った状態です。これらの成分が、特に和紙資料にどのような影響を及ぼすのかわからない現状では、塩抜き(洗浄)その他の工程で「修覆」することが不可欠です。奈良文化財研究所で乾燥された資料の一部は、すでに京都造形芸術大学(京都市)にてクリーニングが進められていますが、修覆への対応については関係者の方々と相談しながら進めてゆくことになります。

高妻さんや伊藤さんのお話からは、奈良での被災資料対応の体制作りにも、そこに関わる多くの方々の尽力や善意があったことを知りました。本ネットニュース145号(天野真志さん)、146号(野村育代さん)の報告にもありましたように、被災地で、仙台の事務局で、さらには全国各地で、ボランティアや保存修復の専門家など多くの方々の支援を受け、少しずつではあっても着実に、様々な方法で被災資料の応急処置は進んでいます。(右絵:「古文書」と記された段ボール箱が積み上げられた冷凍倉庫)

一方、大規模災害への対応を組み込んだような平時の文化財保存修復や、宮城資料ネットなど現場で資料保全を行う組織と保存科学・修覆の分野が連携して、モノとしての歴史資料の長期保存を実現するような仕組み作りが必要である、という共通認識も得ることができました。善意頼みではない資料保全の体制を、ということは私もネットニュースなどで触れてきましたが、これからの歴史資料保全における大きな課題として、引き続き考えてゆく必要があるでしょう。



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東日本大震災  文書クリーニングに参加して

             野村育世   (高等学校・中学校教諭/日本中世史・女性史研究者)


まるで、かき氷にかけるイチゴとレモンのシロップみたいなシミが、今でも目に焼き付いています。
私は、8月8日と9日の2日間、仙台の東北大学川内キャンパス内にある事務局で、ボランティアに参加しました。

8日の朝、まだ夏休みになっていないらしい学生たちで混雑するバスに乗って、事務局があると聞く東北アジア研究センターを目指して行ったのですが、柵がめぐらしてあって、建物は見えるのにいつまでたっても行き着けません。なんと、ここも被災して現在は使われておらず、事務局は研究棟のてっぺんの、大変見晴らしのよい広い会議室にあったのでした。ちゃんと調べないで行ってしまったのですね。

ここには、東北の各地域から被災した資料が運び込まれています。私が担当した仕事は、津波に浸かった文書の泥を落とし、エタノールを噴霧してカビを殺菌するクリーニングの仕事でした。私が手掛けたのは現代の文書で、古いものでも今から50年ほど前のものでしたが、丈夫な和紙と異なり、かえって扱いにくいものでした。

5か月経った今でもまだ少し湿っていて、くっついた薄い紙をはがすのが一苦労です。一般的に海水に浸かるとカビは生えにくいそうなのですが、長らく放置されていたので、ところどころにカビが生えています。そのカビが、どういうわけか妙にきれいで、ピンクとイエローの水玉がぽつんぽつんと散ったようになっているのです。

はがした紙にエタノールを噴霧すると、たちまち紙はびしょ濡れになって透き通ってきます。これで、カビの根は絶たれたわけで、作業は基本的にそれで終わり。後は乾くのを待つばかりです。

こうした仕事を、黙々と9時から5時まで集中して行ないます。作業そのものは全く苦にならず、かなり集中してやっているのですが、あっという間に一日は終わり、仕上がった分量はほんのわずかです。それでも、一日働けば充実感があり、美味しい海鮮料理を味わい、満足してホテルに戻りました。

ところが、その夜、何やら怖ろしい夢を見て目が覚めてしまいました。こういうことは滅多にないので、よほど神経が緊張し、疲労していたのだと思います。やはり、頭で考えるよりも大変な仕事なのでした。

事務局の皆さんは、ご自身の業務をこなしながら、飛び込んできたマスコミの取材に答え、アルバイトやボランティアに指示を出し、指導し、作業時間・休み時間を管理するなどとても忙しく、そして少しでも時間があれば作業場所にやってきて、文書クリーニングの仕事を進められていました。とても大変なお仕事だと思います。そして、忙しい中、休み時間にスイカを出してくれるなど、親切にいろいろ配慮してくださって、おかげ様で、とても気持ちよい雰囲気の中で、作業をすることができました。

ボランティアでご一緒した方々は、仙台市民のとても元気な女性たちが多く、市内の美味しいところを教えてくださったり、仙台市民や被災地の方々の今のお気持ちをさりげなく話してくださって、お話できてとても楽しく、有意義でした。また、高速バスでボランティアに通ってくる院生など、若い真摯なまなざしに触れて、刺激を受けることができました。

また機会があれば、皆様とご一緒したいと思います。2日間、本当にお世話になり、ありがとうございました。


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東日本大震災 事務局における水損資料保全活動
   

 宮城資料ネット事務局の天野真志です。 4月以降、各地で確認された津波被災資料が事務局に搬入されてきております。海水に浸かった資料を保全するため、現在事務局では資料のクリーニング作業を実施しております。今回、こうした活動について紹介させていただきたいと思います。

水損資料の状況

 今回の震災は、甚大な津波被害を受けたことで、多くの資料が水損しました。現在、事務局には多くの被災資料が一時保管されていますが、ほとんどの資料が水損資料です。塩水に浸かった資料はカビが生えにくいという見解もありますが、時間の経過や気温の上昇という要因もあり、これまで確認された資料の多くはカビが繁殖しております。そのため、早急に保全措置をとる必要があります。
 4月以降、全国からお申し出をいただいたボランティアの方々と、水損資料のクリーニング作業を実施しております。

東京文書救援隊からの技術支援

 7月15日、被災した紙媒体資料を救済するために組織された東京文書救援隊から、被災資料洗浄に関する技術指導を受けました。
 「東文救システム」と呼ばれる洗浄作業は、(右絵:資料洗浄のレクチャー
ー2011年7月15日)


@水の上に発泡スチロール製のボードを浮かせ、その上に網に挟んだ資料を乗せて洗浄

A吸水タオルで吸水した後、不織布に挟んだ資料を濾紙にのせ、段ボールに挟んで乾燥させる

という工程でおこなわれます。一連の作業過程では、資料が網や不織布に挟まれているため、直接資料に触れることがないという特徴があります。そのため、水に濡れて破れやすくなっている資料を扱うには非常に安全で効率的とのことでした。また、不織布や濾紙など、ほとんどの材料が再利用することができるということで、経済的な負担の軽減も期待されるものと思います。(右絵:資料乾燥のレクチャー 2011年7月15日)

 今回技術支援を受けた「東文救システム」は、洗浄から乾燥にいたる一連の工程を、一つのシステムとして確立した点に特徴があると思います。これまで宮城資料ネットで実施してきた洗浄作業は、洗浄や乾燥など、それぞれの工程で問題に直面することで、いくつかの方法を考案してきました。資料洗浄の工程では、水に浸けた資料を保護する必要から、ボランティアの方と協議し、網戸の網を利用した洗浄をおこなっていました。また、吸水については神戸の歴史資料ネットワークから、セームタオルと呼ばれる、競泳選手が体を拭くために使用する吸水タオルをご紹介いただきました。このように、個別の知識や技術については、それぞれの必要性に応じて身近な道具を利用した作業方法を模索して対処しておりました。今回、東京文書救援隊の方々によってご紹介いただいた技術は、それらの行程を一連の作業として効率化することのできるシステムであると思います。また、乾燥方法についても、これまでの乾燥工程で問題となっていた時間効率やスペースの問題を解消することができます。さらに、発泡スチロールを使用した洗浄工程も、水中に泳がせて洗浄していたこれまでの作業にくらべ、資料を破壊する危険性を軽減するものとして画期的なものと思います。(右絵:東文救システムでの資料洗浄ー2011年8月1日)


