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99号(2011年3月29日)

東北・関東大震災 歴史資料・文化財被災状況の概況報告

 宮城資料ネットの平川新です。

■東北・関東大震災の被災状況

 ガソリンがないために動けない事務局では、かつての調査先や教育委員会、郷土史家の方々などに電話をして情報を集めるとともに、地震後に撮影された衛星画像から調査先や文化財の所在地を特定して現況を把握する作業を続けています。これまでに約300件近くの情報を集めました。その概要をお知らせいたします。

*沿岸部

 大津波に襲われた沿岸部のうち、宮城県の気仙沼から山元町までの地域で古文書所蔵者のお宅が10軒ほど消滅してしまいました。私たちが以前に調査した旧家なのですが、お屋敷が跡形もなく消えてしまった衛星画像を見ると慄然とします。中にはかろうじて津波から免れたものの、地震によって土蔵が大きく傾いたというお宅もありました。そのお宅の蔵には、近世初頭から戦後までの数万点におよぶ史料が段ボール箱に詰められて収納されています。はたして、それらはどうなっているのか、早くレスキューに駆けつけたいという思いが募ります。

*内陸部

 メディアでは福島原発と大津波の報道が中心となっていますので、内陸部の被害報道が少なくなっています。それでもさすがに、国指定の有備館(宮城県大崎市岩出山町)が完全倒壊したことは報道されました。事務局による電話の聞き取りによると、地域によっては未指定の古民家や土蔵にも、かなりの被害が確認されています。

 2年半前の岩手宮城内陸地震では、震源地となった奥羽山脈側の地域(栗原市栗駒、同花山、大崎市岩出山、同鬼首等)が激しいダメージをうけましたが、今回は大きく揺れたものの建物被害はあまりなかったとのことでした。しかし栗原市や大崎市の西部地域では、近世後期の農家住宅の柱が折れたり、土蔵が倒壊あるいは大きく損壊したとの情報が寄せられています。また登米市の東和町地区は栗原市や大崎市よりは海寄りなのですが、建物被害は少なかったとのことです。ところが同じ登米市でも迫町では民家の被害が多く、さらに南の石巻市桃生町でも土蔵がつぶれた旧家がありました。地盤や立地によって被害の程度に大きな差が出ているようです。

 仙台市内では、足軽の内職から始まった堤焼きの登り窯6基(大正期建造)のうち3基が崩壊してしまいました。未指定ではありますが足軽町としての堤町の歴史を象徴する文化財でした。奥様は、どうすればいいのかと途方にくれておられました。

 仙台城下町としては数少ない商家の店蔵も、壁が剥落しています。仙台の南にある蔵の町村田町では、多くの土蔵に被害がでています。福島方面でも桑折町の旧家が大破したという情報が寄せられています。

■どうすれば歴史遺産を残せるのでしょうか

 調査が進めば進むほど被害物件は増えていくばかりです。修復する費用がないので解体せざるを得ない、と語っておられるご当主の話も、いくつか聞こえてきております。未指定ですが、よく知られた古建築もあります。東北関東大震災は、日本の歴史と景観を体現するあらゆる宝を喪失させようとしています。
 地域の宝、日本の宝を守るために国民や世界から募金を募り、たとえば歴史遺産基金のような、所有者の方々を少しでもサポートできる体制をつくりだせないものでしょうか。よいお知恵がありましたら、ご提案いただければありがたく思います。



98号(2011年3月27日)

東北・関東大震災 津波浸水域図を見て

 宮城資料ネットの平川新です。

■津波浸水域図を見て

 2年ほど前に、仙台の南にある岩沼市の阿武隈川氾濫ハザードマップの浸水予想図を眺めていて気がついたことがあります。岩沼市には奥州街道の岩沼宿がありましたが、同街道の道筋と岩沼宿の部分は、周辺に比べて浸水度が低い色に塗り分けられていたのです。これを見て宿場や街道は、浸水しにくい地形を意図的に選んで設計されているのではないかと感じておりました。そうした目で各地の宿場や街道、城下町などの地形・立地などをとらえなおしてみると、なぜその場所を選んだのかについて、新たな知見が得られないだろうかとも考えておりました。

