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ニュース168号(2012年7月11日)

    ボランティアとして少し働いて       東京大学史料編纂所  保立道久

 6月27日から3日間、ボランティアに参加しました。第一日目午前中は、石巻の小学校の校務書類の最終整理の御手伝い。午後は、いたんだS家文書の封筒の交換と現状記録(カメラ、新封筒記入)。二日目と三日目午前は、K家の襖内文書の解体と整理。そして三日目午後は早く失礼して石巻の津波跡を廻りました。その実際の中身は、自分のブログ(「保立道久の研究雑記」http://hotatelog.cocolog-nifty.com/)に書きましたので、それを御参照いただければ幸いですが、なによりも平川新さんと宮城資料ネットの方々は本当にたいへんであることを実感しました。敬意を表したいと思います。またとくに、認識を新たにしたのは、市民ボランティアの方々の実力でした。現在の責任者のOさんは、昨年の秋、平川先生の市民講座での呼びかけをきいて参加されたという紳士。リタイアされた方や主婦の方が、週3・4日あるいは毎日、6・7人のメンバーで支えてくださっている。作業の指導は研究者とともにボランティアの方々からうけた。御話を聞いていると頭が下がる。参加についての御礼をいわれたが、むしろ職能の問題としては、こちらから感謝しなければならないことで恐縮する。 絵:被災した文書の状況を確認する(6月27日)

 家族で行ったので、娘がボランティア活動の中にとけ込み、細かな作業に集中しているのが楽しい経験であった。作業拠点は東北大学災害科学国際研究所のおかれている文科系総合研究棟の11階。その窓からは水平線がみえることがひとしきり話題となる。ボランティアのIさんがおっしゃるには、「仙台に津波ということはまったく考えていなかった。そもそも、仙台が海が近いという意識そのものがなかった」。そして、Oさんは、仙台城と同じ高さから仙台の街区をみながら仕事できるのは楽しみの一つとおっしゃるが、その位はいいことがなければという話になる。

 歴史学の社会的な職能のために動いてくれる市民との関係は、歴史学にとって何よりも大事だと思う。(遺跡保存などもふくめ)史料保存は、歴史学の社会的責務である前に歴史学にとっての職能的な利害そのものである。職能的な利害のために必要な時間をさくことは研究者としての責務である。すべての研究者は少なくとも給料を保証されている場合は、おのおのの条件の中で資料をレスキューするという職能的な義務の一端を担うべきである(若干でも金も時間も)。これを曖昧にするのは研究者としての地位を既得権化するものではないか。私は、本質論としては「原子力ムラ」なるものの問題はアカデミー全体に無縁ではないように思う。そういうことではアカデミーにおける歴史学の陣地をまもることもできないだろう。 絵:作業手順の説明を受ける(6月27日)
 そして日本の歴史文化の中では、歴史学の職能的な利害の擁護は、研究者としての給料分の義務的な仕事であり、社会的な責務であるとともに、つねに歴史学の学問的課題に直結してくる。歴史学研究の課題意識の設定においては、史料保存を中心とする歴史学の職能的役割を中軸にすえることが正統的なあり方として維持されねばならないことは明らかである。

 この点で、たいへんに気になるのが、江戸時代研究者の大多数が、阪神大震災後に組織され、現在にいたっている資料レスキューの動きを全体としてどう考え、どう位置づけているかが部外者にはみえてこないことである。

 歴史学と被災史料という問題を考える場合に、第一に必要なのは、災害、地震、津波などそれ自体についての研究の開拓であろう。これは歴史学の側では、長く、ほぼ北原糸子氏の一人の肩にかかっていたというのが実際である。私も三・一一を経て、八・九世紀研究には地震・噴火についての本格的な研究は今津勝紀・宮瀧交二氏などの二・三の論文を除けば、まったく存在しないことを知って、急いで研究にとり組んだという経過であって、大きなことはいえないが、それほどひどくはないとはいえ、江戸時代の災害史研究も遅れていることは否定できないだろう。何よりも、この研究課題の設定と議論が急がれなければならないと思う。

 第二には、被災史料の史料論であろう。今回の経験でも襖内文書は通常では保存されないような珍しい文書や書状をふくんでいるように感じた。襖内文書は、史料の悉皆調査によっても光が当てられることがなかったはずである。各地での経験を交流し、記録方式などを確定していくべき必要は高いように思う。とくに襖内文書は断片化している場合が多く、保存のためにも編纂が必要になる場合が多いことに注意しておきたい。大量・多様な被災史料の調査・記録・研究において、史料論の発展が図られるべきことは、それ以外にも多いのではないだろうか。被災史料の保存にかかわる文化財科学の方法論議や実践が必要となっていることもいうまでもないだろう。 絵:ふすま下張り文書の解体(6月28日)

 そして第三に強調しておきたいことは、大量の史料の被災が、歴史史料のデジタル化の必要を白日の下にさらしてしまったことである。江戸期史料はなにしろ大量であって、そのデジタル撮影、デジタル編纂ということになれば、大問題である。これまで歴史学における情報化、知識化が「古代・中世」を中心に進展してきたのは十分な理由があったと思う。しかし、デジタル化をどう考えるか、それを歴史学の方法論の問題としてどう受けとめるかは、それが史料保存という歴史学研究にとって本質的な問題から発している以上、回避することはできないものと思う。もちろん、これは江戸期の歴史研究者自身によって検討すべき事柄であることはいうまでもないが、しかし、『新修日本地震史料』に結実している地震学が主導した江戸期の地震史料の悉皆調査・翻刻のプロジェクトが、歴史学の側からの全面的な協力を必要としていることは明らかで、これは列島社会の安全に直結している。


 ニュース 167(2012年6月1日)

  被災地での活動続く−4月から5月の保全活動


 宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。事務局からのニュース発信は3か月ぶりとなります。新年度に入ってからの活動を簡単に報告いたします。

宮城県石巻市での津波被災史料レスキュー

 5月21日、宮城県石巻市のS家で津波被災史料のレスキューを行いました。事務局の佐藤とボランティアの郡山芳昭さんの2名で現地での対応をしました。

 北上川河口の海沿いにある同家の古文書は、石巻市史編さん事業で整理されています。昨年3月11日の津波では、二階建ての母屋の一階部分が浸水しました。一方、建物は倒壊や流出まではいたらず、古文書は建物の中に残されました。仮設住宅に避難された所蔵者の方は、昨年末に以前から親交のあった石巻古文書の会の庄司惠一さんに市内で偶然再会し、古文書の対応について相談されました。宮城資料ネットには今年1月に庄司さんからレスキュー依頼がありましたが、他の被災史料への対応もあり、ようやく今回レスキューが実現しました。
 (右絵;14か月ぶりに見つかった古文書)


 現地では、所蔵者の方が被災した家の中から探し集めた古文書約300点がすでに運び出せる状態で用意されていました。被災から14か月を経過し、一旦海水に濡れた史料は乾いた状態でした。整理封筒の表面には砂がこびりついていました。これらの史料は仙台市に搬出しました。さらに、江戸時代のものと伝わるひな人形も被災した状態で確認されました。これも搬出しています。

 所蔵者のお話では、今回のレスキューがきっかけで、震災以来はじめて元の住まいに戻ってきたとのことでした。同様の事情で、被災地に残されたままの歴史資料がまだあると考えられます。情報収集と対応を続けていく必要があります。
 (右絵:被災資料の搬出)

4月から5月の保全活動

 上記の件も含め、2ヶ月間で実施した保全活動について報告します。

1 仙台市内寺院での保全活動

 4月20日と5月1日の両日、仙台市内の寺院にて個人宅にて保全活動を実施しました。参加者は21日が6名、1日が8名でした。活動では所蔵の近代史料全点を撮影し、中性紙製の保管容器に収納しました。撮影コマ数は10,064コマにおよびました。

 (右絵:仙台市内での保全活動 5月1日)

2 宮城県大和町での保全活動
 5月2日、宮城県大和町内の寺院で保全活動を実施しました。江戸時代築の庫裏が被災し、その改修工事にともない、ふすまに江戸時代の古文書が再利用されていることが確認されたとのことで、保全の依頼がありました。事務局の佐藤が現地で対応し、歴史資料の所在状況を確認しました。ふすま25枚と、掛け軸類を仙台市の事務局に一時搬出しました。