 震災から5ヶ月が経過し、被災した地域や確認されるまでの時間の経過などに応じて、様々な状態の水損資料が確認されております。また、多種多様な紙の性質や形態、墨書かインク書かの違いなど、被災した資料は必ずしも一様ではありません。こうした資料の状態や性質に応じた速やかな保全措置を講じていく必要があります。東京文書救援隊からのアドバイスはもちろん、これまでも真空凍結乾燥やスクウェルチ法と呼ばれる方法など、多くの方から様々な処置方法をご紹介いただき、協力のお申し出をいただきました。宮城資料ネットでは、実際にそれぞれの方法を実施し、資料の性質や状態に応じた、より効率的な作業方法を選択していきたいと思います。

奈良国立文化財研究所や東北芸術工科大学では、現在も真空凍結乾燥法による作業を実施していただいております。また、山形文化遺産防災ネットワークからは、水損資料のクリーニングに関して協力のお申し出をいただきました。さらに、全国各地からボランティアのお申し出をいただき、毎日のように多くの方々が事務局で洗浄作業を実施していただいております。活動にご協力いただいた皆様に、この場を借りてあつく御礼申し上げるとともに、今後ともご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

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    栗原市金成有壁における資料レスキュー

          宮城県美術刀剣保存協会  後藤 三夫 

1) スタート
7月29日、栗原市教育委員会文化財保護課大場亜弥さんと金成有壁館下の萩野公民館・萩野出張所で、蝦名さんと現地集合ということでレスキューに参加した。当日はうす曇で、暑くもなくまた心配された雨もおかげさまで降らずじまいで、格好のレスキュー日和といったら不謹慎だが、幸先良いスタートを切れた。
東京から御当主の関係者が立合いにこられるためか、開始が午後1時からだったので夕方までに完結できるか多少不安があったが、蝦名さんの的確な指示のお蔭と大場さんの大活躍もあり、予定内で完了することが出来た。

2)周辺環境
ここ有壁は秀吉の奥州仕置前の大崎・葛西の重臣が固めた中世城館があり、また江戸期の宿場町で現在も国指定史跡の旧有壁本陣が威容を誇っている。主に松前・南部藩・八戸藩・一関藩の宿泊所であり休憩所であった。この町の北を登ると林に囲まれた街道が続き林内の獣道のような細い道を左折すると、明治初年以来忘れられていた江戸期の姿のままの奥州街道がある。そこから難所の肘折坂を経て一関藩内に通じる古道である。緑と清流に囲まれた静かで文化遺産に恵まれた美しい町並みが印象的だ。

3)現状
この宿場町のあちこちで今回の震災の被害が見られ被害の大きさを今もって生々しく見せている。被災したまま手付かずの旧家が数件見られた。大場さんにも引き続き現地情報を得ていただくよう、蝦名さんからお願いしたところである。
 今回のレスキュー先は昭和初年の建築建屋だが、代表的日本家屋で取り壊されることがとても残念な建造物だった。道路に面して母屋・瀟洒な離れ・土壁の土蔵で構成されすでに取り壊し準備のため、周辺の草刈が完了し大型のパワーショベルが待機していた。

4)レスキュー
大小の襖、近代の教育資料などが主だが、毛筆の古文書も数点散見された。立会人の見守る中で、タイムカプセルのように当時の御当主の生活そのままに残っていたかばんの中から、亡御当主の大事な情報の詰まった書類を発見した時、このまま処分されずに済んだことに、改めてレスキューのやりがいを強く感じた。

5)蔵開け隊
土壁の土蔵は今回のレスキューのために鍵を壊して入るという、所謂蔵開け隊そのものだった。貴重な民俗資料、蔵の梁も今では有得ない贅沢で貴重な材料で構成されている。御当主関係者に、もったいないし、この町にはとてもよく似合うものなので、いつか残しておいて良かったという日が来る筈と話したところ、蔵は取り壊さず残すことを決断頂き、とてもうれしかった。蝦名さんの車に満載の状態でレスキューした資料を詰め込み、母屋と離れに今までの活躍を感謝しお別れした。

6)さいごに
当日御当主関係者と建設関係者に加わり、大場さん、蝦名さんともに安全祈願と、取壊しのお祓いに臨席できたことも付け加えたい。レスキュー隊員も一緒になって百年近く活躍した建物を祝福し心ならずも見送ることに参加できたのは望外の喜びであった。
(建築は100年前でもその係累は江戸・明治を彷彿とさせる古い形を伝えてくれる素敵な建造物であったことを明記しておきたい。震災さえなかったら、それでも修復して利用できたらと帰路の車中で苦悶するくらい、いい建物だったなあと今でも悔しい思いです。)

 143号(2011年7月30日)


唐桑の「トポス」−気仙沼市での被災古建築保全
   

 宮城資料ネット事務局佐藤大介です。今回は7月21日から24日に気仙沼市唐桑町で実施した建築班による同町S家家屋の保全活動について報告します。

 S家の概要と被災状況については、メールニュース132号などをご参照ください。今回の活動では、明治30年竣工の主屋と、それ以前にさかのぼると思われる土蔵および板蔵群の測量を実施しました。建築班の呼びかけで、東京大学生産技術研究所太田浩史ゼミを中心に、東京、金沢、大阪から合計16名が参加しました。(右絵:測量方法の説明 22日)

 学生メンバーは初めての古建築測量という事でしたが、古建築を数多く手がけられた金沢の建築士武藤清秀さんからのアドバイスをうけ、主に穀物蔵や、戊辰戦争に敗れた仙台藩兵3名が立てこもっていたという板蔵、馬小屋の測量を行いました。一方、主屋を測量した東京大学のポルトガル、ブラジル、ギリシャからの留学生3名は、日本の「尺・寸」単位を慎重に確認しながら、気仙大工の技術の粋が尽くされた建物を測量してきました。今回の活動では、当日の台風接近に伴う瓦の落下などに備えて測量対象から外した文庫蔵を除く各施設の平面図についておおむね測量を終えました。残りの部分や建物の立面については8月下旬に測量を実施する予定です。なお、今回は計測器を用いた傾きの調査も行いましたが、1800ミリ(1.8メートル)の柱に対してわずか5ミリの傾きで、完成後2度発生した(1936、1978年)宮城県沖地震や、今回の大震災でもほとんど影響がなかった事が明らかになりました。気仙大工たちの確かな技術力がここでも証明されました。(右絵:野帳作り 22日)

 一方、今回参加した東大太田研究室メンバーは、地区の復興プラン作りの支援も行うことになっています。22日夜には地元の自治会関係者との交流会が、S家近くの集会場で行われました。前日まで徹夜で作ったという地区の立体模型を囲みつつ、津波の様子や地域の特徴、そして目下の復興に向けた課題について率直な意見が寄せられました。一方、太田研究室では偶然にも昨年から1755年の地震と大津波で被災したポルトガルの首都リスボンの都市計画の研究をしていたとのことで、50年をかけて復興を成し遂げたという経緯が紹介されました。地元の方々も、ぜひこのような事例に学びながら、長期的な視野で復興に取り組んでいきたいと大いに感銘を受けておられました。(右絵:交流会の様子 22日)

 個人的には、「過去に学ぶ」ということが復興に寄与しうるということを実地で知り得たのは収獲でした。その一方、これまで何度も調査に訪れた、唐桑や三陸沿岸での明治や昭和三陸津波からの復興に向けた取り組みについて、何一つ説明できなかったということに、研究者としての自分の力不足を痛感させられもしました。

 今回の調査は、地元の宿泊施設が仮設住宅などの復興関係者で満室とのこともあり、S家のご厚意で地元の集会所に宿泊しました。食事もS家の方が地元の主婦2名を依頼してご快諾いただいたおかげで、今回の活動を実施することができました。お二人とも津波で家を失ったとのことですが、困難な状況の中私たちを温かくもてなしてくださいました。S家および地元の方々のご尽力について、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 活動期間中の23日夜には、地元の復興イベントで市の無形民俗文化財にも指定されているカツオ一本釣り漁をテーマとした民謡も見る機会がありました。S家の古建築に加え、地元の被災後の実情と、それにも関わらず受け継がれる文化にも十分触れることのできた4日間となりました。(右絵:地元に伝わる民俗芸能の披露23日)