 このたびの大津波の被害地域を把握するために、資料ネットスタッフの蝦名裕一さんが津波浸水域図(宮城資料ネットHPにアップ)を作成してくれたのですが、これを皆で眺めていて、2年前と同様の印象を抱きました。

 2枚の地図は、名取市・岩沼市および、さらに南の亘理町・山元町の津波浸水域図です(添付ファイル/拡大版はHP版を御覧ください)。国道4号線が仙台から南に向かって名取・岩沼を通り、阿武隈川に行き当たるところから街道は西と南に分岐しています。西に折れて白石に向かう道筋が奥州街道(国道4号)で、南に走っているのが浜街道(国道6号)です。バイパスもありますので現在の国道と江戸時代の道筋とはズレたところもありますが、旧道のおおよそのルートを反映しています。

 旧道は阿武隈山地に沿うように走っています。奥州街道の宿場としては長町宿、中田宿、増田宿(名取市)、岩沼宿があり、浜街道では亘理宿、山下宿(山元町)がありました。これらの地域を津波浸水域図で見てみると、宿場と街道のほとんどは津波の浸水域からズレていることがわかります。こうした事実を前にすると、江戸時代の街道は平場でも山裾に沿っているところが多いという一般的な理解で済ますことはできないのではないか、と思われるのです。平常時には気がつかなかったのですが、あたかも大津波を想定して宿立ての場所や街道の道筋を選んだのではないか、とすら考えたくなります。


 
 奥州では慶長16年(1611年12月2日)に地震があり、大津波が発生しています。仙台領内の死者1783人、盛岡藩や津軽藩の沿岸部でも多数の犠牲者が出たとされています。それからちょうど400年目の今年、またしても3万人をこえる津波の犠牲者を出したのでした。


 建物が大破した研究室には入れず、図書が散乱した大学図書館も利用不可ですので、浜街道の亘理宿や山下宿の開設時期までは調べることができません。しかし奥州街道のうち、中田宿、増田宿、岩沼宿は慶長15年(1610)段階にはすでに存在していたとされています。そうであれば、宿立てのあとに慶長津波が襲ったことになります。同津波の浸水域は不明ですが、もし当初から現在地に宿立てされたのだとすれば、見事なほどに大津波の被害を免れる場所を選び、街道をつくったといわざるをえません。

 現在私たちは、これらの宿場は最初からこの地にあったと考えていますが、この津波浸水域図を眺めていると、あるいは別な可能性も想定しておくべきかもしれません。つまり慶長の大津波を経験したことによって、宿場や街道が、津波の到達しにくい、より山沿いに移動した、という可能性についてです。検討してみる価値は十分にありそうです。

 3月23日の東京新聞Web版に、福島原発を設計した東芝の元社員の驚くべき証言が記載されています。元社員はマグニチュード9を想定して設計するよう進言したが、上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付したということです。

 四百年前の地震は慶長の大津波を引き起こして多大な犠牲者を出し、千年前の貞観津波(869年)では陸奥国府のあった多賀城まで押し寄せて「溺死者千許」に及ぶ犠牲者を出しています。東芝の上司の発言は、そうした歴史の経験を完全に無視したものでした。福島原発設置からわずか40年にして、その「千年に一度」の大災害に見舞われてしまったのです。歴史を無視した結果、多くの人々の生命が重大な危機にさらされてしまうことになってしまいました。これを大人災、大不祥事といわずして何というのでしょうか。




 先に紹介したように、江戸時代の宿場や街道には今回の大津波も到達しませんでした。そうした立地をみると、過去の先人のほうが、よほど歴史の教訓を活かしているのではないかと思わざるをえません。

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NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク
Tel 080-1666-5919(臨時・代表)
E-mail office@miyagi-shiryounet.org