3 宮城県川崎町での保全活動

 4月23日、川崎町文化財保護委員の川崎金治さんが事務局に来訪され、川崎町内での歴史資料所在状況について確認を行いました。あわせて、保管の近世古文書を撮影しました。撮影点数は177コマでした。
 5月6日には、この時の協議に基づき、早期の保全活動が要請された川崎町S家での保全活動を実施しました。参加者は5名で、川崎町文化財保護委員3名も参加しました。保管の現状を確認するとともに、中性紙封筒での整理と一部史料の撮影を行いました。多数の古文書史料が確認されたため、活動は継続して実施する予定です。

 (右絵:大和町での活動ふすまを取り外す 5月2日)

4 仙台市内被災資料の保全活動

 5月11日、仙台市内沿岸部で被災した個人宅の被災文書資料の保全活動に着手しました。この史料は4月末に仙台市史編さん室が被災地からレスキューしたもので、宮城資料ネットとの共同で応急処置と整理を進めてゆくことになりました。

5 宮城県村田町での保全活動

 5月14日、村田町Y家から保全のため借用していた江戸時代の古文書を返却するとともに、写真帳を所蔵者と村田町に提供しました。宮城資料ネットからの参加者は3名でした。
 同家は東日本大震災での史料が被災するとともに、かつての研究者(個人)が未返却となっていた古文書の返却先でもあります。同家については村田町歴史みらい館が昨年度からレスキュー対応をしておりましたが、その中で史料返却が実現することになりました。返却に際して、被災史料の保全も申し入れたものです。
 今回は、村田町歴史みらい館が保全した史料に加え、新たに未整理の古文書が確認されました。所蔵者の了承を得て、仙台の事務局にて整理を行うことになりました。
 (右絵:川崎町での活動 5月6日)

6 宮城県石巻市での被災史料レスキュー

 5月21日、宮城県石巻市で津波被災史料レスキューを実施しました。詳細は冒頭記事の通りです。

7 宮城県栗原市での保全活動

 5月25日、宮城県栗原市のY家で保全活動を実施しました。宮城資料ネットからは3名が参加し、タンスや木箱に収められた多数の古文書を保全しました。
 同家の活動は、宮城県美術刀剣保存協会が実施している、東日本大震災で被災した刀剣のレスキュー活動の中で、同協会会員で宮城資料ネットボランティアでもある後藤三夫さんに相談が寄せられたものです。同協会のレスキューは、宮城資料ネットの被災史料レスキューをモデルにしたとのことで、相互交流の成果として実現した活動です。

 (右絵:栗原市での活動 5月25日)

8 史料返却事業


 5月30日、かつての歴史研究者(故人)が未返却であった古文書資料の内、塩竈市関係の史料2件を、塩竈市役所内の市史編さん室に返却しました。現在判明している57家中、8家分の返却が終わったことになります。

 ニュース166号(2012年5月22日)

       仙台・石巻を訪ねて      野尻泰弘

 2011年の震災以来、人から宮城資料ネットのボランティアに参加した話を聞くたび、自分も早く行かねばならないと思っていた。思いながら一年が経ってしまった。申し訳ない気持ちと焦りを抱え、仙台へと向かった。

2012年5月7日(月)  午前10時半、東京から二時間で仙台に着く。七年ぶりの仙台の街は、一見すると以前と変わらない。だが、東北大学へ向かう20分ほどのバスの車窓から、工事用の足場とシートに囲まれ建物をいくつか見かけた。大学校内では、建物の外壁に損傷を示すテープが張られていた。いずれも地震の跡を語っているのだと思う。

 資料ネットの佐藤大介さんから冷凍保存される資料、デジタルデータの外国での保管などの概略を聞き、その多様な活動に感嘆した。廊下へ移り、地元のボランティアスタッフから説明を受け、昭和・平成の学校資料(出席簿など)のカビを刷毛で払い、消毒をする作業についた。特別な技術はいらないが、今までとは違う資料の取り扱いにためらいを感じる。午後5時、作業終了。
 (絵:被災資料のクリーニング作業(2012年5月7日、事務局撮影)

2012年5月8日(火) 午前九時から作業を始める。同じ姿勢であるため、二日目にして首と肩が張った。有志の地元ボランティアはシフトを組み、週に三〜四日作業をしているとのことで、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。途中の短い休憩時間、資料ネットのスタッフとボランティアの会話は、古文書講座の話、資料保存の話のほか、とりとめない笑い話も飛び出す。そこには信頼関係が見える。資料所蔵者に信用してもらうことが、資料調査の要とはよく言われることだが、資料救済活動も似ている。何事も人と信用が必要なのだ。資料ネットの活動は、人とつながる活動なのである。
 (石巻市の風景 2012年5月9日、筆者撮影)

 平川新さんから明日は石巻に行き、日和山から被災地を見ることを勧められた。流されずに残った蔵など、天野真志さんに石巻の様子を聞き、石巻の今を知りたくなった。午後5時、作業終了。資料ネットスタッフとボランティアの皆様に感謝しながら、キャンパスをあとにした。勧めを受け、明日は石巻に向かう。

2012年5月9日(水) 午前八時過ぎ、仙台駅前発の石巻行きバスに乗る。バスは一時間に二〜三本ほど走っている。片道800円、往復1500円で、約一時間半の旅だ。
 (石巻市本間家の土蔵 2012年5月9日、筆者撮影)

 石巻駅では漫画家石ノ森章太郎が描いたキャラクター像が人びとを出迎えていたが、駅舎の入口扉の下部には津波による浸水位置を示すシールがあった。駅から歩いて日和山を目指す。商店街では「営業再開」「ボランティアさん、ありがとう」の張紙を見たが、営業していない商店、修繕に追われる店舗も目立った。

 暖かい日差しをうけ、上着を脱ぎ、40分ほどで日和山公園に着く。閑散とする街とは対照的に、ピンク色の花が眩しい。普段は花を愛でる気持ちなど持ち合わせていない私だが、息を切らして坂を登り、ほっとしたのかもしれない。それにしても急な坂だった。運動不足の私にはこんな急な坂を駆け上がることはできない。津波を避けるため坂を上がった人たちのことを思うと、息苦しさが増した。

 公園から旧北上川河口、そして海岸線へと目をやった。病院や寺院などの大きな建物を除くと、そこには何もない。新たに造成し、売り出し始めた住宅地のように、道路だけが延びていた。しばらくぼんやり眺めていると、先ほどから何かの音が響いていることに気づいた。それは遠くに見えるショベルカーの音だった。作業を続けるショベルカーの音が、なぜこんなによく聞こえるのか。津波に流され、遮蔽物がないためか、生活の音が絶えたためか。あれこれ思うが、よくわからない。私は目の前の階段を下ることにした。山下は、新たな造成地などではなかった。野晒しになった家屋の土台と、そこに流れついた靴や座布団。確かにここには人が住んでいたのだ。薄汚れた漂流物を見下ろすように、妙に新しい電柱がいくつも並んでいた。 (石巻市本間家の土蔵(2012年5月9日、筆者撮影)

(参照:石巻本間家土蔵修繕の進捗状況 本間英一さん発行 地域紙・記事 ) 

 ニュース165号(2012年4月10日)

  仙台市博物館展示「東日本大震災1年 資料レスキュー展」報告


 仙台市博物館市史編さん室職員の栗原伸一郎です。宮城資料ネットのホームページでお知らせいだきましたように、仙台市博物館では、3月6日から25日まで1階ギャラリーで「東日本大震災1年 資料レスキュー展」を開催しました。これは、東日本大震災以来、仙台市内で行われている資料レスキュー活動の成果を市民に公開して、地域の歴史資料をめぐる現状や、歴史資料を地域の共有財産として継承・活用することの重要性を伝えるために開催したものです。以下では、主な内容についてご紹介します。

 展示は、現物展示、パネル展示、スライドショーに分けられます。

 現物展示では、仙台市内でレスキューされた個人所蔵資料や公文書を展示しました。具体的には、津波被害を受けた宮城野区の仙台藩士の旧家から救出された近世初期の知行目録や弓術関係の巻物(ネットニュース128号を参照)、家屋や蔵に被害を受けた若林区の旧家から救出された寛永21年の検地帳や漢学者岡千仭の書、家屋や蔵に被害を受けた若林区の旧家から救出された廻文を表装した屏風(破損部分からは裏張り文書が見える)、津波被害を受けた若林区の大日如来堂に保管されていた天保4年の祭礼旗、津波被害を受けた東六郷小学校に保存されていた昭和2年の学校沿革誌、になります。これらは、仙台市博物館や宮城資料ネットなどがそれぞれレスキューしたもの、あるいは連携しながらレスキューしたものです。
   