 帰りの挨拶に際して、ギリシャからの留学生より、ギリシャ語には「場所」を示す「トポス」という言葉があるが、そこには歴史や風土、文化といった要素すべてを含む言葉である、唐桑のこの地はまさに「トポス」であり、今回の活動に参加できてよい経験になった、という感想が御当主に寄せられました。それを聞いて、私自身も震災に伴う歴史資料レスキューが、古文書や民具、美術工芸品といったモノを守ると同時に、それが表す東北の人々の営みと、その蓄積で築かれてきた風土や景観、すなわち「トポス」の継承にもつながるような活動であればという思いを新たにし、今回の活動を終えました。


142号(2011年7月26日)


7月13・14日レスキュー参加記      東京大学史料編纂所 遠藤基郎
   
 梅雨のあけ直後の7月13・14日、私は亘理町・涌谷町2箇所のレスキューに参加した。7月13日は亘理町荒浜のE家の救出作業。同家は、阿武隈川河口付近、堤防脇にあった。堤防土手頂上に設けられた1メートル余りのコンクリート壁が200メートル以上失われ、土嚢で応急措置が施されている。津波が凄まじい力で堤防を乗り越えた痕跡であった。

E家より海側は、すでにほとんど更地となっていた。近くでは重機が建物を破壊するガガガッという音、そして瓦礫を運ぶダンプの重いエンジン音。更地の彼方には瓦礫の山の上に、何台ものパワーショベルがあがり、更に瓦礫を積み上げる様子が見える。瓦礫の山の脇には津波に耐えたであろう5階建てのビルが見えるが、瓦礫の山はその4階部分に達していたであろうか。それは人間の生活の痕跡=歴史の無秩序な固まりの極みであった。(右絵:土蔵からの資料レスキュー)

E家は旧商家である。ご当主のお話によると、江戸末期に荒浜に土着し、質屋などの商業を営み、かつては亘理町および隣接する岩沼市沿岸に広大な土地を所有した近代地主であったという。江戸・明治の亘理町は、阿武隈川水運と太平洋海運との結節点として栄えたというから、地域全体の豊かさこそが、E家の繁栄を支えたと思われる。

その所蔵資料、ということは今回の救出資料は、地域の資産家としての家の事業に関わる近代文書である。さらに書画・什器あるいは調度類など、美術・工芸品、そして近代文豪の原稿コレクションや各当主の集めた膨大な書籍群があった。地域名望家の文化的役割を示す貴重な資料である。

 救出対象品目が多数に昇り、亘理町教育委員会、文化財等救援委員会(文化庁)、宮城資料ネット合同活動として行われた。拠点は亘理町郷土資料館(悠里館)である。救援委員会は、奈良国立文化財研究所・東京国立文化財研究所あるいは全国の博物館よりの派遣館員など、20名以上の人員で構成される。さらに奈良国立文化財研究所より資料運送専用トラックも派遣された。今回、宮城資料ネットは救出事業のサポートという形での参加となった。

 E家現地より搬送作業と、それを一時保管する悠里館での応急措置、二つのグループに分けて救出作業は実施された。私自身は、現地搬送作業に属した。母屋・見世蔵・土蔵1階部分が完全に浸水していた。外壁白壁部分が無惨に崩れ落ちた土蔵の中から人海戦術で運び出され、照りつける太陽の下、広げられたブルーシートの上、いっぱいに文書類・扁額・襖・置物が並べられる。30度を超える暑さに、作業者の熱中症が心配されたが、雨により作業が中止されるよりは、格段に増しと言えただろう。
 今回の救出作業で特に触れるべきは、二つある。
 ひとつめは、居住母屋内部にあった明治の地図および土地証文である。これはご当主の記憶をもとに探索されたものであった。ご当主の指し示された母屋の一角、古い金庫のある納戸とおぼしき場所には、ペットボトル・雑誌・手芸用品など汚れた海水に浸かった品々が層をなしていた。それら堆積物を文字通りかき出した、一番底に貴重な資料類は残されていた。作業途中、記憶違いではと不安な想いがご当主・ネットメンバーによぎらないではなかった中での「成果」に、みな安堵した。とともに、ご当主の記憶の確かさ、すなわちご自身の家の歴史資料への愛着こそが、貴重な歴史資料を後世に伝える力となっていたことに気づかせられた。

 いまひとつは、土蔵内部のタンス引き出しの中から発見された資料類である。これは撤収前の最終確認作業中に発見されたものである。引き出しは、震災当日に押し寄せた海水がそのまま残った状態であり、真っ黒なヘドロ状の水につかった文書と写真とおぼしい資料があった。(右絵:土蔵一階で発見された引き出し)

 特に惨憺たる状態にあった写真とおぼしき資料については、文化財等救援委員会の修理専門家によって、悠里館において応急措置が施された。その結果、それは昭和初めの絵はがきであることが確認された。また他の資料についても凍結乾燥他で十分、救済可能であるとの診断。ぎりぎりのところで資料を救出しできたことに、資料レスキューの意義をあらためて感じた。

 今回の作業は、文化財等救援委員会の手によって、人手あるいは輸送方法を短期間に大量に投入したものであった。資料レスキュー事業全体としては、複数グループが関わることで伴う問題点はあるのであろうが、緊急性という点においては、有意義であったように感じた。もちろん、修復・管理、そして活用という今後の長い長い道のりにこそ、なお困難があることは言うまでもないのだが。

 夕刻、作業終了後、搬送作業グループはご所蔵者に挨拶をして、E家をあとにした。ご当主は、一般書籍も多数所有されていたが、それらも全て廃棄せざるを得ないことを悔しそうに語っておられた。近日中の取り壊しに立ち会うであろうご当主の心中を察するに余りあるものがあった。

14日は、涌谷町のN家であった。同家は、「月将館」(涌谷伊達家の郷校)の教官を務められた家である。今回の作業は、ご当主よりの連絡によるものであり、翌15日取り壊し直前の作業となった。(右絵:欄間の揮毫を取り外す)

内陸にある涌谷町は海岸部と比べるともちろん地震被害は少ない。古川から涌谷への路上で見る限りでも、電信柱の傾斜、一部家屋の損壊、そして道路の隆起など、地震の傷跡は見られた。築120年以上というN家は、一部天井が崩れ落ち、ところどころ柱が歪んだ状態であった。近隣の住宅にはほとんど被害が無く、N家のみが甚大な被害をうけている様は、そこだけ異空間であるような不思議な光景であった。

今回のレスキューは、近世の古文書・短冊・手習資料、書画・襖(下張り文書あり)・額、そして弓など古い道具類の搬出である。旧家ゆえに天井は低く、ヘルメットがいくたびか鴨居にぶつかる。改めてヘルメットの必要性を痛感した。

 亘理E家と同じく、N家の場合も、美術・文芸資料は多い。一般的な歴史の立場からはどうしても副次的な扱いとなってしまうことが多いが、あらためてこうした資料をどのように位置付けるべきかという問題を私なりに考えるよい機会になったと思う。おそらく近世・近代研究者にとっては常識に属するのであろう。中世史を専攻する私にとっては、有意義な体験であった。

今回救出した資料のうち大部分は宮城県立美術館に、また一部は湧谷町資料館で一時保管となった。
 
今回の2日間のレスキューには、宮城県内のみならず、東京・関西からの参加者があった。特に関西からの参加者は、兵庫の震災・水害での資料レスキュー経験者とうかがった。自身の経験が、彼女・彼らを突き動かす力となっていること、そして本当の意味での
「繋がる」ということが強く感じとられた2日間でもあった。