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97号(2011年3月26日)

 大地震より2週間

 宮城資料ネットの平川新です。3.11大地震から2週間が過ぎました。被害者の数は増え続けるばかりです。

■宮城資料ネットの動き 

*宮城県および文化庁と、歴史資料・文化財の救済体制の構築について検討しております。それにあたり文化庁は、「東北地方太平洋地震文化財等救援事業」として「救援実行委員会をおき、指定文化財・未指定文化財を問わず救済対象とすることを表明しました。文化庁からの協力要請は文化財保存修復学会、全国美術館会議、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)ほかの歴史・美術関係諸機関に行われるとのことです。呼びかけ対象はさらに拡大していくものと思われますので、みなさまにはぜひご協力をお願いしたいと思います。

*現在、私たちのところには全国からレスキューの応援に駆けつけたいというメールがたくさん届いております。しかし今はガソリンの入手もままなりませんので、お待ちいただくしかありません。今後の段取りとしては、歴史資料・文化財等の被災状況を確認したうえでレスキューや保全が必要な物件や個人宅を特定し、さらに地域ごとにスケジュール化して人員の派遣等を調整していくことが必要になります。そうした段階で皆様に人員の派遣やご参加を呼びかけることになろうかと思います。

*レスキューは個人蔵のものだけではなく、公的な資料保存機関等も対象になりす。気仙沼市立のリアス・アーク美術館や南三陸町の郷土文化保存伝習館などは高台にあるので浸水していない、という情報もあります。しかし海岸沿いにあった石巻文化センターは、巨大な津波にのみこまれてしまいました。空中写真を見ますと、周辺の住宅は跡形もなく破壊されて流出し、同センターと隣の市立病院の鉄筋コンクリートの建物しか残っておりません。先日、市立病院の内部が破壊されている映像が流れていましたので、同センターも同様なのではないかと思われます。じつは同センターの職員には、安否をまだ確認できていない方々がおられます。無事に避難されていることを祈るばかりです。

 同センターは市域の古文書等のほかに、石巻在住の故毛利総七郎氏が70年をかけて収集した数万点におよぶ毛利コレクションを収蔵しておりました。現地に入ってみないと、これらがどうなっているのか確認のしようがありません。もし、いくらかでも歴史資料や文化財が残っていれば搬出したいと考えております。これは沿岸地域にある個人所蔵者宅も同様です。

*このように、津波災害によって膨大な水損資料が発生していると思われます。そこで先般、県文化財保護課に、救出した水損資料の一時保管場所として、急速冷凍施設のある水産会社や冷凍食品会社などに協力を求めてくださるよう依頼をしました。確保できるかどうかはわからないが探してみる、とのご回答をいただいております。もし確保できれば、東北歴史博物館には真空凍結乾燥機がありますので、レスキューした水損資料は順次同館に移送して保全することになると思います。

■津波浸水域図

 津波浸水域図を宮城資料ネットのホームページにアップしています。地震後に国土交通省が撮影した空中写真をもとに、宮城資料ネットスタッフの蝦名裕一さんが地図ソフト「カシミール3D」を使って作成しました。 国土地理院も津波範囲概況図を公表していますが、当資料ネット作成図は等高線1mごとに色分けしておりますので、浸水域と地形との関係を明瞭に読み取ることができます(拡大して御覧ください)。全体としてほぼ海抜2mレベルまでは浸水し、場所によっては3~4mあたりまで到達していることがわかります。ご利用ください。



96号(2011年3月21日)

 震災より十日 現状報告


 宮城資料ネットの平川です。
 
 日ごとに犠牲者の数が増えていくのを間近で聞くのは、あまりにも現実感がありすぎます。原発汚染による避難のために福島では無人の地域が拡大する一方です。こうした地域では、津波・地震の犠牲者の救出もできず、家畜やペットも置き去りにされたままです。放射能汚染ですから一時的な「退避」ですむことはありません。現在の汚染レベルでも相当の期間戻ることはできないでしょう。もし原子炉のメルトダウンということになれば、あらゆる生物が消えた死の地域になってしまいます。被害は東京を含めた東日本一帯におよぶことになると思います。日本沈没にならないことを祈るばかりです。