 また、今年の1月から3月まで仙台市博物館内で行われた国立公文書館の被災公文書等修復支援事業で使用した、水損資料を洗浄・乾燥するための資材や器材を展示しました。現物展示した学校沿革誌は、実際に洗浄作業を行ったものです。パネル展示の主な内容は、@現物展示したものを始めとした、レスキュー活動の過程で救出・調査した歴史資料の紹介、A仙台市博物館で行っている資料レスキュー活動の紹介(ネットニュース121号139号を参照)、B資料整理方法と水損資料処置方法の紹介、C仙台市内の史跡・歴史的建造物・歴史的景観の被災状況の紹介、C過去に発生した仙台平野の歴史地震と津波の紹介、D過去に地震などで被災した仙台城の石垣修復工事の紹介、になります。合計で25枚のパネルを展示し、これらは印刷してパンフレットとして観覧者に配布しました。

 この他、水損資料の洗浄作業の工程と、レスキュー活動の様子や仙台市内の被災状況について、モニターを設置してスライドショーを行いました。
 仙台市博物館では同じ会期で「国宝 紅白梅図屏風とMOA美術館の名品」が展示されていたこともあって、「資料レスキュー展」にも宮城県内外から幅広い世代の方々にお越しいただき、最終的には8138名の方々にご観覧いただきました。展示させていただいた資料の所蔵者の方からは「資料を活用してほしい」、「調査してもらわなかったら資料を廃棄するところだった。日の目を見ることができて有り難い」といったお言葉を頂戴しました。

 ご観覧いただいた方のなかには、宮城資料ネットの活動を詳しくご存知の方もいらっしゃいましたが、一方では「資料レスキュー」という言葉を初めて耳にされた方も数多くいらっしゃったようです。そうしたこともあって会期中には、展示をご観覧いただいた方やマスコミを通して展示のことをお聞きになった方から、所蔵する資料について何件も相談を受けました。

 今回の展示を通して、研究者や歴史愛好家の方々だけではなく、広く市民の方々に活動をアピールしていくことの重要性を再認識しました。現在は、パネルを仙台市博物館以外の公共施設で展示させていただいています。今後もパネルの巡回展示を含めて、更に資料保全活動の広報に努めていきたいと考えています。

 最後に、展示にご協力いただきました市民の方々と宮城資料ネット事務局の方々に対して、厚く御礼申し上げます。


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  公文書修復事業並びに『資料レスキュー展』に参加して
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                                   斎 綾子

 1月末〜3月初旬まで実施された国立公文書館の公文書修復事業に、その後仙台市博物館にて行われた『資料レスキュー展』に受付として参加させて頂きました。

 修復作業を経験して初めて知りましたが、津波被害を受けた資料は手に取ると海の臭いがします。海水は乾きにくいためか、厚手の資料は、乾燥させたものでも生乾きの様に湿り気があり、持つとずっしりと重く、紙同士が離れません。海の“ヘドロ”はただの砂とは違い、資料に固まります。

 作業中これらの資料と向き合うと、津波のすさまじい威力に心が痛むことが多々ありました。中には少しの洗浄で水が木の皮の様な土気色になる資料もあり、何度も丁寧に刷毛や筆、スパチュラと呼ばれるへらで紙にこびりついた土砂やヘドロを落とす作業を続けていきました。

 ただ、その中で、解体中の教科書にいたずら書きや卒業目録の人名を見たりすると、昔の知人に再会した様な温かい気持ちになりました。また、昔教科書を使用していた小学生が挟んだのか、押し花が出てきた事もあり、作業中、思わず皆で笑ってしまいました。と同時に、この教科書には人の思い出と時間がつまっている、と思うと私にはそれがその人の歴史の一部である様に映りました。

 『資料レスキュー展』会期中は、平日でも300名、休日になると500名以上の方が足を運んで下さり、実際に処置に用いられた道具や修復風景のパネルを皆さん真剣に見入っていました。

 歴史資料とはどういうものか、和紙の洗浄方法、資料の修復前の姿について、など熱心に質問される方が多く、中には、今回の震災により自宅が被災し、宮城資料ネットによって行われたレスキュー活動で古文書が助けられた、と話す方もいました。生活するだけで精一杯、古文書までどうすればよいか、頭の片隅にはあっても実際自分では動きようがなく、そんな途方に暮れていた時に処置してもらえ、ありがたかった、との事でした。洗浄前・後の資料を比較した展示では、よれやヘドロが取れた資料に「きれいになるものですね」と話して下さる方も多く、様々な年代の方から労いの言葉や「修復作業に参加したい」との声を頂きました。
 
 今回、『資料レスキュー展』に関係し、観覧者の方の言葉はとても印象に残りました。実際に自宅の資料がレスキューされた方の話、展示を見て興味を示して下さった方々とのやり取り。そして、若い世代の方が一生懸命質問して下さる姿も印象的でした。

 資料の修復・展示に関わる一連の仕事で、色々な方とお会いし、改めてこの活動の意味を教えられました。資料レスキューの重要性、またそれを知って頂く為の展示。そして、この活動が博物館や宮城資料ネットを始め、様々な専門家やボランティアにより支えられている事を知りました。作業自体は根気のいるものですが、後世に資料をつなぐ、という意味も込め、今後も何らかの形で資料保全活動に携われればと思います。


・ニュース164号(2012年3月30日)

    被災地での歴史資料レスキュー続く

今回は3月後半に各地で実施した被災歴史資料の所在調査とレスキューの報告です。


石巻市立相川小学校でのレスキュー

 ■石巻市立相川小学校でのレスキュー
 3月23日、石巻市立相川小学校(石巻市北上町)で、同校の学校文書のレスキューを実施しました。

 同校の書類は、石巻市教育委員会の依頼により、昨年8月末に石巻市の他校の書類と合わせて応急処置を実施しました。相川小学校分は31冊の応急処置を行いました。その後、3月10日に、被災した校舎にまだ多くの書類が残されているという情報が事務局に寄せられました。そこで同校関係者の許可を得て対応したものです。

 宮城資料ネット事務局天野真志と会員1名、宮城学院女子大学1名の3名で、段ボール37箱分の文書を仙台市の事務局に搬出しました。早速翌日からクリーニング作業に取りかかっています。

石巻市雄勝町・T家文書レスキュー

 23日午前9時、相川小学校文書のレスキュー隊が仙台から出発した直後、石巻市教育委員会の佐々木淳さんから石巻市雄勝町T家文書のレスキュー依頼がありました。佐々木さんが現地で300点ほどの近世文書を保全したとのことで、すぐに仙台から相川小学校で活動中の事務局スタッフに電話連絡を取り、この文書も仙台へ搬出することにしました。相川小学校での活動を終えた後、石巻文化センターでつづらや箱などに入った文書を引き取り、仙台に搬出しました。

 震災後一年以上が過ぎているため、文書に中には劣化が進んでいるものもあります。そこで、ひとまず事務局の冷凍庫に保管して経過を観察しています。
 (絵:冷凍保管されたT家文書)

栗原市での被災資料調査

 3月26日には、栗原市Y家での被災歴史資料調査を、事務局ボランティアの後藤三夫さんが実施しました。同家での活動は、後藤さんが会員である宮城県美術刀剣保存協会が実施している「被災刀剣類レスキュー事業」が1月末に栗原市で相談会を行った際、所蔵者から相談があったことがきっかけです。今回は同家所蔵の歴史資料について概要を確認しました。これまで未確認の古文書が多く、4月以降本格的な保全活動を実施する予定です。

 種類の異なる歴史資料・文化財の被災対応を行う組織同士で情報が共有された結果、新たな歴史資料の所在確認につながりました。


女川町での被災古文書レスキュー

 3月28日には、女川町教育委員会生涯学習課からの依頼で、同町役場倉庫から発見された近世文書の被災対応活動を実施しました。佐藤と天野が、女川町総合体育館に仮移転中の担当課を訪問し、紙袋一つ分の文書の状態を確認しました。固着は進んでいましたがカビの発生はごく初期のもので、これらについても仙台市に搬出して応急処置を進めることにしました。

 震災発生から一年を経過して、未だに津波被災地で新たな被災史料が確認されるのは、貴重な歴史資料が消滅を免れたという喜びとともに、正直驚きも感じています。状況がある程度は落ち着きつつある中で、改めて史料の存在に意識が向きつつあるということかもしれません。一方、内陸部では公費での家屋解体が比較的遅れており、今後の進み具合によっては、解体建物からの搬出など緊急対応も増えそうです。