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 よみがえれ苔の庭園−岩手県大船渡市

 事務局佐藤大介です。7月1日・2日に引き続き、7月9日・10日に実施した大船渡市C家の被災調査および建築班による測量について報告します。

 C家は戦国時代末期からの旧家で、江戸時代以降は網元や山林経営を行ってきました。同家にはその活動を示す膨大な古文書資料が所蔵されており、2005年より斎藤善之さん主催の三陸古文書研究会(三陸研)で整理が進められています。宮城資料ネットもこの活動に協力しております。

 一方、同家は江戸時代の部材を再利用した1939年建築の主屋と、江戸時代築と推定される土蔵、さらには1784年(天明4)修覆の刻印が刻まれた石段を持つ「持仏堂」と呼ばれる先祖代々を祭ったお堂の古建築が残っています。海抜10メートルほどの切り立った高台の上にある同家は、明治や昭和の三陸津波でも被災することはありませんでした。しかし、今回の津波では主屋の床上まで浸水したとのことです。土蔵二階にあった古文書は被災を免れましたが、主屋の東側に設けられていた坪庭の塀がすべて流され、土蔵や持仏堂も基礎部分が被災しました。さらには、苔が一面に敷き詰められていた庭も津波での被害を受けました。(右絵:土蔵の被害調査)

 去る5月1日に実施した宮城資料ネットの被災状況調査では、主に持仏堂の雨樋と基礎部分の応急処置を実施しました。今回の活動では、全体的な被災状況の確認と共に、貴重な古建築を将来に伝えるための基礎作業として、建物及び庭の実測調査を実施し、建物の記録を作成することとしました。 

 建築班の作業には事務局より佐藤と、建築班の佐藤敏宏さん、今回の被災建物調査で全面的なバックアップを得ている金沢の建築家橋本浩司さん、中村彩さん、武藤清秀さん、野田直希さん、さらに京都で造園に関わる武廣健さんの7名で実施しました。今回の日程に合わせて千田家の後片付けボランティアを行った三陸研9名からも作業サポートを得ました。

 作業では主屋、土蔵、持仏堂を実測し、平面および立面の野帳を作成する一方、庭については広さに加え、石垣の配置、庭石の角度や池の構造までも詳細に記録化しました。私は主屋床板の修繕に加え、野田さんの指導により持仏堂の立面図測定を担当しました。三陸研の一員として古文書調査に参加し、何度も持仏堂は拝見させていただきましたが、今回の建築班の作業で、同家のまさに中心ともいえる施設の測量を経験することができました。尺目盛りでの測量に神経を使いつつ、古文書や建築を現代まで継承してきた代々の方々のことがより身近に感じられたような気がしました。(右絵:持仏堂展開図測量)

 C家建物の被災状況ですが、武藤さんによれば土蔵の柱に一部腐朽が見られるとのことでした。しかし、全般的には今回痛んだ部分は地震ではなく、それまでの経年劣化が主な原因だとのことです。古文書調査の折々に御当主から見せていただいた、隙間なく閉まる持仏堂内部の御厨の扉も、今回も寸分の狂いなくでした。「気仙大工」として知られる地域の職人衆が腕をふるったC家の建築は、今回の大地震でも構造にほとんど被害がなかったことが明らかになったのでした。(絵左:庭石垣の測量)

 一方、庭を担当した中村さん、武廣さんからは、庭がいかに大切にされてきたかが、調査でよくわかったとのことです。さらに、被災した苔も持仏堂の裏側などで復活していました。坪庭の修覆と合わせ、代々の当主が数寄を凝らし、現代の当主が丹精込めて維持してきた庭園、そのシンボルとなる苔の庭をどのように蘇らせるかが、今後の課題となりそうです。

 なお、作業中に土蔵一階から新たに江戸時代のものと見られる屏風6双が確認されたため、建築班により仙台の事務局に搬出しました。これらは7月19日、事務局を訪問された京都造形大の内田俊秀さんにより、やはり江戸時代のものと確認されました。こちらの応急処置についても引き続き関係者からのご協力を得て対応することにしております。 (右絵:庭土を掘り造園の履歴を調べる)
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   大正建築の保全塩竈市・仙台市

 宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。事務局発のメールニュースはしばらくぶりです。この間、週3回程度のペースで現地でのレスキューを行っておりました。今回は建築班の活動として7月1日・2日に実施した大正建築の保全活動の報告です。

市民が守る住宅建築−塩竈市

 7月1日は塩竈市の「海商の館・亀井邸」の被災調査を実施しました。同邸は、塩竈を拠点に創業した総合商社の社長宅として、1924年(大正13)に竣工した住宅です。和風の主屋と、木造モルタルで石造風の建物を再現した洋館の離れとが折衷された建物は、内部の装飾にも様々な工夫が凝らされた、まさに当時の職人の技術を伝えるものです。この建物は2009年より一般公開され、観光や地域の文化交流施設として活用されてきました。

 この建物は、今回の震災により洋館外壁の漆喰や内部の土壁が崩落するなど、27ヶ所の損傷を受けました。被災調査では基本構造に損傷はみられないという結論になりましたが、伝統的工法での復元を検討するため、同邸を運営しているNPO法人みなとしほがまの依頼により、宮城資料ネット建築班による被災調査を行うことになりました。建築班責任者の佐藤敏宏さんと、同氏が京都から招聘した一級建築士の森田一弥さん(森田一弥建築設計事務所)の二名での調査となりました。森田さんは技術者として京都の金閣寺や大徳寺などの修覆に関わった経験のある、漆喰建築の専門家です。(右絵:車座会議の様子)

 1日日中に行われた建築班による調査では、建物の破損は震災が原因ではなく、今回のような建物には典型的に見られる経年劣化が、震災によって現れたもの、ということでした。同日夜には今後の方向性について会議がもたれ、事務局から佐藤も出席しました。会議は市民自らこの自体に何とか対応していこうという、前向きで熱気にあふれたものでした。この建物が多くの人々によって支えられているということを知ることができました。建築班として、このような動きを引き続きサポートする方向で対応することにしております。

 森田さんからは、「京都などの有名な建物と比べて価値判断するのではなく、自分たちの守ろうとしているものにもっと自信を持ってほしい」という話も事務局にありました。古建築も含め、東北の歴史遺産を守ろうとするものにとって、心すべきことのように思われました。


消えゆく店舗建築−仙台市

 7月2日は、仙台の旧市街地にある店舗建築の調査を行いました。1915年(大正4)に建てられた店舗は、数年前の閉店時まで現役で使われていました。今回の震災で全体が南側に傾き、柱の木組みが外れかかるなどの被害を受け、所有者の方が解体を決断されました。宮城資料ネット事務局に同家の民俗資料調査にあたった会員の野村一史さんから連絡がありましたので、所有者の方の許可を得て、解体前に各部の寸法を測定し、建物の平面と二階部分の立面について野帳(やちょう)を作成することにしました。

 調査は4名で行いました。私も含む3名は建築測量などの経験はありませんでしたが、佐藤敏宏さんの指導で測量と野帳作成にあたりました。フリーハンドで直線を引く難しさもありましたが、今後の図面化に向けた基礎的なデータを集めることができました。

 所有者の方からは、地震があるたびいつ崩れるか心配で仕方なかった。やっと解体できてホッとしている、とのお話がありました。所有者の方が、思い入れのある建物を残そうと懸命に努力をされてこられたことは明記しておきたいと思いますが、やはり個人の力だけで古建築を維持していくのは限界がある、ということを改めて認識しました。(右絵:野帳作成)

 今回の震災で、多くの古建築が被災し、私たちを含め様々な保全活動が行われています。一方、仮に費用面などの問題がクリアされ、建物を修覆することができたとしても、その本来の機能は、現代社会においてはすでに他の施設などに取って代わられているものが大半です。

 古建築の新たな機能や価値を再発見し、さらにはその保全に責任をもって関わろうとする人々の継続的なサポートの有無が、その先の運命を左右するということを知った二日間でした。


 139号(2011年7月15日)