■宮城資料ネットの動き
 ガソリンが入手できませんので、宮城資料ネットでは現在、以下のような活動をおこなっております。

 ・宮城資料ネットのHPに「古文書を捨てないで!」の呼びかけ文を掲載しました。
  (http://www.miyagi-shiryounet.org/)。このほか、自治体にも広報や町内会を通じてこうした呼びかけをし てくださるよう要請しております。 

 ・事務局では文化庁・宮城県・仙台市等の文化財担当者と連絡を取り合い、今後のレスキューおよび被災 状況調査の体制づくりを進めています。

 ・事務局スタッフは、自転車や徒歩で仙台市青葉区の近場の史跡・古建築等の被災状況を確認しています。
 ・資料ネット会員その他から、自宅や職場近辺の史跡・古建築等の被災状況の報告をいただいています。

 ・事務局スタッフは、これまで調査した旧家の被災状況を、国土地理院による津波後の空中写真やグーグルアースなどを活用して確認する作業をしています。沿岸部のお宅では津波にのまれて跡形もない所が少なくありません。いっぽうお屋敷が残っている姿を確認できるとほっとします。

 ・国土地理院の空中写真を活用して津波浸水域のマップを作成しています。参考例として仙台市域のマップを添付しました(図/宮城資料ネットのHPにもアップしております)。東北の津波被害地全域版の作成を進めております。このマップを活用しながら、歴史資料所蔵者宅の調査やレスキューを展開する予定です。

 ・地域史研究者の方から、筆耕史料が津波で浸水したといった連絡もいただいております。筆耕史料のなかには現物の史料は津波前にすでに失われていたものもあり、筆耕史料自体が貴重な歴史資料となっております。これらも今後のレスキューの対象にしたいと考えております。

 ・大地震前までの調査でご協力いただいた自治体の担当者とも連絡をとっています。文化財担当者も人命救助や避難所詰めが優先ですが、そのかたわら、歴史資料・文化財の被災状況についても情報収集に努力してくださっています。

■宮城資料ネットの連絡先
   
      eメール/ office*miyagi-shiryounet.org (*=@)
 
 事務局の固定電話はまだ不通状態ですので、急遽、専用の携帯電話を調達しました。下記の番号とアドレスです。こちらもご活用ください。
  
       080-1666-5919(docomo)
        miyagi-shiryounet*docomo.ne.jp (*=@)



95号(2011年3月17日)

 東北関東大震災より一週間経過 現在の活動報告


 宮城資料ネットの平川新です。

 東北関東大震災から1週間が過ぎました。想像を絶する被害に言葉を失うほどです。私の知人にも安否を確認できない方々がたくさんいます。

■文化庁の歴史資料担当の方と連絡をとりました。
 文化庁は現在、阪神大震災のときと同様に、全史料協や諸団体・諸大学等と連携しながら、東北関東大地震へ対応する方策を検討しているとのことです。文化庁からお声がけがありましたさいには、ぜひ皆様のご協力をお願い申し上げる次第です。

■東北地方の大地震・大津波としては、『日本三代実録』に出てくる貞観地震(869年)や江戸時代初頭の慶長地震(1611年)が知られています。宮城資料ネットの事務局スタッフは、東北大学防災科学研究拠点グループにも参加しておりますので、これら過去の大地震・大津波の研究を文理連携で実施する準備を進めているところでした。記録や地質調査でみる限り、太平洋沿岸部の宮城県域では大津波が内陸3~4kmまで押し寄せていることが判明しております。さらに調査を進めて津波地図の精度をあげ、来たるべき大地震と大津波に備えた防災地図を作成する予定にしておりましたが、それよりも早く実際の大津波に見舞われてしまいました。
 津波研究者は過去と同様の津波が発生する可能性を指摘しておりましたが、現在では沿岸部まで住宅地が広がり、被害を拡大する結果になってしまいました。開発との兼ね合いは非常にむずかしいところがありますが、結果からいえば過去の大津波の教訓がいかされていなかったということになります。四、五百年に1度の大地震・大津波に備えた社会を、私たちはこれからつくることができるのでしょうか。