 新年度も、引き続き活動への支援をよろしくお願いいたします。(佐藤大介・記)


 163号(2012年3月28日)

石巻文化センター図書資料のレスキュー
(第2次


 3月17・18日の両日、宮城県石巻市の石巻文化センターにて、同館所蔵の図書資料のレスキューを実施しました。参加者は宮城資料ネット募集のボランティアが19名、国文学研究資料館の渡辺浩一さん、中央大学の山崎圭さんを中心とする一橋大学と中央大学の学生有志チーム8名でした。

 昨年12月18・19日の活動に続き、津波で被災した郷土関係の図書や、発掘報告書など1000冊ほどの中から、当面応急処置が可能なものを選び簡易クリーニングを行いました。同時に、学生有志チームが救出した図書を目録化していきました。

 12月の段階である程度状態のよいものが選ばれており、今回は状態の悪いものが多くなりました。応急処置が困難だと判断したものは廃棄処分となります。その中には、宮城資料ネットの関係者が執筆や編さんに関わった書籍もあり、複雑な心境でした。

 多くの参加者を得て、今回の活動で被災図書全ての選別を終えました。一方、今回対象とした図書だけでも、その半数が廃棄となりました。

 保管場所の問題もあり、石巻市では今すぐ代わりの図書を受け入れられる状況にないそうです。一方、将来の石巻文化センター復興に際しては、図書資料を復元することも大きな課題となります。関係各位の継続的な支援をお願いする次第です。
(佐藤大介・記)


  

  ニュース162号(2012年3月8日)

        宮城県知事より感謝状 
        司馬江漢の未確認作品を確認


宮城資料ネット事務局佐藤大介です。東日本大震災の発生からまもなく一年がたちます。この間の歴史資料レスキューに対するご支援に、改めて御礼申し上げます。

宮城県知事より感謝状を授与
 本年2月付で、本法人に対し村井嘉浩宮城県知事より、東日本大震災での被災地支援活動への感謝状が授与されました。

この間の活動にご支援とご協力をいただいている皆様のご尽力のたまものであると存じます。あらためて御礼申し上げます。

司馬江漢の未確認作品を確認・仙台市博物館へ寄贈
 1月29日に実施した石巻市での歴史資料レスキューで保全した史料の中に、江戸時代の画家・司馬江漢(1747―1818)の、これまで未確認だった油絵2点が含まれていることが確認されました。相州江ノ島(神奈川県藤沢市)から富士山を遠望した図(写真左)、および金沢能見台(横浜市)からの遠望(同右)です。絵画は所有者の勝又紳一郎さんより仙台市博物館に寄贈されました。この秋に開催される仙台市博物館の特別展で公開を予定しているとのことです。

それまで未調査であった地元の歴史資料の保全を行うと、時として今回のような「文化財」級の史料に巡り会うことがあります。震災前に私たちが保全活動を行った白石市の仙台藩重臣遠藤家文書に、未発見の中世文書が含まれていたことも一つの例です。二つの事例に共通しているのは、はじめから「文化財」があることを前提とした活動ではなかったことです。2003年7月以降、今回の震災も含め約500件の悉皆的な保全活動を積み重ねてきたことが、今回の「発見」に結びついたと考えています。また、二つの事例では所蔵者に加え史料について心に留めている地域の方々の存在も見逃すことができません。

個人的には、地元と協力しながら、種類を問わず地域での歴史資料の所在を悉皆的に確認し、保全・レスキューする活動を続けることの重要性を改めて学ぶ機会となりました。

             


参考
・宮城資料ネット
ニュース152号「石巻での旧家レスキューの報告」

河北新報2012年3月3日「土蔵から司馬江漢の油彩 津波被災で解体寸前の民家で 石巻

ネット・ニュース161号(2012年3月6日)

           被災史料保全作業に参加して

        一橋大学大学院社会学研究科  特任講師 佐藤美弥

 2012年2月22日(水)から24日(金)までの3日間、一橋大学大学院社会学研究科から被災史料の保全作業に参加しました。国文学研究資料館の渡辺浩一さんからのご紹介で、社会学研究科の渡辺尚志ゼミ、若尾政希ゼミの大学院生を中心に、古代史から近現代史まで様々な専門を持つ有志がメンバーでした。私個人としては、3月の大震災後、歴史学を研究する者として、何ができるのだろうかと考え、微力ながら行動しながらも、今回の様な作業に参加する機会を得ることがなく、ぜひにと参加させていただきました。

 22日(水)13時、東北大学総合研究棟11階に集合、平川新さんより、宮城資料ネットの活動と保全作業の概要について説明をいただいたあと、作業に移りました。作業内容は、津波被害による水損資料の清掃と選別です。作業の方法は天野真志さんや、長く作業をされている地元の方々にご教示いただきました。
 私たちが担当した史料群は、石巻市住吉町に所在する個人宅のもので、明治期の和紙に墨書された書類から、戦時期の刊本まで、近現代の多様な史料を含むものでした。津波で水をかぶり、泥が付着しているものがあり、被災後10ヶ月ほど放置されていたため、カビが生えているものがあります。また、史料どうしが癒着し、剥離することが困難なものがありました。泥やカビの汚れをヘラ、刷毛の道具を使用して除去し、エタノールの希釈液によってカビの繁殖を抑え、修復が可能な史料と、困難なものを選り分けるというのが一連の作業です。作業を続けると、やはりそれぞれの史料の面白さ、貴重さを感じることとなり、いっそう作業の重要性を認識することとなりました。

    

 2日目、3日目も各自、作業を実施しました。2日目の作業終了後には平川新さんから、宮城資料ネット設立の経緯、活動の経過、そして東日本大震災後の史料救済活動について、また、救済史料を使用した新たな研究成果についてのプレゼンテーションを聴講する機会を得ました。

 作業への参加によって、ほんのわずかの時間ながらなにがしかの貢献ができたという充実感とともに、平川さんはじめ宮城資料ネットの方々のお話を伺い、その熱心さに打たれ、大災害時の対応と同時に、私たちが日常的に接する、史料への向き合い方、保全への意識を新たにする必要を痛感いたしました。参加者それぞれが貴重な糧を得たことと思います。今回はまことにありがとうございました。


 ニュース160号(2012年3月5日)

          水損資料の保全作業に参加して

                      
             一橋大学  渡辺尚志

 2月24日に、若尾政希さんや私のゼミ生を中心とする一橋大学のメンバーとともに、宮城資料ネットの行なう被災資料保全作業に参加しました。

 私は、その直前の2月22〜23日に、東北学院大学の斎藤善之さんの案内で、岩手県大船渡市から宮城県石巻市にかけての被災地域をまわりました。伺ったなかには、津波によって、大量の文書を蔵もろとも流されてしまったお宅もありました。それでも、斎藤さんたちの調査グループがすべての文書をデジタル撮影していたおかげで、かけがえのない文書のデータだけは残りました。所蔵者の方や地元自治体の方が、そのことをたいへん喜んでおられるのを見て、日頃からの資料の所在調査・整理・写真撮影の重要さを再確認しました。こうした地道な作業の積み重ねが、資料を未来へと伝えることになるのだと実感しました。

 24日の保全作業は、東北大学川内キャンパス文化系総合研究棟11階の見晴らしのよいロビーで行ないました。作業内容は、水損資料のクリーニングです。ダンボールの台の上で、竹べらや刷毛を使って資料についた泥を落とし、カビが発生している箇所にはエタノールを噴霧します。紙同士がくっついて剥がれなくなっている場合は、霧吹きで水をかけてから、竹べらで慎重に剥がします。それでも剥がれない場合は、無理をせず、後日の処置に委ねます。これらは保全作業の第1段階に当たり、そのあとに水洗いや乾燥等のさらなる作業が控えているということでした。

 午前中は比較的水損の程度が軽い資料を扱ったため、カビと、それ以外の原因による変色との判別に迷う程度で、比較的スムーズに作業を進めることができました。ところが、午後担当したのは、大量の一枚物の紙が重ねて筒状に丸められ、それが海水と泥の付着によって剥がれなくなってしまった資料でした。それを竹べらと霧吹きを使って剥がしたのですが、薄い和紙が相互にピッタリくっついてなかなか剥がれず、作業にたいへんな時間と注意力を要しました。また、剥がす過程では、一部紙を破ってしまった箇所もあり、資料を破損することなく修復保全することの難しさと、それに要する時間と労力の多大さを実感しました。