      仙台市史編さん室の被災歴史資料レスキュー
 
■仙台市域での被災歴史資料調査

 宮城資料ネット会員の栗原伸一郎です。先日お伝えしましたように、現在、仙台市博物館では、宮城資料ネットと連携しながら歴史資料の保全活動に取り組んでいます。仙台市内の各地域(城下町周辺部の旧村地域)を巡回し、これまでの調査先と未調査ながら資料所蔵が予想される旧家を訪問して、歴史資料の被災状況を調査し、保管を呼びかけています(調査方法や当初の活動については宮城資料ネットニュース121号をご覧下さい)。4月20日から活動を始め、7月14日までに延べ30日間で244箇所の旧家や寺社を訪問しました。ここでは、最近2ヶ月の活動状況についてご報告いたします。

 最近の巡回調査は、これまで仙台市博物館で調査をしていない旧家を中心に訪問しています。活動には、博物館職員や『仙台市史』執筆担当者のほかに、宮城資料ネット事務局などが参加しました。宮城資料ネット事務局には仙台市内の被災資料についての問い合わせも数多く入っているため、博物館と情報を共有し、連携しながら調査をしています。また、訪問場所の選定のために、地域の歴史を調査されている地元の方に旧家や資料所蔵者に関する情報を提供いただくなど、市民の方々にも協力いただきながら活動しました。

 5月中旬以降は、仙台市内各地域2巡目の巡回でした。震災の影響によって歴史資料を廃棄した事例が幾つも確認された一方で、古文書など何らかの歴史資料を所蔵していることが確認できたお宅は、訪問したうちの半数近くに上りました。そのなかには、個別に詳細な調査をお願いしたいお宅が数多くあります。また、最初に訪問した際には歴史資料の存在が確認できなかったものの、再訪問した際に確認できたという事例も複数ありました。資料の保管を呼びかけたところ、その後に見つかったものを廃棄せずに残して下さったということでした。今までは、なるべく多くのお宅に資料の保管を呼びかけることを主眼としていたため、ほとんどのお宅は聞き取り調査を一度行ったのみですが、今後は詳細な資料調査や、再訪問による再度の聞き取り調査も行っていたきいと思います。

 なお、沿岸部では、津波の被害を受けた旧家や寺から水損した文書資料が発見されることもありました。これらは博物館でお預かりし、エタノール噴霧などの応急処置をした後に、一部の資料については文化財レスキュー事業に引き継ぎました。水損資料については、後述の倉橋報告をご覧下さい。

 また、巡回調査とは別に、これまで資料調査をしてきた資料所蔵者に対して、歴史資料の保管を呼びかける文書を送付しました。これは仙台市内のみならず、宮城県全域、そして福島県や岩手県にお住まいの方に対して送っています。仙台市外については、なかなか仙台市博物館で対応することが難しい場合が想定されましたので、呼びかけの文書では、心配事のある方は博物館のほかに、宮城資料ネット・ふくしま史料ネットに連絡するようお願いしました。文書をお送りした方のなかには、所蔵する美術品や古文書の今後の保管について相談される方や、廃棄を思いとどまっていただいた方もいらっしゃいました。
 
 その他、仙台市博物館の活動としては、仙台平野の地震と津波災害の歴史や東日本大震災における資料レスキュー活動について、8月28日までパネル展を開催しています。この展示については、幸い多くの市民の方が興味を持って下さったようで、様々な問い合わせをいただいています。巡回調査や文書送付、そしてパネル展示による呼びかけを通して、一人でも多くの方が、自分の周囲にある歴史資料の価値を再認識していただき、今後の保管について考えていただければと思っています。


仙台市史編さん室での津波水損資料レスキュー

 同じく会員の倉橋真紀です。栗原報告にあります活動を一緒に行っております。 仙台市史編さん室員としての業務では資料整理を担当しており、近年、災害時の資料保存について具体的な事例が紹介される中で、仙台市内で何らかの災害により歴史資料が被災した場合は自分がその任に関わることになるだろうと意識しておりました。
 
 関連する報告書や論文を確認したり、水損資料保全のワークショップへ参加するなどして情報は得ていたつもりでしたが、泥が付着し、海水により完全に浸水したり、圧着したりしている資料をいざ目の前にすると、この方法でいいのか、いずれのマニュアルに従えばいいのか迷いながら作業をする日々となりました。
 
 幸い仙台市博物館の建物は震災当初より空調や水などが止まることもなく、保全活動を行う環境としては恵まれていたと思いますが、資料の分量が多くなりますと「人員と場所」という制限が掛かり、最初に分量が増えた時には私一人では対応しきれず、文化庁の文化財レスキュー事業へ協力をお願いすることとなってしまいました。
 
 津波による被災という報告されたことのない事例ということもあって、最初はなかなか私が必要とする情報を得られませんでした。しかし、全国的な支援が広がる中で文化財レスキュー事業への相談が可能となり、専門の方にご指導いただくことができたり、東京文化財研究所や東京文書救援隊などのボランティアグループの運営するホームページに具体的な事例と共に情報がアップされるようになったりして、今ではある程度の自信を持って作業を行なえるようになりました。
 
 仙台市内の水損資料の受け入れは現在のところ相談件数も落ち着いて来ておりますが、調査は継続されており資料保全の活動はまだ途上です。今回の災害を受け、資料の大量被災をどう処置するのかを検討し、常に最新の資料保全技術を紹介しようとして下さっている方々に感謝しつつ、その技術を学びながら今後に備えたいと思います。


 第138号(2011年7月4日)

 事務局でのボランティア始まる 事務局でのボランティア活動報告


 宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。地震発生から4ヵ月近くが経過しましたが、事務局には史料保全の相談や問い合わせがほぼ毎日のように寄せられています。そのようなお問い合わせにはできるだけ素早く対応するようにしており、結果多くの被災した歴史資料の保全に結びついております。

 そのことにともない、事務局には津波で水損した古文書などの被災史料が増え、その応急処置のための人員確保が大きな課題になっておりました。そこで6月後半より、平日に事務局での作業に対するボランティアを募集し、作業への協力をお願いすることになりました。 

 現在は一日2〜3名ほどの方々が参加されています。社会人の方の中には、仙台に自費で長期滞在されたり、逆に平日の休暇を利用して、遠隔地から日帰りで参加されたりと、貴重な時間を割いて献身的に作業に参加いただいております。この場を借りて御礼申し上げます。

 また山形資料ネットからは、宮城資料ネットが実施する事務局での応急処置への協力のお申し出がございました。活動を迅速かつ効率的に進めるため、2件分の史料群について山形市での作業を依頼いたしました。山形資料ネットの協力にも改めて御礼申し上げます。

 一方、仙台地区の各大学から、史料実習などの授業の一環として、ゼミ単位で事務局でのボランティアへの参加もいただいております。この中では、実際にクリーニングやエタノール消毒といった、津波で被災した古文書の応急処置もお願いしております。これからの社会を担う学生の方々に、歴史遺産や文化財の災害対応という活動領域があることを知っていただく機会になれば、と考えております。

*事務局でのボランティア活動が報道で紹介されました。
 日本経済新聞電子版 http://www.nikkei.com/  「写真特集」(トップページ右側)  

■8月の事務局ボランティア募集について
 7月末日までに、下記のテンプレートに必要事項をご記入の上、事務局まで参加希望日および時間をご連絡ください。なお、8月10日より18日は盆休とし、事務局での作業は行いません。

 作業の内容ですが、津波水損文書の処置、ふすま下張り文書の解体などです。なお、現地でのレスキュー活動が入る場合もございます。その場合は現地での活動となりますが、その場合には参加が難しいという方は合わせてお申し出ください。

 ご協力いただける方は、下記のテンプレートに必要事項をご記入の上、事務局までご返信ください。



------------------------------------------------------
お名前:
ご所属:
ご住所:
電話番号(当日連絡可能なもの):
参加を希望される日:
時間帯:
 午前9時〜12時(  )
 午後1時〜5時 (  )
 夜間6時〜8時 (  )
その他連絡事項:
------------------------------------------------------