■ガソリンが手に入りませんので移動が制約され、被災状況調査が実施できません。そのため現在は、仙台市内の近場の施設や旧家の被災状況の把握と、今後の広域的な被災状況調査のための準備、宮城県・仙台市の文化財部局や博物館、文化庁等との連携体制作りをおこなっております。

■資料ネット事務局のあった東北アジア研究センターの建物が大破して立ち入り禁止になりましたので、学生支援部のご協力を得て、現在下記に臨時オフィスを開いております。宮城資料ネットの事務局員もここに詰めています。

 名称:東北大学防災科学研究拠点臨時オフィス
 場所:東北大学 川内北キャンパス 講義棟A棟2階 資料室
         *臨時オフィスに固定電話はありません。
     *平川および佐藤の研究室の固定電話はつながりません。


 94号(2011年3月15日)

   3月11日 東北・関東大震災 各地で未曾有の被害

 みなさま

         宮城資料ネット理事長 平川新

 3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする大地震が発生しました。この東北・関東大震災では、御承知のように未曾有の被害が出ております。被災地にいらっしゃる方々は、ご家族の皆様も含めご無事でしょうか。心より御見舞い申し上げます。

 宮城資料ネットでは、当日も事務局のある東北大学東北アジア研究センターにて古文書資料の撮影作業を行っておりました。激しく、長い揺れが続きました。事務局の部屋では重い中性紙封筒やコピー用紙の箱、プリンタが飛んでくるという危険な状況になりました。事務局スタッフと、当日作業に参加していた5名、センター教員・職員はすぐに屋外に避難しました。全員無事でしたが、エレベータ棟が激しく損壊し、5階建ての建物のうち、4階・5階も破損しました。事務局そのものが被災して室内は散乱し、使えなくなってしまっております。事務局からの連絡が遅れましたのは、インターネット環境が破壊されてしまったからです。

 建物そのものは3月15日現在も立ち入り禁止ですが、3月12日より1日20分程度の時間限定で、少しずつ最低限の器材・データ等の搬出を行っています。いまも大きな余震が続いていますので危険な作業となっております。

 事務局スタッフ4名(平川、蝦名、天野、佐藤)も被災者となりましたが、目下のところ東北アジア研究センターの外で事務局体制の構築に努めているところです。関係者のご協力をいただき、3月15日時点で事務局スペースと、情報収集・発信のためのインターネット環境にようやくめどが立ちつつある状況です。

 この間、3月14日には宮城県の文化財保護課と保全活動の打ち合わせをおこない、協同で対応するという方針で合意しました。一方、今回甚大な被害を受けた沿岸部には当分近づかない方がいい、という助言をいただきました。また震度7を記録した栗原市など内陸部へも交通が寸断されています。さらにはガソリンが枯渇する状況で、車輌での移動が制限されており、十分な活動が展開できないる状況にあります。

 また3月15日には、仙台市博物館・市史編さん室と、仙台市教育委員会文化財保護課に、今後協同して保全活動を実施したい旨をお願い、合意いたしました。具体的な対応に移るにはまだ時間がかかりそうですが、活動のための枠組み作りを着実に進めております。
 
 これまでの活動でお世話になった所蔵者の方・地域の方・行政の方も被災の安否確認は出来ておらず、非常に憂慮されます。

 関連して、皆様にお願いいたします。

■ネットニュース配信者の皆様
 各地の被災状況など、ご存じの情報があれば、どんな小さなことでも結構ですので、事務局まで御連絡いただければ幸いです。
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