 それでも、天野真志さんたち宮城資料ネットの事務局の皆さんやボランティアの方々に丁寧に教えていただいたこともあって、何とか作業を終えました。スタッフの皆様の懇切なご配慮に、あらためて厚くお礼申し上げます。

 また、平川新さんからは、資料ネットの活動と、資料の分析から見えてくる過去の災害の実態についてのお話を伺いました。災害と復興という視点から資料を読み直すことで、これまで気づかなかった多くの新発見があるということを教えられました。私自身も、そうした視点で村方文書を見直すことを通じて、近世人の災害との向き合い方について、あらためて考えなければならないと痛感しました。

 本当に、多くのことを学び、目に焼き付け、考えさせられた3日間でした。この経験をさらに反芻し、今後微力ながらもできることをやっていきたいと思います。 


 159号(2011年2月1日)

        石巻の旧家での史料レスキューの報告

                                    宮城資料ネット 斎藤善之

 1月29日(日)、石巻市内の北上川に沿った津波浸水地区で、K家の史料レスキューを行いました。K家は江戸時代前期に登米から石巻に移住し、その後、近世を通して当地で町医者をされていたとされ、近代になってからも医院を開業されるかたわら議員を務めるなど地元では旧家として知られる家です。その建物も大きな母屋のほか2棟の脇屋、土蔵と納屋からなり、その規模の大きさと趣のある佇まいから、震災前において石巻千石船の会など地元郷土史家たちも少なからず関心を寄せていた家でした。
            
 3月11日の津波でこの屋敷は、1mから2mに及ぶ浸水に見舞われ、建物の一階床上ははすべて一面の泥に覆われ家具や建具も散乱してしまいました。昨年12月、当家のご子孫の方から私にご連絡があり、この建物はこの3月までに全て取り壊す予定であること、ついては関心があるならば内部のレスキューを実施して欲しいとのお話しをいただき、まずご子孫の方にお会いして内部を見せていただきました。母屋には相当数の襖があり、内部に江戸期から明治頃と思われる下張り文書がみられたこと、そのほかに納屋や土蔵にも古文書がみられたことから史料保全の必要性を確認し、宮城史料ネットと石巻千石船の会の連携のもと今回のレスキューを企画しました。

 当日は8名のメンバー有志の参加をえて、午前10時頃から現地で作業を開始し、母屋、納屋、土蔵の探索調査を行い、その結果午後4時前までに段ボールで30箱余、襖など20枚余の保全を完了しました。その多くが水損史料であり、被災から10ヶ月という歳月が経って、固着のうえにカビがひどく、このうちどれだけの史料の復元ができるかははなはだ厳しい状況ですが、史料ネットでまずは今後の処置について検討すべく東北大学の事務局に搬入しました。

 当日は数日前の雪が一面に残るなか、この冬一番の寒さという、レスキュー作業としては過酷な環境のなかでの実施となりましたが、これまで経験を積んできた事務局の周到な準備とメンバーの手際の良い作業によって、相当量の史料保全を予定した時間内に完了することができました。ご協力いただいた関係各位には心から感謝申し上げます。
          
              

158号(2012年1月25日)

仙台市内の被災土蔵で歴史資料レスキューを実施

宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。

 震災に明け暮れた平成23年(2011)から、平成24年(2012)へと年が改まり、被災地は復興へ向けての第一歩を歩もうとしています。一方で、今度は内陸部の被災建造物の解体が急速に進行しつつあり、これにともなって我々もまた日々慌ただしく各地に赴いています。

 1月中旬、仙台市内の旧家で土蔵が解体されるとの情報が事務局に寄せられました。これをうけて事務局では、土蔵の調査に伺いました。土蔵は震災の影響によって瓦が落ち、屋根には穴が空いている状態でした。別棟の被災家屋は既に解体工事が始まっていましたが、土蔵の解体に着手するのを待っていただき、1月18日に緊急の調査とレスキューを実施しました。

 同家は仙台市内にある神社の門前で、江戸時代から米穀店を経営しており、つい10年ほど前まで営業を続けていたそうです。土蔵の中からは、明治・大正期を中心とした米取引に関する帳簿類のほか、古文書を下張りとする襖などがみつかりました。取引先ごとに作成された大量の通帳(かよい・ちょう)からは、米穀店時代における活発な取引の様子がうかがえます。

 文書以外にも、屋号入りの暖簾や前掛けといった米穀店で使用された物品、また土蔵の片隅からは古いブリキのおもちゃがみつかりました。また土蔵の壁には、仙台市内の商店の名前が記された、古い団扇が多数掛けられておりました。その中には、近年営業をやめてしまったこの地域の商店の名前もみられます。神社の門前町として栄えた同地域も、ここ数年ですっかり様変わりしてしまいましたが、こうした物品から、かつて活発に活動していた商人たちの姿が偲ばれます。

それぞれの被災地で復興のデザインが定まりつつある今、復興計画に則して被災建造物の解体が進行するのは、やむを得ないことかもしれません。我々も被災地の一日も早い復興を願うと同時に、一方ではひとつでも多くの歴史資料を保全するため、今少し時間的猶予を与えてほしいと願う今日この頃です。



第157号(2012年1月10日)

事務局ボランティア作業に参加して 中央大学大学院 北村厚介(山崎圭ゼミ)

 雪の夜空が印象的な去る12月20日・21日の2日間、中央大学大学院山崎圭ゼミ(先生以下計5名)で宮城資料ネット事務局における被災資料保全作業に参加させていただきました。 事務局の天野さんやボランティアの方々から作業を1つ1つ丁寧に教えていただき、皆さんの明るく活気のある雰囲気や様々な配慮をしていただいたおかげで、初めて参加した私たちでも戸惑うことなく和やかに作業をすることができました。

 参加させていただいたのは水損史料のドライクリーニング、除塩作業(「東文救システム」)、殺菌・防黴作業です。 史料を傷つけてはいけない、ということは学部の頃から叩き込まれた「常識」ですが、泥や汚れを刷毛や竹箆などでこそぎ落としたり、水につけて洗浄したり、エタノールを吹きかけたりと、参加したどの作業も少しでも集中を切らせば史料を傷つけてしまうもので、朝から晩までの作業はあっという間に過ぎてしまいますが、終わった後に押し寄せる精神的な疲労は中腰からくる身体的な疲労とは比べ物にならないほど重いものでした。特に史料を水にひたして行う洗浄作業は、史料と液体とを一緒の場に置くことすらありえないという「常識」を持つ私たちにとって躊躇してしまうほどの緊張感があり、中でも濡らした近代の薄い罫紙という何をしても破れそうな史料をそっと、決して傷つけないよう慎重かつ適度な思い切りをもって扱うことは涙目になるほど緊張しました。膨大な被災資料に対して保全作業を行われてきた事務局・ボランティアの方々の労力に敬服するとともに、東日本大震災が「常識」の通用しない非常事態であることを、被災資料の保全作業を通じてほんの一端とはいえ痛感させられました。

 ボランティアの方々と触れあえたことも貴重な経験となりました。私たちを含めて両日とも10名以上の大所帯で、地元の方から私たちのように県外から参加した方、学部生から年配の方まで様々な方々と一緒に作業し、被災時のことやボランティアのきっかけなどさまざまなお話しをさせていただきました。お会いした方のほとんどが複数回参加されている方々で、地元からも遠方からも被災資料保全に継続的に関わっていきたいという姿勢が印象的でした。恥ずかしながら被災資料ボランティアに関わることは初めてでしたが、ボランティアの方々の思いや姿勢に触れ、頻繁に参加することは難しくても、継続的に何らかの形で関わり続けていきたいという思いを強くしました。

 2日間という短い期間ではありましたが、ボランティアの方々と被災資料を救助・保全したいという気持ちを共有しながら、真剣に、和やかに作業し、初日には平川先生の貴重なお話しを拝聴させていただき、とても有意義な経験をさせていただきました。温かく迎えていただいた事務局の方々のご厚意に対して私たちの作業が少しでもお役に立てたことを願うばかりです。ありがとうございました。

付記

 2012年最初のニュースは、昨年末にボランティア参加していただいた、中央大学山崎圭ゼミ北村厚介さんにご寄稿をお願いいたしました。東京からゼミ単位でご参加いただきましたことに改めて御礼申し上げます。(事務局・佐藤大介)


ニュース156号(2011年12月22日)