参加人数の定員は1日5名といたします。定員に達した場合、その他事務局の都合により、ご希望に添えない場合があることをあらかじめお含み置きください。

 8月についても今回の募集前より、多くの方より参加申込を頂戴しております。あつく御礼申し上げます。引き続き多くの方のご協力を、よろしくお願い申し上げます。
│<事務局・連絡先>  │
│NPO法人 宮城歴史資料保全ネットワーク

│ 電話 022-795-7693/7546 080-1666-5919(携帯) │
│メール office@miyagi-shiryounet.org ホームページ http://www.miyagi-shiryoun │
│et.org │
│ │


 第137号(2011年6月25日)

再びの雄勝町−石神社所蔵文書レスキュー

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。今回は6月16日に実施した石巻市雄勝町での活動報告です。

石巻市雄勝町の石(いその)神社は、国の重要無形民俗文化財となっている「雄勝法印神楽」を伝承してきた神社です。3月11日の大津波で社殿や神楽の道具の一部が流失するとともに、神楽保存会の会長さんが犠牲になられました。当初は存続を危ぶむ声もありましたが、5月28日に雄勝総合支所前で震災後初の興行を行い、新たな一歩を踏み出したところです。(右絵:雄勝総合支所庁舎の横断幕)

その石神社に伝えられた古文書のレスキュー要請が、石巻市教育委員会を通じてあったのは6月14日のことでした。津波で水損した文書が見つかり、中には神楽に関わるものが含まれているということで、即座にお引き受けし、日程調整して16日午後におうかがいすることになりました。地震発生後初めての被災地訪問で、以前に調査した古文書1万2千点の消滅を確認した、あの4月4日以来の雄勝町行きです。

前回と同様、三陸道を降りた後は北上川南岸の堤防上を通って雄勝に向かいます。津波で破壊されていた新北上大橋近くの堤防は、急ピッチで復旧が進められていました。雄勝町中心部ではがれき撤去が多少進んでいましたが、ビルの上の観光バスはそのまま、人通りも全くといっていいほどありませんでした。やはり津波で大きな被害を受けた総合支所の庁舎には、全国からの支援への感謝と「おがつ ふっかつ 絶対勝つ!」のスローガンを記した横断幕が掲げられていました。その支所を横目に、津波でずたずたになった防波堤際の道路を通って、石神社に到着しました。(右絵:被災した古文書の一部)

 若い宮司さんのお話によれば、古文書や神楽の道具を保管していた社殿が流失した際、屋根の部分に偶然にも床がはまり込んで、その中に文書などが収まった形になったようだ、ということでした。さらに屋根は湾の入り江にある小島に引っかかって流れていかなかったのも幸いだったとのことです。屋根が見つかったとの知らせがあったのが3月30日で、4月はじめから資料探しを始めたが、近くに犠牲者のご遺体が流れ着いて作業を中断する、ということもあったとのことです。

古文書については、ご自分で乾かしていたということで、適切な対応もあって比較的良好な状態でした。ただし、それでも水濡れのひどいものや、乾燥する中で紙が張り付いてしまったものも含まれていました。文書の中には事前の情報通り、江戸時代中頃の神楽に関する資料がありました。さらに祝詞を記した古文書2冊は、現在上演されている神楽でも使っているものなので、特に至急の対応を依頼されました。ご許可を得て数百点にもおよぶ古文書や、郷土史家でもあった先々代の宮司さんがまとめた地域史に関する原稿などすべての資料をお借りし、早速仙台の事務局で乾燥やクリーニングなど必要な対応を始めています。


今回レスキューした古文書は、まさに地域の伝統芸能に用いられ、そこに暮らす人々のよりどころとなっている「生きた」史料といえます。その復旧に関わるという責任の重さを痛感しているところです。(右絵:元文4年(1739)の神楽関係文書)

雄勝法印神楽は、この秋鎌倉市で上演される事になりました。今回レスキューした古文書も、この興行で用いられることになります。その一方、今回の津波により、神楽に用いる面や道具の多くが失われてしまったとのことです。


 600年間守り伝えられてきた地域文化を、さらにこの先へと伝えてゆくためには、多くの方のご支援が不可欠です。この紙面を借りて、雄勝法印神楽の復興に向けた取り組みに対し、全国の方々のご支援を、よろしくお願い

 1362011621日)

    陸前高田市での資料レスキュー

 宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。 震災から3ヶ月が過ぎました。梅雨時をむかえ、津波で被災した資料の状態もかなり悪いものも目立つようになりました。歴史資料のレスキュー活動も時間との戦いになりつつあります。(右絵:地盤が沈下した陸前高田市の海岸線)

 6月12日、岩手県陸前高田市へ歴史資料のレスキューに赴きました。東日本大震災では、3月11日に発生した大津波が同市の市街地を襲い、その高さは20メートルまで駆け上がったともいわれています。津波から3ヶ月、市内に入る山道を下った我々が見たのは、山裾から海岸まで見渡せてしまう程に、壊滅的な市街地の惨状でした。陸前高田市は震災により地盤が84センチも沈下し、以前は陸地だった場所の多くが海面の下に沈んでいました。かつて我々が岩手県南で調査をする際によく訪れていた道の駅や、その近くにある風光明媚な高田松原も、無残な姿となっていました。

 今回訪問した地域は、海岸から1.5q離れた小高い丘陵地に位置していました。一見、山あいにあるように思われるこの地域にも、今回の大津波が押し寄せました。訪問先のご主人のお話によると、震災の日は東側の海岸と西側の海岸の両側から波が押し寄せ、この地点で渦を巻いていたそうです。資料が保管されていた土蔵は、もとあった場所から50メートル先に流されていました。また、土蔵と併設していた母屋は完全に消滅していました。後日、母屋に置かれていた手紙類は、後日海岸線で活動していた自衛隊に回収され、ご主人のもとに届けられたそうです。改めて、震災大津波の凄まじさがうかがわれます。(右絵:津波によって流された土蔵)
 
 土蔵に保管されていた一部の資料は、いち早くご主人と郷土史家の方の手によって土蔵から搬出され、乾かす作業をおこなっていました。いち早くこうした対応をしていただいたことで、資料の状態は比較的良好であり、近世後期から明治期にかけての古文書が多数確認されました。また、土蔵2階に残る刊本類を調査したところ、同地のユネスコ活動に関わる資料が発見されました。このユネスコ活動は、かつての同家のご当主がユネスコ学園や日本初となる民間ユネスコ図書館を設立したもので、のちに岩手県で展開する民間ユネスコ運動のさきがけになりました。資料の多くは津波に浸水しておりましたが、学園で用いられていた卒業証書や入学案内、独自に発行していた新聞や校長先生の草稿などをレスキューしました。これらの資料は、事務局でお預かりし、水損被害に対する応急処置を実施しています。

 作業の中で、前述のご当主の資料を管見すると、終戦直後の荒廃した日本の姿を目の当たりにしながらも、戦後の日本の再生を担う若い世代への教育に希望を見いだし、私財を投じて教育活動に取り組んだひとりの教育者の姿が浮かび上がってきます。こうした先人の姿は、現在震災によってうちひしがれた人々の心に、ひとつの希望を与えうるのではないでしょうか。一介の歴史研究者として、現在の資料レスキュー活動によって地域の資料を守ること、そこに描かれる地域の先人達の活動に新たに掘り起こすことが、被災地再生の一助に繋がることを願ってやみません。(右絵:土蔵2階でのレスキュー状況)


 第135号(2011年6月18日)