東日本大震災 被災歴史資料レスキューボランティアご協力への御礼
2012年1月からの活動について

■2011年歴史資料レスキュー

宮城資料ネット事務局佐藤大介です。宮城資料ネットによる東日本大震災の被災資料レスキューは、今日12月22日時点で現地調査77回、現場でのレスキュー41回となりました。レスキューした資料点数は概算で約2万点です。

仙台市にある事務局でのボランティアも、5月以降月曜日から金曜日の平日5日間実施してきました。参加者は延べ600名を超えております。多くの方々のご支援に改めて心より御礼申し上げます。


2012年1月ボランティアについて

事務局ボランティア

多くの方々のご協力をもちまして、仙台市の事務局で保管している分の被災資料については、応急処置が一定度のめどが立ちつつあります。

そこで2012年1月の事務局ボランティア募集は、一時中断させていただきます。あしからずご了承ください。なお、すでに個別に申込をされている方につきましては、この限りではございません。

なお、真空凍結乾燥処置などのため他地域に移送している被災資料が相当数あります。これらの応急処理についてボランティアが必要となった場合には、改めて募集いたします。その際はご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

被災地でのレスキュー

2012年1月以降も、被災した土蔵などからの搬出など、現地での活動がある場合には、ニュース配信者の方々にメールにてご案内いたします。

現状ですが、事務局が見聞した範囲では、沿岸部の被災地では被災建物の解体が一定度進行する一方、内陸部については業者による解体(および修復)が、人員不足で手が回っていない状況にあるようです。現時点で、事務局には内陸部の所蔵者から、被災にともなう確認調査の依頼が寄せられています。

このような状況から、事務局では2012年1月以降も、特に内陸部被災地での建物解体などに伴う歴史資料レスキューが増えるという前提で対応を続けております。

東日本大震災での被災資料レスキューはまだその途上にあります。2012年も引き続き多くの方のご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます。


ニュース155号(2011年12月20日)

石巻文化センター図書資料のレスキュー

事務局佐藤大介です。12月17日、18日の二日間、石巻文化センターにおいて同館所蔵の被災図書資料レスキューを行いました。

1986年11月にオープンした石巻文化センターは、石巻市の歴史博物館、美術館、公共ホールの機能が複合した施設です。北上川河口に位置する同センターは、3月11日の津波で一階部分が浸水し、職員の方にも犠牲者が出ました。地元の郷土史家が収集した考古遺物や民具、古文書などを含む「毛利コレクション」をはじめ多くの収蔵品が被災しました。これらは、5月以降に文化財等救援委員会による文化財レスキューにより順次搬出され、現在は搬出先各地での応急処置が続けられています。宮城資料ネットも5月15日にこの活動に参加しています(ネットニュース127号参照)。

一方、センターには全国の自治体から寄贈された自治体史や発掘調査の報告書、さらに郷土史や美術の図書類が1万5000冊ほど収蔵されていました。それらは、被災から9ヶ月を経てもなおそのまま残されている状況でした。石巻文化センターのみでの対応では限界があるため、同センターから要請を受けた宮城資料ネットで今回のレスキューを実施しました。地元に加え東京、横浜、京都、神戸などから2日間で22名が参加しました。

作業場所はセンターのロビーと2回への階段部分です。ここは、5月15日のレスキューで宮城資料ネットからの参加者が、泥と中に入り込んだ乗用車の撤去を行った場所です。作業では海水で被災した図書類の内、比較的状態のよい自治体史や史料集などハードカバーの図書を選び出し、簡易クリーニングを行いました。すでに陰干しがされていた図書類は大部分が乾いていました。しかし、近くの製紙工場から流れ出たパルプや砂、さらにカビがまだこびりついたままです。これらを一冊ずつブラシやたわしで汚れを落としていきました。クリーニングを終えた史料は、長い階段を登り、2階にある一時保管場所まで手で運んでいきました。

電気系統は止まったままで、作業は冬至目前となった日中の限られた時間で行わなければなりません。もちろん自家発電による暖房は用意されていましたが、16日から17日朝にかけての降雪や、午後に入ると日が陰って室内が暗くなっていくこともあり、より冷え込みを感じました。その中、参加者の懸命の作業により、今回は1500冊ほどの図書をレスキューしました。中には郷土史関係を中心に、現在では入手困難な図書も含まれています。作業に参加された方にはあらためて御礼申し上げます。

博物館や美術館が被災した場合、収蔵されている歴史資料や美術品は「文化財」、収蔵目録や館の運営に関わる文書は「公文書」として、それぞれのネットワークで救済対象として手がさしのべられると考えられます。実際、今回の震災でもそのような形で対応が進んでいます。一方、博物館や美術館には、利用者や職員の参考資料として、数多くの図書が所蔵されていることが一般的です。これらが被災した場合は、誰が、どのようにレスキューしていけばよいのでしょうか。レスキューできなかった図書の復旧についても気がかりなところです。行政の予算は限られています。しかし、もし予算が確保されていたとしても、自治体史や報告書など、現在では入手の難しくなっている書籍を再び入手できる保証はありません。

今回被災した他館の事例も学ばなければなりませんが、個人的には今回の活動で、「博物館・美術館にある参考図書」という存在と、それを救うためのしくみやネットワークが必要ではないか、ということを考える契機となりました。


 ニュース154号(2011年12月16日)

12月12日 白石市で歴史シンポジウムを開催



宮城資料ネット事務局佐藤大介です。今回は12月10日に宮城県白石市文化体育活動センターホワイトキューブで開催された歴史シンポジウム「南奥羽の戦国世界−新発見!遠藤家文書に見る戦国大名の外交」のレポートです。


■歴史シンポジウム「南奥羽の戦国世界−新発見!遠藤家文書に見る戦国大名の外交

伊達政宗の父輝宗(1544−85)の重臣であった遠藤基信(1532−85)を祖とする遠藤家は、仙台藩の成立後も代々の当主が奉行(家老)職を勤めるなどした重臣です。また基信は伊達政宗の重臣として名高い片倉小十郎景綱(1557−1615)の仕官のきっかけを作った人物でもあります。

遠藤家の古文書は、白石市に住む同家の末裔の方が保管していました。また縁戚関係にあった、伊達家重臣の中島家文書も合わせて伝えられていました。これまで未発見だった戦国期の古文書が多数残されていました。宮城資料ネットでは両家の古文書資料を保全する活動を、白石市教育委員会と地元の郷土史サークルである白石古文書の会と協同で実施しています。詳細はネットニュース 号および 号を参照ください。2009年に行われた2回の保全活動で、全点の撮影と中性紙封筒への収納を終えています。現在は白石市の行政と古文書の会が主体となって、約6000点におよぶ文書の目録化が続けられています。これらの文書は、2011年3月11日に白石市の文化財に指定されました。

その11日に起こった東日本大震災に際して、白石市教育委員会では被災歴史資料レスキュー活動を実施しています。その中で、以前に遠藤家文書が一時保管されていた市内の土蔵から、新たに遠藤家文書100点ほどが確認されました。ここにも戦国期の古文書などが含まれており、教育委員会により保全されています。

今回のシンポジウムは、一連の活動の最初の成果として、行政と市内の文化財保護に関係団体と宮城資料ネットとの共催で行われました。2回目の保全活動が終わった直後からもち上がっていましたが、今回の震災もあり開催が一時危ぶまれました。しかし、白石市の博物館建設準備室をはじめとする関係者の尽力で、予定通りの開催となりました。

シンポジウムでは気鋭の戦国期研究者4名の報告と、会場からの質疑も交えたパネルディスカッションが行われました。一連の報告を通じて、南奥羽の戦国大名たちがいかにして家を保とうとしていたか、伊達輝宗と政宗の外交戦略の違い、さらには大名間の合従・連衡から生まれる地域としての一体感などが明らかになりました。

当日の来場者はほぼ満席の384名でした。会場には白石市民や市内外の歴史ファンに加え、江戸時代の遠藤家が所領を持っていた栗原市一迫川口地区からも多くの方が来場しました。なお同地区では2010年夏の宮城資料ネットの活動で、家臣の子孫の家に伝えられた多数の古文書が保全されています。

なおシンポジウムの関連企画として、白石城歴史探訪ミュージアムでは今回発見された遠藤家の戦国期文書10点の展示を12月18日まで、仙台市博物館では同館や財団法人斎藤報恩会所蔵の関連文書の展示が1月15日まで行われています。シンポジウム翌日の11日には仙台市博物館で展示解説が行われ、前日の参加者も含む来場者約50人が熱心に聞き入っていました。


■報告書『伊達家重臣 遠藤家文書・中島家文書 戦国編

遠藤家と中島家文書保全の成果として、白石市教育委員会編による報告書『伊達家重臣 遠藤家文書・中島家文書 戦国編』(白石市歴史文化を活用した地域活性化実行委員会発行)が刊行されました。遠藤家文書と中島家文書の戦国時代の古文書の写真と解読文、文書発見の経緯と内容を分析した論考4編が掲載されています。2000円で一般にも販売されます。詳細については博物館建設準備室(0224-22-1343)までおたずねください。



保全された古文書が、今回の企画で中心となった同市博物館建設準備室など行政の尽力と、地元住民の歴史への愛着により、目に見える形で結実しました。古文書の発見と保全が、地元のあらたなイベントを生みだし、そこに地域内外から集う人々の交流へとつながっていったことは、保全活動や、そこでの専門家の役割について改めて考えるきっかけとなりました。

宮城資料ネットでは今後も白石市での活動を続けていきます。また今回の経験を、たとえば今回の震災で被災した歴史資料の将来的な地元での活用などにおいても生かしていければと考えています。


 153号 20111020日)

物品資料の保全活動 ―レコード・着物のレスキュー活動について

 宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。

 宮城資料ネットでは主に古文書を中心として保全活動を実施していますが、レスキューの現場で接するのは古文書に限りません。特に東日本大震災の発生以降は、昔の生活用品や衣類などの物品資料に出会うことが多々あります。これらの物品資料については、専門家や専門機関と連携し、これらの資料が後世に残るように対応しています。今回は、こうした古文書以外の歴史資料のレスキュー活動について紹介します。


SPレコードのレスキュー活動
 6月上旬、東日本大震災で被災した大船渡市の所蔵者からレスキューの依頼があり、一関市博物館と芦東山記念館に勤める宮城資料ネット会員の方々がレスキューに赴きました。レスキュー活動では楽焼きの陶器や下張り文書のある屏風、さらに戦前のSPレコードが大量に発見されました。しかし、所蔵者宅は津波によって破壊され、これらのレコードを保管・維持していくことは極めて困難でした。現場から電話で連絡をうけた事務局では、津波で被害をうけた古文書や屏風の措置を実施するとともに、これらの被災レコード群を引き取っている機関を探しました。(右絵:写真提供・芦東山記念館

 東京都千代田区にある昭和館では、昭和10〜30年代、主に戦中・戦後の生活に関する資料を展示しており、生活用品などの実物資料のほか、図書・雑誌資料、映像・音響資料を収蔵しています。事務局から昭和館の図書情報課に連絡し、被災レコード群について引き取りを打診したところ、即座に了解をいただきました。
 今回レスキューされた被災レコードは全部で207枚あり、被災地から直接昭和館に送られました。昭和館ではこれらのレコードを水洗いして津波の汚れを落とすなどの洗浄処置をおこないました。結果、これらの被災資料は破損していた1枚を除き、全て再生が可能だったとのことです。現在、昭和館ではこれらのレコードを被災レコードとして保管し、音源をデジタル録音して公開する作業をおこなっているとのことです。(右絵:写真提供・昭和館)


着物のレスキュー活動

 7月上旬に資料レスキューを実施した亘理町の旧家では、古文書・文書類の他に、土蔵の2階に多数の着物が残されておりました。同家では自宅や土蔵の1階が完全に浸水する被害をうけており、取り壊さざるを得ない状態となっていました。所蔵者から、これらの着物類についても、引取先がないようであれば土蔵とともに処分することもやむをえない、とのお話を聞きました。

 資料レスキューの傍ら、これらの着物を何とかできないか、と話し合っていたところ、レスキューに参加された着物に詳しいボランティアの方から、古い着物を引き取ってリサイクルしている団体の心あたりを教えていただきました。その中で我々がコンタクトをとったのが、日本の伝統的な着物文化を再評価し、着物を着易い環境づくりを目指して京都を中心に活動している「NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会」でした。同法人では東日本大震災の発生以降、被災者にゆかたを支援するなどの活動に取り組んでいます。

 同法人の理事長に亘理町の着物の引き取りについてお願いをしたところ、早速のご快諾をいただきました。8月9日、同法人の岩手事務局の方々と宮城資料ネットの合同で、これらの着物のレスキュー活動を実施しました。
 今回レスキューした着物類は、それぞれの特徴から大正時代から昭和前期のものと考えられました。女性用の着物は染・織の訪問着や普段着、男性用の着物は正装である黒紋付の羽織や仙台平の男袴がありました。仙台平は、江戸時代中期に仙台藩主が京都の職人を招いて織物を織らせたことが起源となり、その後、幕府や皇室への贈答品として珍重され、武士達に愛好されていたものだそうです。

 特に目を引いたのはこども用の着物です。男の子の着物は力強く育つようにと願いを込められた鯉柄に、こどもを災厄から守る意味をもつ紐飾りの刺繍がほどこされていました。また、女の子の着物には、当時の世相を反映して「ヰモンブクロ(慰問袋)」をもつ女の子が柄として描かれているものもみられました。右絵2点:写真提供:「NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会」岩手事務局

 これらの着物は、仙台箪笥などの中に丁寧に折りたたまれており、日焼けや虫損、カビなどの被害もほぼみられず、状態が極めて良好でした。所蔵者からお話を聞くと、先代の奥様が定期的に防虫剤を入れるなど、こまめに管理をされていたそうです。また、着物とともに大量の端布もみつかりました。着物や帯を仕立てる際にでる端布を、着物の補修や繕い物に使用するために保管していたのでしょう。こうしたきめ細やかに手入れされた着物たちから、同家の女性たちがこどもの健やかな成長を願う気持ち、家族に対して抱いている愛情が、時を越えて伝わってくるような思いがしました。


 「NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会」では、これら被災地からレスキューされた着物を用いて、下記の日程で展示活動をおこなうとのことです。

○滋賀県草津市   エルティガーデンシティー2階(滋賀県草津市大路1−1−1)
 10月25日(火)〜28日(木)

○東京都八王子市  八王子織物組合1階(東京都八王子市八幡町11-2)
 11月3日(木)〜5日(土)
 
 このほか、山形や岩手などでも展示会を実施する予定とのことです。皆様がお住まいの地域で開催された際には、是非足を運んでいただければと思っています。

 今回レスキューしたレコードや着物をはじめとした物品資料群。多くの人々の思いが込められ、受け継がれてきた品々は、それ自体が大事な歴史資料です。今、被災地から消えようとしている歴史資料たちを、より多くの人達と連携することで、ひとつでも多く後世に残していきたいと考えています。

<今回ご協力いただいた団体のサイト>
・昭和館HP http://www.showakan.go.jp/
・「NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会」HP http://npo-kimono.jp/
・きもの支援センター活動報告「きもの支援センター日記」 http://sanrikusomeru.seesaa.net/


  152号 (2011/10/15)

   宮城資料ネット展示

 「地球が震えた日 3.11から 歴史遺産を未来へ



 宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。去る9月17日から25日、震災発生後に実施している被災地での歴史資料保全活動に関する展示「地球が震えた日 3.11から 歴史遺産を未来へ」を、仙台市博物館ギャラリーにて開催いたしました。

 開催の直接のきっかけは、仙台市博物館および市史編さん室のご厚意で、仙台市史講座特別企画「地域の歴史資料を救え」の関連パネル展にあわせ、宮城資料ネットの活動を紹介する機会を得たことです。一方、震災以前から、宮城資料ネット自体の活動記録と広報の必要性について会員のかたがたから提案がありました。そこで、本会会員であるまちのほこり研究所の千葉真弓さんに全体の企画をお願いし、展示を実施する運びとなりました。 また、尚絅学院大学表現文化学科より、展示資材の提供、展示準備および開催中のスタッフについて協力を得ました。(右絵:仙台市博物館での展示全景)

 関係者の皆様のご協力について、記して御礼申し上げます

 今回は、石巻市本間家土蔵の写真を用いた横断幕や70枚を超える活動の写真、今回の震災でレスキューされた女川町木村家文書の現物3点、さらに文書を収めていた茶箱の実物を展示しました。会期中の来場者は736名でした。

 続いて、展示ボランティアの山下ともさんと、展示企画をお引き受けいただいた千葉真弓さんからのレポートです。(右絵:展示期間中の風景:9月20日)