 亘理町荒浜での資料レスキュー   日本学術振興会特別研究員PD(東北大学) 小関悠一郎

2011年6月10日、亘理町荒浜のM家で行われた資料レスキュー活動について報告します。宮城資料ネット・ニュース101号でも報告されている通り、荒浜地区は津波の被害が甚大で、大きく破壊された家々と所々に付された犠牲者収容の印が現在も残されています。M家も外壁に津波の高さを示す跡がはっきり残っておりました。作業当日立ち会われた奥様は、地震発生当日、津波が押し寄せたため、お宅の庭にあるキンモクセイの木によじ登り、寒さの中そのまま3時間ほど過ごされるなど、大変なご苦労をされたとのことです。(右絵:倉庫から資料を搬出する)

今回作業が行われたM家は、江戸時代から荒浜に住んで問屋を営み、浦役人を務めた旧家です。阿武隈川舟運や東回り海運に関する文書など多数の資料をご所蔵で、2002年12月から奥羽史料調査会によって、現地調査(袋詰め・写真撮影)と目録化作業が行われました。今回の活動は、その際に中性紙封筒に詰められた文書などの資料搬出、および資料が保管されていた倉庫の整理・点検が作業の中心となりました。

作業メンバーはまず、亘理町立郷土資料館(悠里館)に集合し、M家や亘理町教育委員会の方々らと合流しました。同館での集合には、奥羽史料調査会での調査等、以前からM家に関わってこられた斎藤善之さんも、大学での講義の直前に駆けつけられました。(右絵:搬出された資料)

そこからM家に移動し、宮城資料ネットの蝦名裕一さんの陣頭指揮の下、作業が開始されました。作業は主に母屋と倉庫で行われました。母屋では、二階から軸物類を、床板をはがすなどの処置が施されていた一階の居間から額装された古文書をそれぞれ搬出しました。

倉庫の方は、窓ガラスが大きく割れ、壁の下方の一部がへし折れて穴があいたようになっており、そこに多くの物が散乱した状態でした。作業は、倉庫内にある物品を倉庫脇のスペースに運び出して、それらを点検・整理し、倉庫に戻すという流れで行われました。点検・整理は、教育委員会やM家の方を中心に行われ、資料館への搬出物、処分する物品(廃棄物として道路脇の仮置き場に運搬)、倉庫内に戻すもの(数人がかりでの作業が必要な什器類も多数)に分けられました。点検・整理の後、倉庫内の砂や泥を掃き出し、風雨の浸入を防ぐため、破損した窓に段ボール等で応急処置を施した上で、物品を搬入して整理し、倉庫での作業は終了しました。

最後に、搬出資料を亘理町立郷土資料館(悠里館)に運び入れました。予めまとめておいていただいた未整理の下張り文書段ボール一箱分については、宮城資料ネットで整理することになっています。

以上の作業の中で、様々な道具類やその箱、そこに記された品名や年号の墨書を目にしました。なかには、背に江戸時代のものと見られる古文書数点が貼り付けられた箪笥も見られましたが(これについてはデジタルカメラでその写真を撮影)、これらはM家や荒浜地区の歴史の一端を示すもののように思われました。共に作業し諸資料について話もしたM家の方は、こうした資料に関する様々な知識を持ったメンバーに来て整理してもらって本当によかったと仰っておられました。今回の作業が、地域と住民の皆様の前進の一コマになればと願っています。(右絵:屋から搬出された額装の古文書)


(追記)
M家の御当主につきましてはメールニュース101号にて「亡くなられた」と記しましたが、ご健在であることが確認されました。ニュースの当該部分は取り消します。合わせて、関係者の皆様にご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
今回のレスキューは、御当主からのレスキュー要請に基づき、亘理町教育委員会、文化財救援委員会現地対策本部との協同で実施しました。(事務局・佐藤大介)

 第134号(2011年6月17日)

 東松島市での資料保全活動  仙台市歴史民俗資料館 畑井洋樹

今回は6月6日(月)に東松島市で行った保全活動についてレポートします。

 当日は事務局のお二人とともに鳴瀬川河口から3キロほど上流、東松島市役所近くの住宅地にあるE家で保全活動を行いました。 (右絵:確認された「風土記御用書上」)

 震災当日はこの住宅地も津波に襲われ、家々の流出はなかったにせよ、住宅地一面が「湖の中で孤立した状態」となり、E家も一部で床上浸水したそうです。震災から約3カ月を経過した訪問時も一部の床面で湿気が感じられるところがあり、住宅内に入り込んだ水分が容易には抜けないことが体感されました。

 E家には掛軸を中心に文書も含めて7,80点の資料が残されていました。縁戚に近隣の土地を所有した地主で明治時代には村長も勤めた家があり、これらの資料は約30年前にその縁戚関係にあった家が取り壊される際、移管してきたものとのことでした。震災以前は他にも多数の資料が敷地内の倉庫に保管されていたそうですが、倉庫は津波で床上浸水したため、水損、汚損した資料の多くは廃棄処分されたようです。

残された資料の中には、安永年間の地域の様子を詳細に記した「風土記御用書出」があったほか、仙台藩の御用絵師と思われる銘の入った掛軸や屏風、扁額などもあり、当地の文化交流の深さがうかがわれました。また、何らかの水路の浚渫に関わる人名簿、明治時代中期の徴兵関係の個人資料もみられ、近世から近代へと時代が移る中での地域の産業の変遷、個人の生き方の変遷をも示す多様な資料が見られました。いずれの資料も状態は良好でしたが、E家の了解を得て、清掃と写真撮影を行うため一時的に事務局へと搬出しました。(右絵:地域の生業を示す近代文書)

今回は津波被害を免れた資料を対象とすることになりましたが、震災から時間を経ずに訪問できていればレスキューすることができた資料があったかもしれません。また、このような災害に遭う以前に地域の文化財の残存状況が把握できていれば、より迅速で効率的なレスキューができたとも思われました。これまでの活動の中でも明らかになっていますが、これらの点は今後の活動に広く活かされるべき課題となるでしょう。

また、仙台への帰路、鳴瀬川河口の野蒜築港跡を視察しましたが、石積みの護岸はところどころで崩れ、応急の土のうが積まれたところも散見され、築港の痕跡も一部では消失していることも懸念される状況でした。(右絵:津波でえぐられた堤防)


自衛隊による捜索活動、瓦礫の撤去作業もまだまだ続いているような状態ですが、このような史跡被害の確認もいずれは求められることと思いつつ現地を後にしました。

 (左絵:被災した野蒜築港の遺構)

 133号(2010年6月14日)

斎藤報恩会書庫の蔵書レスキュー          事務局・佐藤大介

今回の震災で被災した、財団法人斎藤報恩会書庫の蔵書レスキューを、6月20日月曜、21日火曜に実施します。つきましては、ボランティアを3名程度募集いたします。直前のご案内となり恐縮ですが、ご協力いただける方は、折り返し事務局までご返信ください。

<要項>
■実施日時
・6月20日 月曜日 午前9時30分〜5時頃
・6月21日 火曜日 午前9時30分〜5時頃

*20日の進捗状況により、21日は作業を行わない可能性もあります。

■集合時間・場所 ・6月20日 月曜日 午前9時 斎藤報恩会現地集合
 仙台市青葉区大町2−10−14 仙台パークサイドビル2階  http://www.saitoho-on.com/news1.html


■作業の内容
・斎藤報恩会書庫内の震災で破損した書棚から、配架されていた書籍を一時搬出する。


■募集人員・3名程度

<注意事項>
 1.ご自身で傷害保険かボランティア保険等にご加入ください。
 2.ヘルメットをお持ちの方は持参してください。お持ちでない方は事務局で
用意します。
 3.汚れてもよい服装でおいでください。
 4.マスクと作業用手袋(軍手等)を持参ください。
 5.昼食と飲み物は持参して下さい。
 6. 宿泊先については各自で確保してください。


■締切 6月16日 木曜日

■申込書
-----------------------------------
氏名:
所属:
メールアドレス:
住所:
電話番号:
参加:20日(  ) 21日(  )
------------------------------------
*上記の情報は、今回のレスキューに必要な情報収集および今後の活動案内など
のために使用します。