■パネル展の展示ボランティアに参加して

   尚絅学院大学 表現文化学科1年 山下とも

 9月17日〜25日に仙台市博物館にて行われていたパネル展『3.11 地球が震えた日』に、学生ボランティアとして関わらせて頂きました
 
 今回の展示は宮城歴史資料保全ネットワークの2003年からの歩み、および東日本大震災での歴史資料レスキュー活動の紹介ということでしたが、恥ずかしながら私は展示前に頂いた資料で初めてこの活動を知りました。また、展示に関する知識も足りないため、展示の準備や片付けの際は指示についていくのが精一杯でした。そのため、このパネル展にどれだけ自分が貢献できたかは疑問ですが、私にとっては有意義な経験となりました。
 
 1週間の展示期間中には、約700人の方に足を運んでいただきました。やはり来場者の方の東日本大震災への関心は強いようで、年齢層も年配の方から家族連れまでと幅広い年代の方がいらっしゃったように思います。特に年配の方はじっくりと展示内容を見ていく方が多く、中には30分以上かけて展示を見ていかれた方もいらっしゃいました。(右絵:展示の設営風景 9月16日)

 実際に被災した古文書や茶箱の実物に関心を示す方も多く、じっくりと見ていく方が多かったです。一度展示を見終わった方の中には、資料と一緒に配布したマンガ『漂流茶箱の冒険』を読み、改めて茶箱を見に来る方もおられました。また、小さいお子さんも展示してある写真や、『漂流茶箱の冒険』に真剣に見入っていました。
感想ノートには、宮城歴史資料保全ネットワークの活動に賛同、応援のメッセージが多く寄せられていました。

 今回の展示に関わり、宮城歴史資料保全ネットワークの取り組みはもちろん、展示を行う上での技術や工夫も教えていただき、学芸員取得を目指す私には大変勉強になりました。展示における照明の使い方や、現場で試行錯誤をしながら展示を作り上げていくことなど、実際に展示を作る側に立たなければわからないような経験を積ませていただきました。(絵:今回の展示スタッフ)

    

 私達が過去の人々の生活を知るには、当時の人々の記録を読むしか方法はありません。民家に仕舞い込まれていた古い生活の記録を、文化財としてデジタルで保存することでより確実に未来へ伝えていける。その大切さを、この展示のボランティアを通して教えて頂きました。

 このような企画に関わることができたことに感謝いたします。本当にありがとうございました



■ 展示制作の千葉真弓から、舞台裏レポートです。

 今回の展示ストーリーの源は宮城資料ネットニュースです。毎号行間から読む人を打つ強い感情が溢れてきます。ニュースの中で、強い光を放って見えたのが女川の漂流茶箱でした(マンガにしてアップしてあります)。この茶箱が今回の展示空間のへそ、象徴です。実物を展示空間の真ん中に置きました。茶箱の中の文書も数点展示されています。

 パネル原稿担当のみなさんには、厳しい文字数制限をお願いしました。文字がいっぱいあると「わーい同じ値段で大盛りだ」と思うのは…。最初にいただいた端正な文章に対しては「もっとバランスを欠いた、感情が吹き出すぎりぎり寸止めで」と普通と逆のお願いをしました。出来たのは誠実と愛情が伝わる文章です。(右絵:展示の「象徴」となった漂流茶箱)

 意義のある展示を制作させて頂き、ありがとうございました。

 自前の展示空間と展示専門スタッフを持たない宮城資料ネットです。今後「うちで展示を」とお声がけ頂けたら即応できるよう、「アマチュアスタッフでも展示が出来る出開帳セット」を鋭意制作中です。


 宮城資料ネットの活動に関する広報の方法について、また新たな経験を得ることが出来ました。その後10月8日・9日に東北大学片平キャンパスで開催されたオープンキャンパス「片平まつり」でも展示が行われています。スペースなど会場の条件に合わせて展示を設置できる強みを早速実感しているところです。内容については今後さらに議論を重ね、また最新の活動を反映させながら、よりわかりやすいものにしていきたいと考えています。

 最後に、今回の展示実施については、あくまでも途中経過を市民に向けて報告している、という認識です。活動はまだまだ続きます。この展示をきっかけに、地域の歴史資料を守っていくための輪が広がっていくことを願ってやみません。(右絵:東北大学片平まつりでの展示)


 151号 (2011/10/02)
 

            地元の歴史資料保全の成果を守る

             「石巻古文書の会」収集資料レスキュー

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。今回は、去る9 月15 日に実施した「石巻古文書の会」収集資料レスキューについての報告です。

石巻古文書の会は、25 年以上の活動実績を持つ、石巻市の郷土史サークルです。合併前の石巻市やその周辺の牡鹿半島や北上川下流域の旧家に残されていた古文書の整理と解読を行い、10 冊以上の古文書資料目録や史料集を刊行しています。サークルを主宰されている庄司惠一さんからは、震災前から石巻市周辺の歴史資料について多くの貴重な情報提供を受け、ともに保全活動に取り組んできました。

3 月11 日の震災では、庄司さんの自宅も津波で一階部分が完全に浸水し、書庫に保管されていた資料やデータも被災しました。その中で、庄司さんからは今回の津波で被災した地域の歴史資料情報が寄せられました。その情報を元に、女川町木村家文書ネットニュース124 号参照)など、数多くの貴重な古文書資料のレスキューにつながりました。(右絵:被災資料9月15日)

一方、石巻古文書の会関係資料については、震災から10 日後に庄司さん自身からの被災状況報告をいただいたことをふまえ、早くから宮城資料ネットによるレスキューの対象としていました。しかし、他の被災資料レスキューなどの兼ね合いで対応が大幅に遅れてしまい、震災から半年以上が経過した今回、ようやく現地を訪問する運びとなりました。

9 月8 日時点での情報によれば、移動式書架のレールがさび付いていて動かなくなっており、段ボールに収められた関係資料の搬出は難しい状況だということでした。そのため、今回の訪問では状況確認を行うこととして、現地へは佐藤一人で向かいました。ところが、現地に到着すると、訪問に備えて書架を点検しているうちに書架が動かせるようになったとのことでした。そのため、段ボール30 箱以上に収められ、書架の中に積み上げられた資料の状況を確認することが出来ました。書庫は機密性が高く、30 センチほどの浸水でとどまっていたとのことで、段ボールは最下段の5 箱ほどを除いて浸水を免れていました。体力的な不安もあり、これらを一人で搬出するかどうか、一瞬躊躇しました。しかし今回の訪問に合わせたかののように搬出できる状態になったこと、浸水した分は大至急レスキューする必要があると考えられたこと、念のため文化財等救援委員会から提供されたバンで訪問していたため、今回すべての資料を積み出すことが出来ると判断し、仙台の事務局と電話で協議した上で、一人でレスキューを行うことにしました。庄司さんの助力も得ながら、一時間を超える作業ですべての段ボールを搬出することが出来ました。(右絵:9 月15 日撮影浸水した資料(右絵:被災資料9月15日)

今回レスキューした資料は、最初に述べた史料集などの素材となった古文書資料のコピー、モノクロおよびカラー写真、解読原稿に加え、庄司さんが収集された仙台藩領関係の古文書資料現物も含まれていました。庄司さんによれば、特に沿岸部のものについては今回の資料で原史料が失われたものも多いということです。そのような古文書については、今回レスキューした複写資料が現存唯一ということになります。しかし、レスキューが遅れた結果、特に写真資料については厳しい状況にあります。写真については専門的な知識を持つボランティアの方の力を借りながら応急処置に取り組んでいます。

今回は石巻古文書の会が、宮城資料ネットに先立つこと20年以上前から地道に行っていた古文書資料保全の成果をレスキューしたということになります。地域に残された歴史資料を守るのに大きな役割を果たしてきたのは、石巻古文書の会のような、地元の歴史に愛着を持つ郷土史サークルに集う市民の方々だということを改めて学ぶ機会となりました

また庄司さんからは、今回のレスキューを契機に、収集した資料を広く共有していきたいというお話もありました。後者については、石巻古文書の会とも協力しながら、方法を模索してきたいと考えています。

地元の歴史資料保全活動の成果を守り、共有化する。また一つ新たな課題を確認できた今回のレスキューでした。

*庄司惠一さんご本人のご了承を得たこと、女川町木村家文書レスキューについては実名での報道がなされており、本ニュースではお名前を明記しております。(右絵:バンに満載になった被災資料)

 (右絵:応急処置中の写真 写っている古文書は原本が消滅している)

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