 132号(2011年6月14日)

 東日本大震災

  「瑞雲」の下で − 気仙沼市唐桑町の被災古建築保全活動


宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。震災発生から三ヶ月が過ぎました。徐々に復興への歩みが始まっていますが、沿岸部を中心に被災地は依然として厳しい状況が続いております。

今回は、気仙沼市唐桑町での被災古建築保全活動に関するレポートです。6月7日と8日の両日、現地での活動を実施しました。       (右絵:蔵の壁に貼ったブルーシートの調整をする)

今回おうかがいしたのは、以前に宮城資料ネットで古文書資料の保全活動を行った個人宅です。今回の震災を受け、4月30日に被災状況の確認におうかがいしました。お宅の所在する地区も津波で壊滅的な被害を受けておりましたが、幸い同家は被災を免れ、古文書資料も無事保管されていました。古文書が保管されていた土蔵も、柱などの構造には大きな問題は見られませんでした。しかし、土蔵の中が見えてしまうほどの土壁の崩落が二箇所でみられ、収蔵してある古文書資料が雨で濡れてしまう心配がありました。そこで、30日には雨に濡れない場所に古文書を移動する一方、壁にブルーシートを貼り付ける応急処置を行いました。

一方、前回の調査後、5月末の台風2号に伴う豪雨と強風により、応急処置を行った壁の破損と、それに伴う古文書資料の水濡れが懸念されました。また、崩落した壁土によって床下の通気が遮断され柱が腐朽していく可能性があり、こちらの対応も必要でした。(右絵:崩落した壁土を掘り起こす)

あわせて、前回の調査では、明治30年代前後に建てられた母屋や土蔵などの施設を、周辺の地形など含めた記録化を行いたい旨を提案し、ご了承をいただきました。これについては宮城資料ネット建築班の佐藤敏宏氏が、東京や金沢、関西地区の建築士や建築専攻の学生による調査チームを編成し、7月に実施することとなりました。今回の活動は、その事前調査も兼ねています。先遣隊として、東京大学生産技術研究所講師の太田浩史氏と、ゼミ生など8名が参加しました。

建物保全は、崩落した土をスコップなどで掘り起こしてガラ袋に詰め込む作業です。この壁土は、将来条件が整った場合には修覆に利用することもできます。日頃馴れない作業で、手のひらの皮はすりむけ、ひざや腰など体中が痛くなりました。しかし、壁土は高さ50センチ、長さ10メートルほどにわたって積もっているため、これを2日間ですべて撤去し保全することはできませんでした。今回は、2メートルほど掘り進んで、文書が保管された土蔵東側の床下への通気を確保したところで作業を終えました。これと平行して、土蔵の調査も実施し、文書が保管されていた東側部分の実測を終えました。

その一方、地域の目下の課題は、どのように地域を復興していくかということです。行政区長も勤められている御当主からは、ご自身の先祖や地域の人々が何百年ものあいだ海に関わって生活してきたことを踏まえて、今後の復興を考えたいというお話がありました。今回は私たちや留学生も含む東京からの参加者に、自宅や地域の様子を熱心にご案内いただきましたが、唐桑の自然環境や災害後の現状と課題を知ってほしいという御当主の思いに触れることとなりました。 (右絵:壁土を袋に入れて保管する)

 御当主のご意向に沿った形での復興プラン作りへの関与は、歴史資料保全の分野としては、これまでの調査データの提供などに限定されると思われます。一方、私たちの活動もふくめ、これまでの歴史的な調査成果がどのように反映されるかを見守ることは、研究成果の社会還元という課題と決して無関係ではありません。気仙沼市唐桑での取り組みは、分野横断による地域の記録とその社会還元を考える上で、一つのモデルケースとなるのではないかと個人的には考えております。

今回の調査中には、「瑞雲」(彩雲)が見られました。古くから吉兆のしるしとされてきた大気の光学現象です。御当主からは、大きな災害の後で見られると伝えられてきたが、今回も大津波の後から見られるようになった、これから明るい方向に向かう兆しではないか、というお話がありました。唐桑での復興に向けた取り組みが、そこに住む方々の意向を踏まえ、前向きな方向で進んでいくことを強く願わざるにはいられません。

 131号 (2011年6月09日)

東日本大震災 南三陸町志津川での歴史資料保全活動

 宮城資料ネット事務局の天野真志です。6月1日(水)、南三陸町志津川で歴史資料保全活動を実施しました。保全対象となったE家は、母屋が元禄期に建てられた由緒のあるお宅でしたが、今回の津波による被害で、お宅の大部分は流されてしまいました。ご当主によると、残された母屋の部材などについて諸方と交渉しているなかで、宮城資料ネットの活動について紹介されたそうです。その後、ご当主から事務局に所蔵資料のレスキュー要請が寄せられ、今回の訪問となりました。 (右絵:被災した母屋の状況)

 事務局がお宅を訪問すると、茅葺きの母屋が内部を津波で大きくえぐられた状態で残っていました。大事なものについては震災後ご当主が探して集められていたようで、ご当主によって応急処置が施された江戸時代の古文書類については、ほとんどが乾いた状態でした。ただ、母屋のなかをみてみると、近代にはいって同家が携わった、青年会の書類や養蚕事業に関わる記録などが散乱しておりました。これらについて、可能な限り拾い集め、保全措置をおこなうことにしました。
今回は、震災後はじめておこなった志津川での保全活動でした。数日前に被災地を襲った豪雨の影響で、大きな水たまりが確認され、地滑りなどさらなる被害が懸念される状況でした。

 ご当主にお話を伺っていると、今回の震災で、これまで経営してきた事業は壊滅的被害をうけ、機材などもほとんどが流されてしまったそうで、今後生活していくために、国や自治体からどのような支援があるのかいまだ分からないとのことでした。そうしたなかでも、代々受け継いだ家屋や古文書類について、何らかのかたちで残していきたいとの思いで事務局に相談をもちかけていただきました。 (右絵:資料の状況を確認する)

被災地支援のあり方について、様々な考えがあるかとは思います。そうしたなかで、それぞれのお宅に伝わった歴史や記憶を、後世に永く伝えていくお手伝いをすることが、我々なりの被災地支援であると考えております。震災から3ヶ月が経過しましたが、県内各地からレスキューの要請が毎日のように事務局に届けられています。少しでも多くの歴史を保全していくため、出来る限りのお手伝いをしていきたいと思います。これまでも多くの皆様にご助力をいただきました。長い道のりになると思いますが、今後ともご支援、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 130号(2011年6月1日)

ボランティア急募
宮城県亘理町での資料レスキュー

 今回の津波で被災した、宮城県亘理町での資料レスキューを実施します。つき
ましては、ボランティアの方を5名程度募集いたします。下記の要項にあるよう
に平日の活動となりますが、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。


■実施日時
・6月10日 金曜日 午前10時頃〜

*集合場所などは参加お申し込みの方に別途ご案内いたします。

 
■作業の内容
・宮城県亘理町で被災した個人宅からの資料搬出
*和箪笥や長持の搬出などの力仕事を伴います。


■募集人員
・5名程度

<注意事項>
 現場の周辺はがれきの撤去作業が進行中です。下記の点にご留意ください。

 1.ご自身で傷害保険かボランティア保険等にご加入ください。
 2.ヘルメットをお持ちの方は持参してください。お持ちでない方は事務局で
用意します。
 3.できるだけ安全靴を着用願います。
 4.汚れてもよい服装でおいでください。
 5.マスクと作業用手袋(軍手等)を持参ください。
 6.昼食と飲み物は持参して下さい。
 7. 宿泊先については各自で確保してください。


■締切 6月7日 火曜日

■申込書
-----------------------------------
氏名:
所属:
メールアドレス:
住所:
電話番号:
------------------------------------
*上記の情報は、今回のレスキューに必要な情報収集および今後の活動案内など
のために使用します。